崩壊とモデル

 TainterがThe Collapse of Complex Societiesで唱えた「崩壊」理論(収穫逓減説)について、必要なのは定量的な分析であると述べた。それに類した取り組みを実際にやっているのがUgo Bardiである。
 彼が記しているこちらのblogでは、システムダイナミクスを活用したモデルを作成し、そのモデルが実際にTainterの予想した通り、複雑さを増すとある段階で限界収益が減るという挙動を示したと指摘している。加えて彼は個別事例にこのモデルを当てはめ、実際に収穫逓減が観測されているとも主張している。そうであれば、収穫逓減説の裏付けになり得る話だ。
 具体的にはToward a General Theory of Societal Collapse. A Biophysical Examination of Tainter's Model of the Diminishing Returns of Complexity.という論文にまとめられている。Bardiが用いたモデルは食物連鎖的なものであり、単純な2要素モデル(Figure 2)だとリソースと経済という2つの要素の相互関係に注目してその動態を調べている。リソースが有限、あるいは再生するとしても消費に比べてスピードが遅い場合、経済活動は時間とともに単純なベルカーブを描くことになる。
 一方、上記の2要素以外に、彼は生産活動は行わないが複雑な社会を維持するために必要になる官僚機構と、さらにそれぞれの活動の結果として発生する汚染pollutionという2つの要素を追加した4要素でのモデルも構築している(Figure 4)。この場合、経済活動はベルカーブではなく、成長に比べて衰退の方が短期間に生じるようなカーブを描く(Figure 5)。この急速な経済活動の低下は、Tainterの言う崩壊に相当するものと考えられる。
 Tainterの描いているモデルのグラフと、Bardiがシステムダイナミクスを使って計算したモデルのグラフはFigure 7に載っている。形状は全く同じではないが、性質的には似ている。どちらもある段階までは複雑さ(経済活動)を増すことによって生産も上昇しているが、ある時点でその上昇は止まり、それ以上に複雑さを増してもむしろ生産は低下する、という現象が起きている。まさに収穫逓減だ。
 ただしTainterはグラフの右端を途中で切っている。彼にいわせれば、その段階までに崩壊が起き、このモデルはそれ以上先に進まないということだろう。一方Bardiは途中で切ることなく、ずっとモデルが継続した場合の推移も載せている(Figure 6)。見ての通り、グラフはループを描いて最初の点(0,0)に戻っている。
 Bardiによれば、このループは履歴効果Hysteresisを示しているという。モデルはまず複雑さを増すにつれて生産性が上がるのだが、その際にはループの上を通っていく。だがある段階で複雑性が上がっても生産性は上がらなくなり、さらに複雑さが増すとむしろ生産は下がる。そこでかつてのように複雑さを下げるのだが、生産性がそれで元の水準に戻ることはない。生産性はループの下を通って、つまりかつてよりずっと低い水準を通って低下していく。複雑さが収穫逓減につながるなら複雑さを減らせばいい、という理屈は成立しないわけだ。
 4要素モデルを使ったグラフ(Figure 8)も形状は同じだ。最初は官僚機構の拡大に合わせて生産性も高まるが、ある時点以降はむしろ官僚機構の拡大が生産性を引き下げるように働く。時間を元に戻そうと官僚機構を縮小しても、生産性は戻らない。官僚機構の人減らしなどは多くの国で実行されているが、それが必ずしも生産性の回復につながらないのはこういった一種の「経路依存性」が働いているためかもしれない。
 さらにBardiは歴史的な事例を対象にこのモデルを適用している。まずはローマ帝国における貨幣と軍のサイズを示したグラフだ。軍のサイズが複雑さを、貨幣をつかって計算したキャッシュフローが生産性を示すと仮定し、その結果を見たところこれまで紹介してきたのとほぼ同じグラフが出来上がった(Figure 10)。つまりローマ時代もこのモデルで想定したのと似た現象が起きていたというわけだ。
