ホースパンク

 Fernandez-VillaverdeらのThe Fractured-Land Hypothesisについて色々と紹介してきた。彼らの主張によれば、地形と人口の分布だけで西欧と中国における帝国の形成の違いは説明できるが、中東については馬匹の影響を入れないと帝国形成が説明できない、と言う内容だった。
 馬匹が人類史に及ぼした影響についてはこれまでも指摘している。もしヒトの手によって家畜化しやすい、ヒトを乗せることができるほど大型で、長距離移動に長けた生き物がいなかったら、我々の歴史はどう変わっていただろうか。「スチームパンクやサイバーパンク」のように、「俺たちの地球は馬パンクってジャンルだった」との指摘もあるほどだ。
 Fernandez-Villaverdeらはあまり重視していないそうした馬匹の影響について、最初からシミュレーションしていたのはTurchinである。またCurrieもシミュレーションではないが、ステップからの距離を含めた分析を行い、馬匹が持っていた影響力について調べている。そして、最近になって彼らの研究の延長線上で同じような研究をしているのがBennettだ。彼のRetrodicting the Rise, Spread, and Fall of Large-scale States in the Old Worldが、そのプレプリントである。
 彼が導入したモデルは、Turchinのものをバージョンアップしていると見ていいだろう。対象期間は紀元前1500年から紀元1500年とTurchinのものと同じだし、対象エリアもアフロ=ユーラシアとなっている。ただ細かいところにはかなり違いがある。
 Bennettはまず政治体を農業国家と遊牧部族に分けており、農業国家は領土の拡大などに取り組む一方、遊牧部族は必要に応じて連合体を作るという想定をしている。農業国は他国の領土を併合する以外に、領土内の生産力を上げて人口を増やすという形での成長も遂げる。ただし人口を抱えておける上限以上に人間が増えることはできない。そしてBennettのモデルには、エリートと大衆というメカニズムが組み込まれている。
 モデルには数多くの農民がおり、彼らの生産活動に伴う余剰物資によって戦士というエリートを養っている。領土を広げるための併合には戦争が必要だが、それに参加できるのは戦士のみだ。さらにモデルには兵站の概念もあり、遠い国境での戦争になるとそれだけ多くの兵站士官をを必要とする。兵站士官もエリートの一種であり、こちらが増えると実働兵力である戦士の数がそれだけ減るようだ。
 帝国が巨大化していくと、やがては兵站問題からそれ以上の領土拡大が難しくなる。一方、国内の生産力と人口は増えていき、やがてマルサスの限界に接近する。そこで起きるのがエリート内競争の激化だ。モデルでは生産力の上限に接近するとエリート内の対立が生じ、国が分裂するという想定をしている(Figure 2)。分裂後はそれぞれ別の国として今までと同じように活動する。
 遊牧部族についてはシミュレーション開始時にステップ地域とその周辺の非農業地域に50の部族がいると想定。彼らは当初は農業国家に何の影響も及ぼさないが、紀元前1000年にポントス・カスピ海地域で騎兵が生まれた後は、近隣の農業国に影響を及ぼすようになる。彼らの影響を受けた農業国家は軍事力が増し、そうやって農業国が巨大化すると今度は遊牧部族がそれに対抗すべく連合体を形成するようになる(Figure 4)。この辺りはTurchinの言う「鏡の帝国」をモデルに組み込んだというべきだろう。
 以上のモデルに基づいたシミュレーションの結果はFigure 5を見れば分かる。中東から欧州、インドにかけての地域や、ステップにおける遊牧民帝国の登場についてはそれなりに史実と似た流れを作ることができている。一方、サブサハラ・アフリカや、東南アジア、日本などの島嶼部については、帝国の形成が全く反映されていない。海上や砂漠の移動についてモデルが十分に機能していないことが見て取れる。
 Figure 6を見ると、大きな政治体の支配下にあるエリアのサイズ(A)や、空間的な相関係数の高さ(D)についてはそれなりにいい数字を出している。50年以上にわたって生き延びた大規模国家の数については途中はあまりうまく史実を反映していないが、最終的には辻褄があっている格好だ(C)。全人口の推移については、疫病の流行といった現象についてモデルが組み入れていないためか、途中で史実より人口が多めに出てきている。
