章立てを見ると最初に複雑な(あるいはそれほど複雑でもない)社会のうち崩壊した事例を紹介し、続いて「複雑な社会」の性質を論じ、それから「崩壊」の原因に関する過去の様々な理論について順次紹介する、という順番で話を進めている。問題はこの時点で本文全体(200ページ強)の半分近くを占めていること。Tainter自身の崩壊理論について語り始めるまでの「前置き」が、妙に長いのである。
もちろん、参考になる話もある。例えば社会における複雑さの度合いについての話。この本が書かれた時点で、複雑さという観点からすると
chiefdomと
stateの間にはかなり重要な違いがあると認識されていたという。以前、
2つのクラスターなどでSeshatのデータを使った分析で社会の複雑さが大きく2つに分かれていることを指摘したが、Seshatができる前から研究者はその傾向に気づいていたわけだ。
また、社会が複雑さを増す要因として、Tainterは2つの学説を紹介している。1つは階級闘争の力学がもたらすという考えで、もう一つはそうした対立関係より社会全体を統合する目的のために複雑さが増すという考えだ。こちらもまた前に紹介した
「反穀物の歴史」が典型的な前者の学説だと考えると、なかなか興味深い指摘である。「反穀物の歴史」が目新しい視点を提供したものではないことを示す一例だろう。
一方で、役立つというよりここまで詳しく紹介する意味があるのか首をかしげる例もある。典型例が第3章の「崩壊」に関する過去の学説紹介。数多くの学説をいくつかの類型にまとめて紹介しているのだが、まとめてもなお11種類もあるのが問題。順番に資源の枯渇、新しい資源、カタストロフ、環境に対する不十分な反応、他の複雑な社会、侵入者、紛争/対立/マネジメントの失敗、社会的機能不全、神秘的な要因、出来事の連鎖、経済的説明とに分けているのだが、正直多すぎて混乱する。
中でも問題は神秘的な要因Mystical factorsの部分だ。具体的に取り上げているのは
シュペングラーや
トインビーの学説で、個別学説の中では最も長々と説明しているのだが、最終的にTainterはこの学説をほぼ全面否定している。そもそも主観的であり、科学的な説明に値しないというのがその理由であり、それ自体に異論はないのだが、そこまで否定するならそんなに長く説明する必要があったのだろうか。もっと門前払いでよかったように思う。
後半は自説の説明が中心になる。第4章の収穫逓減については彼の説でも最も重要なところであり、数多くのグラフを使って実際に収穫逓減が起きている様子をくり返し説明しようとしている。PCがまだそれほど普及しておらず、インターネットはほぼ生まれる前だった時代に、これだけ多くのグラフを採録したという点は評価すべきだろう。ただし、ここで出てきているグラフはほぼ戦後の、つまりこの本が書かれた時期から見ればほぼ同時代のデータだけで、Turchinのように過去の歴史に遡ったデータ作成を行っているわけではない。
というか歴史上のデータに照らし合わせて自説を検証するという作業については、Tainterはほぼ放棄している。数字を集めるのが無理という理屈で、代わりに西ローマ帝国、古代マヤ文明、及びチャコ文化という個別事例についてナラティブに紹介し、それが「収穫逓減」という自説と平仄があっていることを示す手法に頼ったと書かれているくらいだ。
この部分は個人的には少し不満が残ったところである。もちろん1988年という時代を考えると、データを使った分析を実行するのが今より困難だったのは理解できるし、それぞれの時代の専門家もまだそうした分析にあまり踏み込んでいなかった時代だったと推測できる。それでもせめてどれか1つの事例くらいは、そうしたデータの収集と分析を試みてくれれば、一層読み応えのある本になっていただろう。
第6章は最後のまとめだが、その中でも最後の節で現代にこの「崩壊学説」を当てはめるとどうなるかという考察をしている部分が面白い。彼によれば現代でも同様に収穫逓減が各国で生じており、これは崩壊へと導く要因になり得る。ただし現代社会は複数の国家が同じように複雑さを高めあっている時代であり、なおかつそれぞれの国家の周辺に権力の空白地が存在しない時代である。そうするとどうなるのか。
