進撃の弓矢

 「馬パンク」な世界が歴史をどう動かしてきたかについては既に述べた。だがこの世界は、遡っても紀元前2000年(戦車の登場)から紀元1500年までしか存在していない。それ以降になると、BennettのRetrodicting the Rise, Spread, and Fall of Large-scale States in the Old Worldでも指摘している通り、大洋を航海する艦船に搭載された火器が「地理の意味を変えた」(p22)。以後は馬パンクならぬ「ガンパウダーパンク」の時代がやってくることになる。
 では馬以前は? 馬が登場する前にヒトの歴史を動かしていた「技術のスキルツリーの特化」対象は、果たして何だったのだろうか。以前、こちらでその候補として取り上げたのが「飛び道具」。ネアンデルタール人を我々ホモ・サピエンスが駆逐する際に使われたのが飛び道具ではないかという説を紹介した。
 実際、狩猟方法の違いがホモ・サピエンスとネアンデルタール人との違いをもたらしたという説がある。投槍器(アトラトル)を用いることでより安全に狩猟ができるようになったホモ・サピエンスの方が、獲物に接近する必要があったネアンデルタール人より生き残りやすかったという説だ。ただし、一部のネアンデルタール人は日常的に投擲行動を繰り返していたとの研究もあるという。
 投槍器だけでなく、弓矢もホモ・サピエンスとネアンデルタール人との違いの象徴として、洞窟壁画などと並んでよく取り上げられることがあるそうだ。最近、スリランカで見つかった弓矢が存在する証拠なども、ホモ・サピエンスの拡大にこうした技術が伴っていたことを窺わせる一例かもしれない。Bows and arrows and complex symbolic displays 48,000 years ago in the South Asian tropicsによると、アフリカ以外では最古となる4万8000年前に、狩猟用の道具として弓矢が使われていたという。
 世界最古の弓矢の証拠とされているのは、南アフリカで発見された6万4000年前の石器だ。また同じ場所から6万1000年前のものと思われる骨製の鏃も見つかっている。我々ホモ・サピエンスの歴史はおよそ30万年前まで遡るそうだが、彼らの登場からこの6万4000年前までのどこかの期間で弓矢が発明されたと見て問題はないだろう。間接的ながら28万年前にアフリカ東部で発見されている投槍の証拠に比べれば新しいが、それだけに気になるところがある。
 何が気になるのか。アフリカ以外に広まった人類に伴っていた「技術のスキルツリー」の中で、もしかしたらこの弓矢が最もインパクトを持っていたのではないか、という妄想が浮かんでくるのだ。上記の通り、投槍はかなり古くから使われていた可能性がある。一方、最初にホモ・サピエンスがアフリカを出た時期は、早くて10万年ほど前頃までという説がある。既に投槍の間接的証拠があった時期であり、つまりこの時期にアフリカを出たホモ・サピエンスは投槍技術は持っていただろう。
 だが彼らの遺伝子は、現在アフリカ以外に住むホモ・サピエンスたちの中にほとんど残されていない。今生きているアフリカ外のホモ・サピエンスは、その大半が7万5000年前かその前後にアフリカを出た集団の末裔だそうだ。もし投槍が生き残りにおいて重要だったのなら、もっと昔にアフリカを出た連中がほぼ姿を消し、それ以降にアフリカを出たものが生き延びた理由が分からなくなる。そうではなく、この7万5000年前に出てきた連中が、それ以前の者たちとは違う「技術のスキルツリー」を持っていたのなら、昔の連中が消えて彼らが残った理由が説明できる、のではなかろうか。
 上にも紹介した通り、最古の弓矢の証拠は6万4000年前に遡るが、これは「少なくともそれ以前」にあったことを証明するものでしかない。一方の投槍技術はもっと前から存在した。そこから、10万年前にアフリカを出た連中と、7万5000年前に出た連中とが持っていた技術のスキルツリーのあり得る組み合わせは以下の通りとなる。

(1)10万年前も7万5000年前も、投槍技術のみを持っていた。
(2)前者は投槍技術のみを、後者は投槍技術と弓矢を持っていた。
(3)どちらも投槍技術と弓矢の両方を持っていた。

 このうち1番目と3番目は技術ツリーに差がない。つまりどちらも生き残りの上で優位性を持っていない。だが2番目なら、7万5000年前のグループのみが持つ特別な技術があり、それが彼らに優位性をもたらしたという解釈が可能になる。その優位性をもたらした技術こそ「弓矢」であり、その証拠は4万8000年前のスリランカの遺跡からも見つかっている。
 この7万と5000年前に出アフリカを果たした連中は、それ以前にユーラシアへ渡ったホモ・サピエンスとは異なる「技術のスキルツリー」を手にしていた。彼らはそれ、即ち「弓矢」使って一方的に有利な生存競争を戦うことができ、その結果として先行した他のホモ・サピエンスのグループのみならず、ネアンデルタール人、あとついでにデニソワ人まで含め、まとめて駆逐してしまった、と解釈できるではないか。まさに「進撃のホモ・サピエンス」である。

 ……というフレーズが言いたかっただけで、実際にはネアンデルタール人の滅亡がそんなに簡単に説明がつくわけではなさそうだ。
 一応、アフリカから出てきたホモ・サピエンスが他の連中より好戦的であり、彼らは「先住人類を駆逐もしくは交雑により吸収していきつつ、世界各地に拡散していった」という説も存在する。それによると、今から9万~7万年前に出アフリカ集団において狩猟採集社会から戦争を遂行し得る好戦的な社会への移行が起きたそうで、彼らはアフリカ外で他の人類を駆逐していった一方、アフリカ内でもより穏健だった他のホモ・サピエンスに対して優位になったという。
 だが、違う説もある。ネアンデルタール人の絶滅要因を検証したある研究では、その要因を11の仮説にまとめて調べている。その中には「ネアンデルタール人の武器は現生人類の投射技術も含む武器よりも劣っていました」という要因も挙げられているのだが、その他の仮説も含め、考古学的証拠は実は不十分だそうだ。そもそも技術革新についても、ネアンデルタール人がほとんどなかったのに対しホモ・サピエンスの技術革新は速かった、という主流的見解に対し異論が提示されている。
 ではなぜネアンデルタール人が姿を消し、ホモ・サピエンスが生き残ったのか。ここで支持されているのは「ネアンデルタール人と現生人類との遭遇時には現生人類の人口の方が多かったのではないか」という仮説だ。両者は単に遭遇後に交雑していっただけなのだが、その結果として数の多いホモ・サピエンスが生き残り、ネアンデルタール人が絶滅したように見えてしまった、という理屈だろう。
 個人的にはこの主張に対し、「ではなぜ両者が接触した時点でホモ・サピエンスの数が多く、ネアンデルタールは少なかったのか」という疑問が浮かんでくる。ホモ・サピエンスの方がネアンデルタール人より環境適応能力が高かったからこそ人数の差が出たのだろうし、であればその適応能力の差がどこにあったかを調べないと仮説としては不十分ではないか、と思えるからだ。両者の間にどんな違いがあり、そのどれが決定的要因になったかを調べるのが難しいのは間違いないだろうが、両者の差をあまり過少に見積もるのはそれはそれで問題があると思う。

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