 Figure 7を見ると史実ほど極端に大きな帝国、あるいは長続きした国は出てきておらず、もっとまとまった範囲に分布している様子が窺える。Figure 8には大きなサイズの帝国の面積が載っているが、騎兵の発明後に政治体が大きくなっていることが分かる。
 面白いのはp17以降にあるCounter-factual Investigationsだ。まず海や砂漠を渡る手法(船舶とラクダ)を反映した結果がFigure 10にある。これらがない場合、海や砂漠で多く分断されている西ユーラシアではあまり帝国が生まれない。ラクダのみの場合、中東からインドを経て東南アジアまでは帝国が増えるが、海が増えるヨーロッパにはあまり帝国が生まれなくなる。一方、中国は特に変化はない。
 他の「歴史のif」に関する想定はSupplemental materialsに載っている。例えば初期段階でナイル流域に大きめの農業国家がない場合(Figure S5)でもその後の歴史はあまり変わらないのに対し、ガンジスとメコンにしか大きめの国がない場合、帝国の成長はかなり後ずれする(Figure S8)。
 もっと興味深いのは遊牧民による脅威が存在しない場合だ。つまり我々の歴史が「馬パンク」でなかったらどうなっていたか。帝国による支配エリアはずっと少なくなり(Figure S11)、大きな政治体はほとんど生まれなくなる(Figure S12)。ただし遊牧民の脅威がなくても、農業国家で内在的な軍事技術の成長があれば、流れはもう少し現実の歴史と似てくる(Figure S14)。やはり現実より大きな国家の発生率は少なくなるが(Figure S16)。
 もし騎兵がポントス・カスピ海地域ではなく、東アジアのステップで生まれていたらどうか。東アジアでは普通に農業帝国が遊牧民帝国が生まれるが、西ユーラシアでの農業帝国の誕生は史実よりも遅れ、なおかつ誕生エリアが欧州やインドなど、より辺境地域にシフトするそうだ。さらに、農業国家の人口増に対応して騎兵が生まれるという設定にした場合、シミュレーションでは紀元前1300年頃に中国付近で騎兵が誕生する流れがほとんどだったという(Figure S21)。
 なぜ騎兵は中国付近ではなくポントス・カスピ海エリアで生まれたのか。筆者は2つの理由を想定している。おそらくいい馬匹が中国付近よりもトランスオクシアナに産したこと、及び馬上で使用する複合弓の素材となるアイシングラスの原料である魚が、カスピ海や黒海を抱えるポントス・カスピ海地域でより多く手に入ったためだという。
 さらに筆者はSupplemental materialsの中で、中国と西欧の違いという、ScheidelやFernandez-Villaverdeらが問題としていたテーマについても言及している。結論として、Bennettのモデルだと中国での統一が西欧に比べて進んでいる理由を説明することはできないそうだ。彼はScheidelの議論を紹介し、このモデルでは取り組んでいない生態学的、及び地理的な違いが中国と西欧の差になったのではないかと推測している。

 このモデルの面白さは、まず構造人口理論のエリート過剰生産を組み込んでいることにある。Turchinの最初のシミュレーションではこの辺りは単にUltrasocialという抽象的な指数にまとめられていたが、Bennettはより具体的な動向をモデル化したわけだ。結果、Supplemental materialsに収録されている動画を見ると、例えば地中海周辺を支配している帝国が分裂する瞬間などが観測できる。
 もう一つは、もちろん遊牧民と農業民による「鏡の帝国」のモデル化部分だろう。特に騎兵がどこで生まれたか、いつ生まれたかによって、あるいはそもそも生まれなかったらという場合ごとに、何が起きたかを推測できるところが興味深い。もし我々の地球が「馬パンク」世界でなかったら、つまり旧世界も新世界と同じような条件に置かれていたとしたら、歴史の流れはかなり大きく違っていただろうし、それがどんな歴史になったか想像を巡らせるのはかなり楽しそうだ。
 ただモデルの作り方として「鏡の帝国」が適切かどうかは不明。というか、かなり「特殊ルールの採択」によって成立させている印象があり、シミュレーションとして適切なのかどうかは不明だ。また、本人も認めている通り、地理的、生態学的な条件が抜け落ちているためか、特に西欧における流れはあまり史実を反映しきれていないようだ。Bennettのモデルに、Fernandez-Villaverdeらのモデルを組み合わせると、ちょうど互いがうまく補完されるのではないかと思える。
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