分断された土地 下

 Jesus Fernandez-VillaverdeらのThe Fractured-Land Hypothesisという論文の紹介続き。ダイアモンドの「銃、病原菌、鉄」に代表される「分断された土地」仮説の妥当性について立証を試みた論文だ。
 このシミュレーションはなかなかに興味深いと言える。なぜなら、最近はダイアモンドが主張した「分断された土地」仮説はあまり評判が良くなかったからだ。例えばこちらのblogでは中国の地形も分断されているし、そもそも中国の政治も分断されていた時期が長かったと指摘している。Turchinも地形説を批判し、ステップ遊牧民との関係をより重視している
 論文内でも指摘されているが、ダイアモンドの仮説に対する最近の最も目立つ異論は、HoffmanのWhy Did Europe Conquer the World?だろう。彼の主張についてはこちらなどで紹介しているが、彼はダイアモンドの主張に対し、例えば標高1000メートル以上のエリアを見ると中国が33%を占めているのに対し欧州は6%しかなく、中国の方が分断されていると指摘していた。このことはFernandez-Villaverde論文でも紹介されている(p8)。
 かように地理的要因で欧州の分断と中国の統一を説明する取り組みは足元であまり評価されてこなかった。それだけに単純な地理的要因と人口密度だけで中国と西欧の違いを説明できるのだと主張するシミュレーションがこのタイミングで出てきたのは面白い。ダイアモンドの説はジョーンズの説と同様、いわば「欧州が特別だった」という見方だったのに対し、最近はそうした観点を「欧州中心主義」eurocentrismとして批判する流れが強まっていたからだ。Andradeや、あるいはRoyの主張なども、そうした流れの中に位置づけられるだろう。
 それに対し、やはり西欧が特別なのだと改めて主張したのがScheidelのEscape from Romeだったと言えるし、Fernandez-Villaverde論文は言うなればそれを裏付けようとした取り組みである。世代によって社会政治的な安定性と不安定性が振り子のように繰り返されるのと同じく、学説の世界でも振り子が元に戻るような動きがあるものなんだろう。

 Fernandez-Villaverde論文は基本的な地理的条件(及び人口密度)の重要性を指摘した後で、追加的に様々な条件を入れたシミュレーションも行っている。まずはTurchinも指摘しているステップ地帯の存在についてだが、中国と西欧の統一の流れには影響しないというのが結論だ(Figure 18)。また、時に交易などで社会を結び、時に侵略を防ぐといった効果をもつ河川についても調べているが、こちらも大きな影響はないという(Figure 19)。
 少し変わった方法として、パンデミックなど外部からの疫病の流行や、あるいは帝国内における統治不全といった王朝交代のメカニズムを導入した場合の影響もシミュレートしている。どちらもランダムに発生する事象として計算しているが、基本的に中国がくり返し統一に向かうのに対し、西欧は分断された状態が継続しているという流れに変化はなかったようだ(Figure 20)。
 もう一つの取り組みが、地中海に関するルール変更だ。他の海よりも安定して航行しやすい地中海について、単に海峡だけでなくもっと広い範囲を結びつけ、相互に移動できるようにルールを変えた。実際にはこのルールを使用できるのが一定以上のサイズを持った国家(つまり海軍づくりに取り組める国家)のみとした時だけ、たまに地中海帝国が生まれたという。また人口密度を紀元500年のものに変更するとそうした国家は生まれなくなった。南欧や北アフリカの生産力低下が影響したと思われ、このあたりはまさにScheidelの指摘する「2度とローマ帝国が生まれなくなった」状況と見事に呼応している。
 さらに論文ではモデルと歴史的な事実との比較をしている。まず中国では生まれた帝国の大半が北方の平野部から誕生している(Figure 16)。一部は揚子江下流域からも誕生しているのだが、こうした傾向は実際に中国で生まれた各帝国の大半が北方に起源をもつことと一致している(Table 3)。秦の始皇帝による統一から中華民国誕生までの2132年のうち1142年で中国が統一されていたという傾向も、このモデルはきちんと表現できている。
 逆に欧州では様々な地理的要因が統一を妨げた。ローマは地中海は押さえたが、ドイツの森で進軍を妨げられた。ハンニバルとバルバロッサはアルプスを、アラゴンのペドロ2世はピレネーを越えて進軍したが、そうした遠征は失敗に終わることが多かった。カール5世は広い領土を支配したが、各領土はそれぞれバラバラの利害を持っており、結局は息子たちに分割相続させることになった。
 欧州では常に勢力均衡が働いていたのも特徴である。モデルにそうした機能はついていないが、生産力のコアとなる地域が分断されていることはそれと似たようなダイナミクスをもたらしたようだ。一方、中国では生産力のコアとなる地域が集中しており、その地域を押さえた国が最終的に中国を統一するケースが多くなった。論文には三国志演義冒頭の一文「話説天下大勢、分久必合、合久必分」が引用されているのだが、実際には魏が国内を安定させると呉と蜀は彼らに抵抗できなくなったわけで、むしろ中国では勝ち馬に乗る「バンドワゴン効果」の方がよく働いていたのではないかとも指摘している。