 もう一つは、複雑な社会ではなく「漁業」を使った分析だ。使用したデータは19世紀の米国における捕鯨産業と、日本における20世紀後半の漁業関連のデータだ。前者については捕鯨用の船舶トン数と鯨油、後者は漁業関連の公的支出と水揚げとを比較している。どちらも途中で収穫逓減に見舞われ、複雑さを減らしても水準は元に戻らないというこれまでと同じグラフを描いている(Figure 11)。
 ここまでBardiの論文はTainterの理論を裏付けるような結果を示しているが、一つだけ大きな問題がある。Bardiのモデルは「システムの複雑さの低下は、Tainterが提案したように複雑さそのものの収穫逓減という本質がもたらした結果ではなく、むしろ「自然資源獲得における収穫逓減の結果」(Page 8 of 9)であるという点がそうだ。もちろん、Tainterの挙げた事例でも農業という基本的な資源について収穫逓減が起きていたと考えることはできるのだが、Tainterのモデルと完全に一致しているわけでないことは事実だ。
 それでもBardiのモデルでいくつか歴史上のデータを使っている点は注目に値するだろう。Tainterの議論はほぼナラティブなものにとどまっていたが、それをより定量的に見ることができるのは重要だ。もちろん、例えばローマ時代の分析として、軍の規模と貨幣を使ったキャッシュフローとにそれぞれ複雑さと生産性を代表させるのが適切かどうかという問題もあるし、そもそも彼が使ったデータがどこまで正確なのかという点も確認は必要だろう。だがそうした懸念を踏まえてもなお、こうした分析がありがたいのは確かだ。

 さらにTainterの議論について、追加で述べておきたいことがある。それは、ローマでもマヤでもそうだが、崩壊を迎える前にそれぞれがおそらく人口減に見舞われていたという指摘だ。ローマの場合は疫病で減ったのがきっかけだったが、その数はいつまでたっても復調することなく、末期のローマの大地主たちは常に小作農の不足に苦しんでいたという。
 Tainterは人口が増えなかった原因として、ローマ帝国下における人々の負担が大きかったことが背景にあると推測している。複雑な社会を維持するために多額の税を課した結果、負担に耐えられないものたちが逃げ出した例もあったそうで、複雑さを維持するための投資が増えすぎた結果としてそれが人口減をもたらす圧力になっていたそうだ。人口が増えない結果、残された人々への負荷はさらに増すという負のスパイラルも働いた。
 で、気になるのが現代社会における人口増のペースが鈍っていること。日本は既に人口減に突入しているが、その大きな要因の一つとして複雑な社会で生きていくのに必要な教育費の負担がかなり増えていることにあると考えられる。こちらでも書いたように、子育て費用はかつてに比べれば大きく増えており、特に先進国ではその負担が重く、結果として生む子供の数自体が減っていることは確かだ。
 今の時点ではまだ新興国や途上国での出生率が比較的高いため、世界全体ではまだ人口が増えている。しかし、この世界人口についても、足元の予測よりもっと早く減り始めるのではないか、との指摘が出てきている。この本でも「農業社会では子供は『投資』だが、都市においては子供は『負債』」と指摘しているそうで、都市に拠点を置く現代の複雑な社会が、その構成員にとって多大な負担を強いている様子が窺える。
 世界全体で人口が減る時代になれば、それはいわばローマ帝国末期のような複雑な社会の負担に世界中が喘ぐことを意味するようになるのかもしれない。ローマ時代なら帝国の外、蛮族の住む地域へ逃げる手段もあっただろうが、今の地球にそうした場所はない。負債となる子供を作ることを避ける人が増えれば人口は減り、その少ない人口にさらに負担がのしかかる。それでもさらに収穫逓減が続くのなら、Tainterが予想したように世界が横並びで崩壊する場面が来る、のかもしれない。
 とはいえ、足元で到来している永年サイクルの危機フェーズがいきなり世界的な崩壊につながる可能性はさすがに少ないだろう。少なくとも足元ではまだ世界人口は増えている。それに人口が減った後もローマ帝国は数世紀は持ちこたえた。2050年に世界の人口が減少に向かうとしても、それが崩壊につながるのはおそらくもっと先だ。私は生きていないし、現在生きている人もほとんどそのころには存在していないだろう。というわけで色々と予想はできるが、現時点でそれを心配するのはあまり意味がない。
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