複雑な社会の崩壊 上

 Joseph TainterのThe Collapse of Complex Societies読了。以前こちらのエントリーでSeshatのデータをもとに複雑性が低下した事例を紹介したが、この本は複雑な社会の「崩壊」に共通するメカニズムについて記したものだ。初版は1988年に出たそうで、つまりGoldstoneの本よりもさらに前の出版だが、英語圏では現在でも社会の崩壊について重要な視点をもたらした書物と見られているようだ。
 彼の議論の中核にあるのは「収穫逓減の法則」だ。彼によれば人間社会とは問題解決のためのシステムであり、また社会政治的なシステムはその維持のためエネルギーを必要とする。複雑な社会は問題解決のため社会政治的な複雑さへと投資を続けることになるが、簡単に解決できる問題は初期のうちに解決されてしまい、時とともに残るのは困難な割に解決しても見返りの少ない問題ばかりになる。その結果、ある時点で限界収益が減少へと転じ、投資に対する見返りが減っていくことになる。それが最終的に崩壊をもたらす要因として働く、という理屈だ。
 どういうことか。ある社会は特定の問題、例えばその社会の成員を食べさせ、再生産させるという問題を解決するために作り上げられる。もしかしたら最初は単に家族で協力して狩猟採集をする、という程度の解決策かもしれない。この単純極まりない社会は、食糧生産のための投資は行わず、環境の中で生まれる余剰を奪うだけのコストで問題解決を図っている。
 でもそれだけでは足りなくなることがあるだろう。やがては農業のような形で自ら生産活動にいそしむ必要が生まれるかもしれない。それでも最初は焼き畑農業のようにあまり労働集約的でない方法を使い、コストをかけずに収益を上げる方法を社会はまず採用する。しかし事態がうまく回り人が増えれば、やがてそんな方法では必要な食料を得られなくなる。より労働集約的な農業が必要になり、社会はより大きく複雑になって複数の家族が協力しながら仕事をするようになる。
 それでも問題は続く。今度は農地に向いていない地域まで耕作地にしなければ人が養えなくなるかもしれない。もはや共同作業だけではなく、灌漑や治水といったより階層的な社会制度が必要とされてくる。問題解決のためにかけるコストはさらに高まる一方、もともと農業に向いてない土地で無理やり耕作を行うわけだから、投入コストあたりの収益は低下する。収穫逓減だ。生産量全体を増やすことはできるのだが、投資効率は悪化する。社会全体にとっては負担に比べて見返りが少ないという不満がたまっていく。
 さらに問題が重なると、事態はより悪化する。そのうち見返りがなく、単に現状を維持するためだけに多額の投資が必要な局面にまで進むと、もはや複雑な社会を維持するメリット自体が構成員にとって存在しなくなっていく。社会が問題に耐えかねるか、あるいは構成員がそのような社会に留まるメリットを見いだせなくなった時、複雑な社会は崩壊する、というのがTainterの理論だ。