 中国と西欧については分かったが、ではそれ以外の地域はどうだろうか。Scheidelは「西欧こそが特別だ」と主張し、中国以外でもアフロ=ユーラシア地域では複数回にわたる帝国の形成が見られたと主張しているし、前にも指摘した通り、確かに中東やインドでそうした傾向は見られる。ではこのモデルはどうなのだろうか。
 インド関してはそれほど違和感はない、というかむしろ史実より積極的に帝国による統一が進む印象が強い。具体的に統一が容易に成し遂げられるのは基本的に北インドのみであり、デカーン高原以南の地域には支配地域を広げられないケースがシミュレーションでは多いのだが、これは実際のインドにおける帝国の在り方を見ても同じであり、それほど違和感はない。北の山地、西の砂漠、東と南に広がる熱帯は、インドにおける帝国エリアを制限する機能があるようだ。
 東南アジアにはそもそも大国(モデルでは600セル=120平方キロ超)がほとんど生まれなかった。熱帯気候に加えて困難な地形、低い人口密度といった用件が重なったためのようだ。
 Fernandez-Villaverde論文のモデルにおける最大の弱点は、中東にある。実はこのモデルを使っても中東には大規模国家がほとんど姿を現さないのだ。基本モデルを使うと、中国と南アジア(インド)はほとんど同時に帝国が誕生し、それからずっと遅れて西欧で大きな国が増えてくるのに対し、中東は東南アジアと同じくらい国家による寡占が進まない地域となってしまう(Figure 23)。
 だが1つ条件を追加すると状況は変わる。その条件とは、中央アジアのステップの影響だ。具体的にはステップから100キロ以内のセルは馬匹に簡単にアクセスできるために軍事力が高く、またステップにおいては移動が容易になるといった新たな要件を加えてシミュレートしなおしている(p56)。これを入れると中国における統一の時期が一段と早まるほか、中東の統一度が欧州より早く、高くなる(Figure 24)。過去2500年の間、中東はおよそ18.5%は単一帝国に支配され、40%は2つの帝国(ローマとパルティア/ササン朝、オスマン帝国とサファヴィー朝/ガージャール朝)に分割され、残る期間はより細かく分断されていた(p62)。そうした流れと整合性のあるモデルが構築できるわけだ。
 つまりTurchinらが重視しているステップの影響は、中国や西欧よりも中東においてこそ大きな影響を及ぼしていた、という結論が導かれる。ステップからの軍事力の広まりを重視するTurchinに対し、ステップからの距離を静的に決めたうえでシミュレートしているこの論文とで違いが出てくるのは当然だし、どちらがより正しいかについては今後の検証が必要だが、それにしてもこの違いは面白い。ちなみにTurchinはこの研究には批判的なようだ
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