反乱とは「政治的コントロールを奪い、無効化し、あるいはそれに挑戦するため、破壊と暴力を組織的に使う」ことであり、反乱初期段階は、ある範囲のグループによる組織化、訓練、武器を含むリソースの獲得、公的支援の確立といった初期的な活動が、組織と計画の発展によって暴力的な出来事の増加につながった状態を意味するらしい。
銃が手に入れやすい米国での武装グループは過去においても珍しくなかったが、過去に存在したそうしたグループは政治的には孤立した存在だったようだ。
ブランチ・ダヴィディアン や、
オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件 といった暴力事件は、主要政党の分裂とは直接関係しないところで起きた事件だったのに対し、足元の騒動は共和党と民主党の対立に対応したものであり、それだけにより危険だ。
加えてこの騒ぎはSNSやケーブルテレビによって扇動されている。前者はともかく後者でもそういう動きがあるのは驚きに思えるが、例えばケノーシャの事件で殺人を犯した17歳を褒め称えるニュースホストや、彼が大統領になってほしいといった意見をテレビで公言する人物がいるらしい。思い出すのは
五・一五事件で新聞が被告人に同情的な報道を行い、彼らへの減刑嘆願が殺到した という話。いやな符合である。
さらに反乱の専門家は、足元になって左右双方がSNSで相手の「非人間化」を進めていることも指摘している。どうやら左翼は右翼を「寄生虫ども」、右翼は左翼を「ネズミども」と呼んでいるらしい。その一方で6月の銃販売は390万丁(その多くは初めて銃を購入した人物)と過去最多に達し、おそらく2000万人の米国人が外出時に銃を持ち歩くようになっているという。
専門家によるとこうしたパターンはかつてコロンビア、リビア、イラクで反乱を加速した時にも見られたそうだ。カギになるのは「恐怖」。過去50年における全ての内戦と反乱は恐怖によって突き動かされていた。現在の米国における政治的・社会的緊張は、他の社会的グループに対する恐怖、そのグループが自らの領土を包囲しつつあるという恐怖、そしてもはや国家に人々を守る能力がないという恐怖によって支配されている。
もちろん、反乱の初期段階にあることは、反乱が不可避であることを示しているわけではない。また混乱の度合いについても、しばしば政治的動機によって誇張されている。通常、暴力が起きても、それはほんの数ブロックにとどまるもので、都市全域がそうなっているわけではない。だが政治的リーダー、特に困ったことに現職の大統領がそうした発言をくり返し、「冷笑的な選挙戦略の一環として」故意に炎上を煽っている。彼は左翼の過激派を罵る一方で、決して右翼の過激派を糾弾しようとはしない。結果、警察の中には右翼の武装集団を応援するような動きを見せるものも出ているという。
トランプの狙いは、暴力・混乱・変化への恐れを駆り立て、自らが法と秩序の砦であると描き出すことにあるのだそうだ。彼のこの戦略が機能しているかどうかは不明だが、「恐怖の持つ潜在力」を正しく認識しているのは間違いなさそう。そもそもの不平の原因は問題ではないく、暴力と報復、それへのさらなる報復というサイクルが自律的に動き始めれば、それがどこまで進むかは簡単には見通せない。
「米国は危機にある」と、この記事はそう結論づけている。この国が危機に向けて引き続きどこまで深く潜り込んでいくか、それが来るべき選挙によって決められることになり得るのだそうだ。Turchin & Goldstoneの文章と比べても遜色ないほど暗い見通しである。
そのGoldstoneとTurchin自身の文章で面白いのは、歴史について触れている部分だろう。特に目に留まるのは
ピータールーの虐殺 に言及しているところだ。1819年にマンチェスターで起きたこの軍による市民の虐殺は、2年前に
映像化されている 。歴史上にそうした事件があったことは知っていたが、まさか映画化されるとは思っていなかったので、最初にこの話を聞いたときは驚いたものだ。
この事件はマンチェスターの聖ピーター広場(Saint Peter's Field)に集まって抗議行動に参加していた民衆に向けて、軍の騎兵が突撃をして多くの死傷者を出したというものだ。まるで4年前にあったワーテルロー(英語だとウォータールー)の戦いのような血腥い事件だったということでピータールーの虐殺と呼ばれるようになったそうだ。
GoldstoneとTurchinはウェリントンの政権が議会改革に対して非常に消極的であり、この事件によって批判が広まったにもかかわらず彼は改革に同意しなかったと書いている。この文章だけ読むとウェリントンがこの事件の時に首相をやっていたかのように読めてしまうのだが、実は違う。彼はこの時、政治活動を始めてこそいたものの、首相に任命されたのは1828年になってからであり、ピータールーの事件からは9年も経過していた。名前が「ピータールー」だからといって、彼が虐殺に直接の責任を負っているわけではない。
ただ彼が議会改革に対して消極的だったのは間違いない。何しろ
英政府の公式ページ にも「首相として彼は改革を抑えようとした対応で知られており、彼の人気は在任中に少し落ち込んだ」と書かれているくらい。結局彼が辞任し、ホイッグ党のグレイが首相になってようやく英国で議会改革が進むようになった。
GoldstoneとTurchinはこの事例以外に、20世紀初頭の米国における進歩主義を紹介し、少ない暴力で不和の時代を終わらせることは不可能ではないと指摘している。それはおそらく事実だが、この2つのケースがいずれも資本主義の急成長が成し遂げられていた時代に、しかも世界の覇権を握るほどの経済力を持っていた国で起きていたことは忘れてはいけないと思う。さらに英国は海外植民地への人口輸出によって、米国は逆に移民流入の抑制によって、トラブルの元である人口動態を抑制することができていた。パイの拡大と、パイを奪い合う人口の抑制という2つのメカニズムが働いたことが、少ない暴力で事態が鎮静化した背景にあると考えられる。
今の米国はどうだろうか。人口を抑えることはできると思う。進歩主義時代と同様に移民を減らすだけでも、しばらくすれば効果は出てくるだろう。だがパイを大きくするのは簡単ではない。少なくとも
Tainterの唱えるような収穫逓減効果 が存在するのだとしたら、それに期待するのは困難だ。
GoldstoneとTurchinは事態への処方箋として(1)必要な改革を実行しようとする人物にリーダーを入れ替える(2)暴力を控え、今の制度的枠組みのなかで改革を実行する(3)改革は実利的であり、改革のための幅広い支持を作り上げる――といったことが大切だとしている。そのために富裕なものはいくらかの犠牲を払い、かわりに普通の労働者を支え、強化する。これが不和の時代を終える「明確な道」だそうだ。だが、パイが拡大しない状態で、この道が通行可能であるかどうかは私には分からない。
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