だが黒人選手はあくまで少数派だった 。Pollardがリーグにいた1926年まで、NFLに所属していた黒人選手は計9人にとどまっていたという。その状況は1927年以降はさらに厳しくなり、1933年まではさらに少数の黒人選手しかリーグに存在しなくなった。同時期にネイティブアメリカンやアジア系、ヒスパニックなどがリーグに入ってくるようになったのに比べ、黒人選手の立場は厳しくなっていったようだ。
状況が変わったのは第二次大戦後。ロサンゼルスへ移転したRamsが2人の黒人選手を雇用したのが始まりだ。同時に対抗リーグのAAFCでも2人の黒人選手がチームに入っている。このあたりの経緯は
こちらのblog を見てもらうといいだろう。それまで明文化されてはいないが紳士協定的にリーグから排除されていた黒人が、再びプロの表舞台で活躍できるようになった。
だが今回取り上げるのはそうした足元へとつながる変化ではなくその前の時期、具体的に言うとそれまで存在していた黒人選手がリーグから消えるようになった1930年代の話だ。それ以前は少数ながらもプレイしていた彼らが、時代が下るにつれて暗黙の了解の下にリーグから追い出されるという流れがあったという事実は、現代の我々から見ると意外に思えるだろう。時間とともに人種差別が弱まってきたという直線的な歴史観からすると、むしろ時間とともに人種差別が強化されていたという事実は想定外すぎる。
しかしこの意外な流れは、当時の社会全体を見ると実は意外ではなかったのかもしれない。少なくともそうした動きを見せたのがNFLのみであったと考えるのは、おそらく間違い。当時は他の分野でも黒人などマイノリティーを排除する動きがあったのだという。その狙いは、実は「エリートの過当競争」を抑制することにあった。
Turchinの
Ages of Discord では20世紀初頭にStructural-Demographic Theoryに従った流れが逆転し、それまでの解体局面disintegrative trendsが統合局面integrative trendsに転じた場面で何が起きたかについて色々と記している。彼が最初に紹介するのは上流階級による「地固め」だ。彼らは主な都市において「紳士録」を作り、誰が上流階級に属しているかについて明確にし始めた。
次に生じたのが、世紀の変わり目に起きた
「大規模合併運動」 である。大企業が互いに合併することで市場の寡占体制を守ろうとするのが狙いであり、つまりこの動きはエリート内競争の抑制を図るものだった。実際には合併しても常に新しい挑戦者は現れたし、その意味で効果は限定的だったのだが、当時のエリートたちが既得権益を守り、メリトクラシーの効果を減らそうとしたことは確かだろう。
米のビジネスエリートたちは合併だけでは競争抑制に不十分だと判断すると、今度は政治家を引っ張り出すようになった。政府に主導権を取らせることで、過当なビジネス競争を減らし、自分たちの立場を固めようとしたのだという。政府はこの要望に応える形で様々な競争抑制策を導入していった。進歩主義時代の改革には、こうした側面もあったようだ。
移民の抑制も大衆の生活向上を狙ったものではない。実際、19世紀の米エリートたちは移民を「黄金の流れ」と呼んで歓迎していた。だが20世紀に入ると移民の流入は労働争議を増やす傾向が強まってきた。特にイタリアからのアナーキスト、東欧からのボルシェヴィキ移民の流入は、むしろ自分たちにとってもマイナスだと米のビジネスエリートたちは考えるようになった。大衆の生活向上より、自分たちを巻き込むトラブルを避けるという狙いから、エリートたちは移民抑制に賛成するようになった。
そして最後に起きるのが、一部の人に対して出世街道を閉ざす政策だ。例えばハーバード大は20世紀初頭までは多様な学生を受け入れており、1908年には29人の黒人や多くのマイノリティーがそこで学んでいた。1925年にはユダヤ人の比率が28%に達したほどだったという。だがその後、彼らマイノリティーに対する門戸は急激に閉ざされていった。1933年にはユダヤ人の比率は12%まで低下。他のマイノリティーの数も減り、有力大学は社会の支配層である「白人プロテスタント」中心の構成に変化していった。
米国は表立っては階級制度を取っていないが、この時に採用されたのは階級間の垣根を高くする方策だ。有色人種やカトリック、ユダヤ人は、エリートへの資格と見なされていた大学での教育を拒絶された。各大学は受験の成績よりも、望ましい「性格」を理由に学生を選ぶようになり、医学校や歯科の学校は数を減らし卒業生が少なくなるよう調整された。
メリトクラシーを捨て、一種のアリストクラシーへのシフトが起きたのである 。
そう考えると、NFLでの変化もそうした社会的な流れの中で把握した方がよさそうに見える。成功しているプロリーグは、そのスポーツを行っている選手たちの中でもエリートが所属する舞台だ。アメフトの中でNFLがエリートの集まりだとしたら、そのエリートたちの過当競争を避けるために黒人排除という不文律ができたと考えることも可能。何しろ世の中全体がそういう方向に舵を切っているのだ。世論に左右されることが大きい人気商売にとっては、流れに掉さすのは当然だったのかもしれない。
皮肉な話だが、米国の歴史を見る限り解体局面から統合局面への転換は、社会的な流動性の低下と社会階層の固定化が進んだ時代と解釈することもできる。確かにこの転換後にエリートの収入割合が大衆に比べて低下し、それによって格差の縮小は起きた。だがその格差の縮小は、大衆・エリート双方への新規参入を減らし、門前払いすることによって成り立っていた、とも考えられる。
今のように動揺し混乱している時代から見ると、安定し対立関係の少ない社会は望ましいようにも見える。でもその安定が、白人プロテスタントという特定の階層のみにエリートへの道を約束するという「機会の不平等」によって支えられていたのだとしたら、果たしてそれは追い求めるべき社会なのだろうか。
こちら で紹介した「われらの子ども」の中でも、Turchinの言う「好感情の時代その2」である1950年代が、有色人種にとっては寧ろ批判の対象であった点が指摘されている。「不和の時代」は、かつて差別されていた層にとってはむしろ「チャンスに溢れた時代」なのかもしれない。
少なくともNFLの観客にとっては、マイノリティーにも広く門戸を広げた状態の方がいいプレイを見られるという意味で、今の方が望ましい時代だろう。MahomesもLamar JacksonもいないNFLを今から思い浮かべろと言っても、客としては「無理」という他にない。我々「現代のコロシアム」の見物人は、むしろ果てしなく競争が煽られる不和の時代の到来を喜ぶべきなのかもしれない。
スポンサーサイト
コメント