 限界収益の減少について彼は農業だけでなく、情報処理や教育のような社会的な専門化の進展、全体的な経済的生産性といった様々な切り口で収穫逓減が観測できると主張している。複雑な社会は問題解決に際して低コストで収益の高い手法をまず採用し、それから徐々によりコストが高く、収益の低い手法をやむを得ず取るようになっていく。収穫逓減の法則が成り立つ限り、どんな社会であってもいずれは問題解決能力が低下し、複雑さへの投資の見返りが減少していく。
 そうした実例としてTainterが紹介しているのが、歴史上の3つの「崩壊」例だ。まず1つは有名な西ローマ帝国の崩壊。と言ってもTainterの分析はローマ帝国全体に及んでいる。
 彼によると共和制ローマは収穫逓減を回避するための方策、即ち領土の拡張がうまく回っていた時代ということになる。農業社会におけるエネルギー源は土地が中心であり、その土地を増やすことで共和制ローマは問題解決に必要なエネルギーを常に取り入れてきた格好になる。実際には新たに併合した土地の収益によって次の戦争の経費が賄えるほど効率の良い限界収益を彼らは得られたそうで、この時期にローマ市民は税を免除されたほどだった。
 しかし領土はある範囲以上には広げられない。というかある範囲を超えると得られる限界収益よりそのための投資の方が高くつくようになる。こうした一種の成長限界に達したのが共和制の末期であり、そこで問題解決のためローマが採用したのが元首制だ。これまで侵略した土地からの上りを使って軍隊を維持していたのをやめ、既にローマの領土になった地域からの税収で軍隊を賄う方向へと切り替えた。ただしローマの税収は実際には軍を維持するには決して十分とは言えず、皇帝たちは常に収入確保に苦慮していたらしい。
 それでも過去の蓄積がある間は何とかなった。国家の財産を売り払うといった方法で収入を賄うことができたためだ。でもそれが使えなくなったころからローマの政情は悪化し、2世紀半ば以降は混迷の時代を迎える。そこで登場したのが専制政治。軍隊を賄い、広大な帝国を維持するためだけに、住民からとにかく多額の税を搾り取る仕組みが作られた。疫病で減っていたローマの人口には、もはや拡大することもない領土を単に維持するためだけに多大な負荷がかけられるようになった。
 5世紀に入ると、もはやローマの人々はこの帝国を支えるより、蛮族の支配下に移る方が得であるようになっていた。実際、西ローマに入り込んで王国を築き上げたゲルマン人たちは、ローマ帝国よりはるかに低コストで国家運営を行い、それでいて例えばアッティラを撃退するなど得られる収益は結構高い水準を確保した。人口が多く豊かだった東ローマはそこまで行くことなく、既存のローマ帝国というシステムの修繕によって維持できたが、西ではローマという複雑な社会そのものを放棄する方が、経済的にずっと合理的である、という状態が発生していたわけだ。
 Cliodynamicsに載っているThe Growth and Decline of the Western Roman Empireという論文では、モデル計算を基にローマはマルクス・アウレリウス帝の時代に軍と領土を半分に減らすべきだったという結論を出している。この論文ではTainterの本にも触れているが、ローマ帝国が元首制のピーク、つまりPax Romanaの時代から既にシステムとしては限界に来ていたという見方は割とよく見られるようだ。

 Tainterが次に取り上げている事例は、古典期マヤ文明の低地南部における「崩壊」だ。この部分で興味深いのは、古代マヤ文明を普通に政治的な争いに満ちた社会であったという前提で分析している部分だろう。何しろマヤ文明といえば、かつては変なニューエイジの影響で「平和的な農民と聖職者たち」のいたユートピアのような社会という認識が広く見られていたのだが、Tainterはそうした観点を全く採用せず、むしろ捕虜の虐待を敢えて見せびらかすような社会だったと指摘している。
 足元でこそ戦争に絡む遺跡がマヤで数多く見つかるようになり、かつてのような浮世離れした歴史観もほとんど消え去っているが、20世紀時点の書物でここまで殺伐な描写をしているのは注目すべきかもしれない。Tainterによればマヤの各地は自然環境が似通っており、人口増による問題を解決するには軍事面を強化するという方向で複雑さを増すのが最も効果的だったのだが、その方法がやがて収穫逓減に見舞われて最後は崩壊に至ったという。
 3つ目の事例が、プエブロ文化の遺跡が残る米南西部のチャコ・キャニオンだ。こちらはマヤ文明と異なり、環境の多様性が大きいサン・フアン盆地に広がった文化だそうで、その多様性の大きさゆえに戦争より交易を中心に栄えたという。ある地域で作物の収穫が少ない年は、環境の異なる別地域ではむしろ収穫が増える可能性が高く、交易によってそうした豊凶の差を埋めることで参加者全員が利益を得ていた。
 だがここでも収穫逓減が生じた、とTainterは主張している。彼らの文化が成功を収め、人口が増えた結果、あまり環境に差のない地域の住民が増え、異なる環境を持つ地域を結ぶことで得ていたメリットがどんどん失われたそうだ。戦争という強制がなかったため、メリットが失われるとこの文化に加わっていたメンバーはすぐにそこから離脱するようになる。そこに旱魃が訪れ、一時は大規模な建造物で彩られたこの文化は、やがて崩壊を迎えたという。

 以上が、TainterのCollapseに関する簡単な説明だ。感想については次回に。
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