そして、この論文をさらにアップデートしたものが2020年に出された。
The Fractured-Land Hypothesisというシンプルな名前に変更されたこの論文は、面白いことにScheidelの主張を裏付ける内容のものとなっている。もちろん著者たちがそれを想定して書いたわけではないだろう。彼らがやろうとしたのは、ダイアモンドが
「銃、病原菌、鉄」で唱えた「分断された土地」仮説を立証しようとする取り組みだ。
「分断された土地」仮説とは何か。ダイアモンドの主張はFernandez-Villaverde論文のp7に簡単に説明されている。つまり(1)中国は本土の沖合にある大きな島の存在に脅かされていない(台湾は小さすぎ、日本は遠すぎる)(2)中国の海岸線は欧州に比べて平坦である(3)何より重要なことに、欧州と異なり中国は高い山や深い森によって分断されていない。こうした地理的な特徴が、欧州における政治的分断と、逆に中国での統一国家の成立をもたらした、という仮説だ。
仮説の立証に際して彼らが採用した手法がシミュレーション。それもかつて
「国家興亡シミュレート」で紹介した方法とかなり似通った手法を採用している。いずれもアフロ=ユーラシア地域を細かいセルに分け、Turchinらの論文は紀元前1500年から紀元1500年まで、Fernandez-Villaverdeの論文だと鉄器時代の始まり(紀元前1200-1000年)からやはり紀元1500年頃までを対象としている。
それに対し、Fernandez-Villaverde論文は地形や人口密度といった切り口に焦点を絞ったシミュレーションとなっている。社会性といった切り口は採用していないし、ステップからの距離も追加的に入れているだけで、基本的なシミュレーションでは考慮に入れていない。あくまでダイアモンドの「分断された土地」という地理的要因に絞って、どこまで仮説が立証できるか調べてみた格好だ。
論文ではアフロ=ユーラシア地域のうち、低温なユーラシア北端と、サハラ以南を除いたエリアを分析している(Figure 2)。エリアを20637の正六角形で分割しており、1つの六角形は半径が28キロ、面積は2037平方キロに相当する。半径28キロという設定は、普通の大人が平坦な土地を1日に移動できる距離を目安にしたそうだ(p12)。ちなみに2019年の論文では六角形ではなく、100キロメートル四方の正方形4439セルで分割しており(p10)、それに比べるとかなり細かい分け方に変えているのが分かる。
それぞれの六角形セルには特徴がある。何より重要なのは調査対象である地形だ。地形の険しさについては高度の平均標準偏差から算出しており、つまりセル内の高度差が大きいところほど地形が険しく、小さいところは逆だとしている。この結果、平野部だけでなく高地にある台地(チベットやデカーン高原)でも険しさは比較的小さく出ている。具体的に険しさがどうなっているかはFigure 3を見てもらいたい。
次に海峡。海を通じて陸地同士がつながっていると判断したセルは海峡セルとなり、こちらも険しい地形の一種として扱われる。ただし海上での移動については後に違う方法も提案している。また低温地帯と高温地帯も特別なセルとしている。シベリア沿いからヒマラヤに近い高地は低温であり、インドと東南アジアは高温地帯なっている。さらにこの論文で重視しているのが、古代欧州に存在していた深い森だ。Figure 4の緑色のセルはこの森を示している。
なぜ欧州の森を特別扱いするのか。北米やアジアでは氷河期や間氷期を通じて森が南北へと移動していたのだが、欧州については氷河期になっても地中海やアルプスなどによって森の南方への移動が妨げられていた。このため寒さに弱い樹木は欧州では姿を消し、オークやブナ、カバといった硬材となる樹木が主に残った。これらの樹木は原始的な道具で伐採するのは難しかったそうで、そのため西暦750年のドイツの9割は森に覆われ、1700年になってもなお4割は森が残っていた(p15)。
以上のような地理的要件以外に、Fernandez-Villaverde論文では人口密度も調べている。具体的には0CE(つまり紀元前から紀元後に変わる時期)と紀元前1000年、及び紀元後500年のデータを比較のために取得している。農業社会における人口密度は農業生産性と結びついており、これらのデータは主に生産性を示していると考えられる。具体的な図(Figure 5)を見ると、イタリア半島やインド、中国の人口密度が高く、逆にシベリアや中央アジア、アラビア半島はかなり低い。
具体的にこのシミュレーションでどのような計算法を採用しているかは論文を見てもらいたい。シミュレーションによってどのようにアフロ=ユーラシアの地図が変化していくかは論文のp25のほかに、
こちらのYoutubeで見ることができる。ただしこれらの地図はあくまでシミュレーションにすぎず、当然ながら何度も回して統計的な結果を出さなければ意味はない。ここで確認するべきはその結果の部分である。
結果を示す典型的なグラフがFigure 10とFigure 11だ。市場の寡占状態を示す
ハーフィンダール指数を使って中国(Figure 2の赤いセル)と西欧(青いセル)の寡占度合いを調べたところ、中国の方がずっと高く、かつ早い段階で寡占が進んでいるという傾向が明確に認められた。地理的条件と人口密度というシンプルな設定のみから、中国は帝国化しやすく、西欧は分断されやすいという傾向が窺えたわけだ。
さらにパラメーターの条件を変えた結果がp29のFigure 12に描かれている。ダイアモンドの議論に合わせて地形の険しさと海峡のみを取り上げたケース(温度や森林の影響はゼロ)でも、やはり中国が先に統一を進めた(b)。地形の条件を全て平等にし、人口密度だけにした場合、西欧の統一度が通常設定より上昇したが、やはり中国に比べれば分断されていた(c)。地形の条件に手を加えずに人口を動かした場合も、例えば西欧人口を倍にしたケース(d)、全ての人口密度を一定にしたケース(e)のそれぞれにおいて、これまた傾向は変わらなかった。
西欧と中国の差が消えたのは、地形効果を全てなくし、かつ人口密度を全部一定にした場合(f)のみだ。ここから論文筆者らは「分断された土地は欧州の多元化と中国の統一を説明する十分条件であるが、必要条件ではない」という面白い指摘をしている(p31)。確かに、土地の険しさなどの差がなくても人口密度の分布があれば同じ現象が起きるのだから、これは「必要条件」ではない。だが人口密度が一定でも地理的条件さえあればこの結果が導きだせるため、「十分条件」になる。
さらに筆者らは人口密度の代わりに穀物生産への適正、あるいは潜在的なカロリー産出量といったデータを使って同じくシミュレーションをしている(g)(h)。西欧の統一度は通常に比べて高いのだが、やはり中国が先行することに変わりはない。紀元前1000年の人口密度、紀元後500年の人口密度でも傾向は似ている。
地形の険しさは戦争に障害をもたらすという設定でシミュレーションが行われているが、この障害度合いを示すパラメータも変えて結果を調べている(Figure 13とFigure 14)。これまた中国の方が西欧より早く統一さえる傾向は同じであり、このシミュレーションによって導き出された結果はrobustだ、と論文は結論付けている。
論文では「分断された土地」仮説について、重要なのは険しい土地がどのくらいあるかではなく、それがどのように分布しているかである、と指摘している(p31)。実際、単に険しい土地が多いのはどちらかと言えば中国の方だ。だが中国の土地と生産性の「分布」は、むしろ統一を促進するように働いた。逆に農業生産のコア地域がいくつもあり、それが地形によって分断されていた欧州では、むしろ政治体が多元化しやすくなる力が働いた、というのがこの論文の結論だ。
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