Turchin本 下

 前回、TurchinのAges of Discordの中で紹介されているデータにはなかなか面白いものが多いと指摘した。今回はその具体例を見てみよう。

 米国の事例として最初に出てくるのは出生率と死亡率だが、Turchinがより重視しているのはもちろん移民だ。中でも米国人の中に占める外国生まれの割合というのをよく使っている。1830年まで低かったこの数値は1840年から急上昇し、1860~1920年の間は15%弱という極めて高い水準を続けている。この期間は米国における1回目の永年サイクルの解体局面disintegrative trendsとほぼ一致しており、労働力の過剰供給が米国におけるサイクルを決めているというStructural-Demographic Theoryを裏付けるデータとなっている。そして足元でこの数値は1970年を底に再び上昇しており、違法移民を加えれば再び外国生まれが15%近くに達している。
 次に出てくるのが実質賃金だが、Turchinはこのデータをあまり評価していない。米国の18世紀末からの実質賃金データは右肩上がりか横ばいの両方しかなく、低下局面は存在しないように見える。しかし、例えば19世紀の大衆は都市化の過程で家賃の高い都市部に住む割合が増えていたにもかかわらず、デフレーターにそのあたりがうまく反映されていないというのがその論拠だ。代わりに彼は賃金を1人当たりGDPで割った相対賃金を利用しており、それによると大衆の取り分は19世紀から20世紀初頭にかけて低下している。
 この相対賃金以外にもTurchinは大衆の生活状態に関連する様々な指標を探し出している。まずは身長。子供時代の栄養状態と相関しているこの指標は、1830年に10歳だった者たちの成人後の平均が173センチを超えていたのに対し、1890年に10歳だった者たちの成人後は169センチ前後にまで低下していた。同じく平均寿命も取り上げているが、こちらは19世紀後半にかけて56歳から48歳まで実に8歳分も下がっている。Turchinが実質賃金の数値を疑っているのも、寿命自体が縮まるような社会環境において賃金が下がらなかったことに違和感を感じているためのようだ。
 生活状態そのものの反映ではないが、将来の生活を見越した結果の数字として紹介されているのが初婚年齢。生活状態の見通しがいいほど早く結婚するという傾向を生かしたデータだ。普通に初婚年齢の中央値を取った数字の他に、50歳以前に結婚した人間の平均独身期間についてまとめた数字も載せているが、どちらも傾向は同じ。19世紀の間は右肩上がり(つまり初婚年齢上昇)で、世紀の変わり目から低下し、1960年を底に再び急上昇している。
 本の表紙にも採用されているグラフに載っている青い線(Well-Being Index)は、移民、相対賃金、身長、平均寿命、そして初婚年齢のデータを組み合わせた平均値だ。好感情の時代にピークを迎えたこのデータは、20世紀初頭までずっと低下を続けている。1910年頃から上昇に転じたものの、1960年をピークに再び低下し、足元はまた低い水準で留まるようになっている。それだけ大衆の困窮度が高まっているわけだ。