過去の例だと複数の国家が競争しながら複雑さを高めていた社会は、マヤやミケーネ文明のように横並びで収穫逓減が進み同時に崩壊するか、中国の戦国時代のようにどれが1つの国が勝利した後で今度はその国において収穫逓減が進むという展開のどちらかを進んでいる。Tainterによれば崩壊する国家の周辺には「権力の空白地」が存在する必要があるそうで、今の状態で例えば1国だけが崩壊に向かってもその国は周辺のまだ余力のある国に吸収されるだけになる。だから崩壊するなら全部まとめてであり、そうでなければ崩壊した国が隣国に併合される流れになるというわけだ。
Tainterは近くどこかで崩壊が起きるとは言っていない。マヤやローマがそうだったように、収穫逓減が始まった後も複雑な社会は数世紀にわたって生き延びている。産業革命以後の収穫逓減が20世紀から始まっていたとしても、足元は減っていく見返りを少しでも増やそうと悪戦苦闘している時期であり、それが手に負えなくなる局面はもっと先である、と考えているのかもしれない。
Tainterの理論は、Turchinの
永年サイクルよりさらに長いタームを対象としている。ローマの事例では共和制から元首制、専制政治に至る(永年サイクルで言えば3サイクル分の)長期を対象としているし、マヤ文明についてもトータル1000年に及ぶ期間を分析して収穫逓減の議論を説明している。
だとすると、Tainterの唱える収穫逓減、というか限界収益は、イブン・ハルドゥーンが唱え、Turchinも使っている
アサビーヤに代わる概念として使えるかもしれない。アサビーヤという概念はかなり抽象的であり、客観性を持った定量的な分析が難しいアイデアだ。Turchinは一応、
ソーシャル・キャピタルという言葉も使って説明しようとしているが、それでもデータとして扱うのが難しそうな概念であることは否定できない。
だがこれを限界収益に置き換えてみたらどうだろうか。限界収益が増える、あるいはせめて横ばいを維持している状態であれば、その社会の構成員の多くは不満を持たずに政権を支持するだろう。Tainterは収穫逓減が政権の正統性を失わせるという議論をしているが、これこそが実は「アサビーヤの衰退」なるものの実態である、と考えても話は通じる。あとついでに、Turchinが使っているマルチレベル選択なる怪しげな理論を持ち出さずとも、収益のプラス度合いというより説得力のある理屈を基に議論ができるようになる。
さらには
メタエトニーという、Turchinの議論の中で最も弱い部分も、限界収益に置き換えてしまっていいかもしれない。大きな帝国が衰退し、辺境の小さな集団がやがて新たな中核へと育っていく流れについてはTainterの本でも紹介されているが、これも「限界収益が減少している帝国」と「限界収益拡大中の辺境集団」という切り口にしてしまえば、メタエトニーなる概念を引っ張り出すことなく説明ができそうに思える。
またもう一つ、こちらはTurchinとは無関係だが、以前紹介した
「都市化が十分に進むと成長が鈍る」という話も、また同じ切り口で考えられるかもしれない。複雑さへの投資が増えていることを示す一つのメルクマールが都市化だとすれば、投資が増えるに従って限界収益が減っていく流れが、高い都市化と低い成長率との関係に表れていると見ることもできそうだ。
というわけでこの「限界収益」と「収穫逓減」を使ったTainterの説明は、実にいろいろな形で応用できそうに思える面白い議論である。もちろんこの議論がどこまで正確かについては定量的に調べる必要があるはずだし、それまではあくまで仮説でしかない。それでもこの切り口で考えることで、色々と新しい見方が可能になる。いい本を読んだ。
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