 それでも大衆のデータは全国民を対象としたものを流用できるため、比較的集めやすい。それに比べると面倒なのはエリートの過剰生産やエリート内競争を示すデータの取得だろう。Secular Cyclesで取り上げていた中世末期や近代初期の欧州諸国のように身分制国家であれば、直接的に貴族の数を数えるという方法で対応することもできるが、米国は建前上、身分制度を取っていない。民主主義国家におけるエリートの動態をどうやって把握するのか、という問題が生じる。
 Turchinが最初に探してきたのは、トップ1%が所有する富の割合だ。ピケティなどがそうしたデータを出しているが、Turchinは他の研究者のデータを紹介している。問題はピケティもそうだが、データの大半が20世紀以降に絞られること。19世紀のデータはあっても粒度が粗すぎて、1回目の永年サイクルの流れを把握するには向いていないのだ。
 そこでTurchinが使ったのがExtreme Value Index(EVI)という手法。1790年から20~25年ほどの期間ごとに「米国で最大の資産」がいくらだったのかをまとめた資料を見つけ出し、それが労働者の年間賃金の何倍になるかをまとめたものだ。資産と所得という性質の異なるものを比較している点において厳密さには欠けているが、大きな流れを知るうえでは便利な手法だと考えているようだ。ちなみに図示する際には指数関数グラフを使っている。
 ただしこの手法はかなり乱暴なことも事実。そこでTurchinは100万ドル以上、500万ドル以上、1000万ドル以上など、一定額以上の資産を持つ世帯割合を調べ、時代ごとのその推移がEVIの推移と整合しているかどうかについても調べている。基本的に整合しているというのが結論だ。
 次にエリート内競争の指標として使われるのが高等教育だ。この手はGoldstoneも大いに活用しており、Turchinも様々な方法を模索している。一つは人口当たりのロースクールへの入学割合であり、またそこから派生して人口当たりの弁護士数も調べている。しかし彼が最終的に活用したのはイェール大ロースクールの授業料だ。なぜイェール大なのかといえば、かなり古い時期まで遡れるデータが残っていたのがそこだったから。彼はこの授業料も年間労賃と比較し、その推移を調べている。
 最後にエリート内競争のデータとして使ったのが、議会内の両極化を示す指標だ。こちらについては先行する研究者が詳細なデータをまとめており、そのデータをほぼ丸ごと使用している。1820年代にはほとんど投票に差異がなかった米議会だが、その後は差異が広がり1910年頃には両極化が最も進んだ。その後、流れが変わって差異が小さくなる時代になったが、1950年代から次第に差異が拡大し、足元では1910年頃よりもさらに両極化が進んでいるという。
 以上、Turchinは経済的格差、ロースクールの授業料、議会の両極化という3種類のデータを使ってエリート内対立の指標としている。出来上がったグラフを見ると、大衆の生活状態とちょうど逆のサイクルを描いている様子がよく分かる。大衆が苦しんでいる時、エリートは過剰生産による内部競争の激化に見舞われているわけだ。

 さらに政治ストレス指数を構成するもう一つの要素、国家財政難(SFD)に関連するデータだが、Turchinは1回目のサイクルにおいてSFDを無視している。当時の政府歳入が戦争の時期を除くとGDPの4%未満しかなく、社会全体への影響が限定的だったからだ。もちろん2回目のサイクルにおいて財政は重要な要素となっている。
 SFDにはもう一つ、政府に対する不信度も算入している。主に使われているのはPew Research Centerによる世論調査だが、彼らが「政府をどのくらい信用しているか」という調査を始めたのは1958年からであり、それ以前のデータは存在しない。そこでTurchinが使ったのが、地名と観光というかなりの変化球だ。
 地名(郡名)は、特に新しく入植した場所にどのような名がつけられたかに注目している。独立前は英国人の名前を冠したものが多かったが、独立後は米国人の名が増え、それも当初はローカルな著名人と国家的な著名人(ワシントン、ジェファーソン、フランクリンなど)の両方が使われていた。しかし1830年以降は国家的著名人名の使用は減っていき、ローカルな著名人の名前を使う頻度が増える。この推移がある意味で国家への信用度を示している、という理屈だ。
 しかしこの方法はフロンティアが存在していた時代までしか使えない。そこでもう一つの手法として使われるのが、国家的な出来事に関連する観光地への来訪者数だ。特に代表的な例として取り上げられているのが初代大統領ワシントンのプランテーションがあったマウントバーノンへの来訪者。人口に占める来訪者数は1920年頃から大きく上昇してきたが、1960年頃からは右肩下がりになっている。

 上記のデータ以外にも不安定イベントの数、19世紀前半におけるマサチューセッツ、コネティカット、ニューヨーク、ニュージャージー州の都市及び農村人口の推移、医学校や歯科の学校数、自殺率、婚姻率、フィリバスターなどエリート内競争を示す事例、GoogleのNgramを使った「協力」「企業の貪欲さ」といった用語の使用頻度、貿易収支の労働需給への影響、医者や弁護士の増加などなど、この本には多数のデータがある。
 Turchinの議論で私が一番興味を持っているのは、このデータの部分だ。興味深い数字が次々と出てくるところは実に楽しい。次にデータを基に将来予測を立てるところが面白く、それに比べるとモデル化の部分についてはそれほどの関心は持っていない。もちろん、あくまで個人的な好みの話にすぎないし、別の人が彼の本をどう読むかについてどうこう言うつもりもない。それぞれの読者が自分なりの面白ポイントを見つけて楽しむ、というのが読書のいいところだろう。
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