全部で600ページ超、参考文献や索引を除いた本文だけでも500ページほどに達するボリューミーな本で、そのためペーパーバックの割に重い。物理的に。読んでいて手が疲れる本である。当初は単行本しか出版されなかったそうなので、おそらく読者はいかにも学術本らしい、より重い本を読まされていたんだろう。ちなみに25周年版を購入したのはそちらの方が中身が新しいという理由もあるが、最大の理由は単に安かったから。
本の中身は大きく6つの章に分かれているが、そのうち1つの章で全体の3割を超えるものがあるかと思えば、40ページ弱しかない章もあるなど、かなりバラバラ感がある。
まず第1章は革命に関する執筆当時の学説紹介が中心。Goldstoneによれば当時は引き続きマルクス主義的な観点が強かったそうで、つまり資本主義が発展する中で旧来の封建的貴族と新しく台頭してきた資本主義的なブルジョワの間の闘争が革命である、という学説だ。Goldstoneに言わせればマルクス主義的な説明は、いわゆる下部構造を重視した物質主義的な説明であり、また歴史が特定の方向に一直線に進むという長期的な観点に基づく理論だそうだ。
しかしその説明に対する異論も出ていた。Goldstoneの本で取り上げている英国革命(清教徒革命)やフランス革命は長期的な変化に基づく構造的要因から発生したものではなく、より短期的な、言ってしまえば「為政者の失敗」によって発生した突発的出来事だった、という主張が当時歴史学者たちから唱えられるようになっていたという。また物質的要因を重視するマルクス主義的な説明に対し、文化的な要因こそが革命をもたらしたとの指摘もあったそうだ。
それに対してGoldstoneが主張したのは、決して短期的、突発的な出来事ではなく、構造的な要因があること、しかしそれはマルクス主義が主張するような「資本主義の発展」という構造変化ではないこと、歴史の一方向への変化ではなく、サイクルを描くような変化こそが、革命の背景に存在すること、などだ。Goldstoneは英国革命やフランス革命を、オスマン帝国で17世紀に起きたジェラーリの反乱、さらに中国における明の滅亡と並べ、いずれもstate breakdown、国家の破綻と定義している。
第2章からは具体例だ。まずは英国革命について紹介し、さらに同時代にフランスとスペインで起きた騒動についても比較のために載せている。ここでGoldstoneは初めて政治ストレス指数(PSI)を計算してみせている。彼の理論はもちろん人口動態が背景にあるという内容だが、それがまずは物価(特に食糧価格)に影響し、ひいては国家財政の機能不全、エリートの流動性と競争、そしてMMPの増大をもたらすという理屈になっている。TurchinはエリートについてEMPという言葉を使っているが、Goldstoneの本を見る限りそうした言葉はまだ使われていない。
最も長い第3章は170ページほどもあり、主にフランス革命を取り上げている。おそらく先行研究が最も豊富な分野であり、だからこそ事例紹介がここまで詳しく記されているのだろう。また19世紀前半に欧州を揺るがした革命的な状況についても分析しており、そこでは比較のためにフランスだけでなく英国、ドイツの情勢にも触れている。PSIもフランス革命直前までの時期と、19世紀前半における3ヶ国のデータがそれぞれ載っている。
第4章は西欧の革命と比較した同時代のアジアにおける国家破綻の事例だ。具体的には17世紀のオスマン帝国、特にアナトリア地方で起きたジェラーリの反乱と、李自成の乱によって滅んだ明について、同じく人口や食糧価格、財政、エリート競争、大衆の困窮といった切り口で説明している。ただし具体的なPSIの計算は行っていない。またこの章では19世紀のオスマン帝国、清で起きた困難についても同じような背景があることを指摘している。
さらに日本の明治維新についても述べているのだが、他の国家破綻がいずれも人口増をきっかけに起きているのに対し、明治維新は人口が長期にわたって停滞した後に生じている。Goldstoneによるとそれは国家財政やエリート収入が金銭ではなく現物(つまりコメ)支給だったことが原因だそうだ。人口増で食糧価格のインフレが起きると金銭収入を得ている人は苦しい立場になるが、逆に現物支給を受けている人にとっては、人口が停滞しデフレが起きる方が事態の悪化につながるという理屈だ。
第5章では革命に関するイデオロギーや文化的なフレームワークが果たした役割について触れている。そうした精神的な条件が影響を及ぼすのは国家破綻が起きた後だ、というのがGoldstoneの主張。特に西欧やその影響を受けた革命(中国の共産主義革命など)は、終末主義という文化的なフレームワークに伴うイデオロギー的な特徴を持っているという。終末主義とは要するに歴史が最後の審判に向けて一方向に動くという概念であり、そのフレームワークの中では「新しいものほど望ましい」という価値観が生じる。革命において従来とは異なる価値観が示されれば、革命の直接の結果が単なる王政復古であったとしても、その価値観は長期にわたって影響を及ぼす、という理屈だ。
一方、オスマン帝国や中国ではよりサイクル的な歴史観が強かったという。前者ではイブン・ハルドゥーンに代表されるイスラム的な歴史観が論拠になっている。結局一回りして元に戻るという歴史観の下においては、むしろ過去への回帰こそが望ましいという価値観が強く生まれ、国家破綻の際にもそうした価値観の下に対応がなされることが多い。結果、新しくできた政治体制が以前のものと大きく違っていたとしても、人々は引き続き新しいものを拒絶するような価値観の下で生きることになる。
ここでも日本は例外であり、明治維新は復古を唱えながらその下で新しい社会を作り上げたように見える。ただしGoldstoneはその理由について、ジェラーリの反乱や明の崩壊の際には以前からの中核的なエリートが国家破綻後も引き続き主導権を担ったのに対し、明治維新では下級武士という周辺的なエリートが主導権を奪ったことが理由だとしている。新しい指導者層が新しいことをしたが、価値観自体は古いものにとどまった、というのがGoldstoneの解釈だ。
最後に第6章では、まとめと今後についての言及がある。中でも面白いのは米国の今後に対する彼の懸念だろう。書き直しを行ったこの章の中でも、米国に関する部分については1991年の初版と同じ文章をわざと残しているのだが、そこでは既に所得の二極化がもたらす国家の不安定化に対する警告がなされている。特にGoldstoneが厳しく批判しているのが利己的なエリートであり、自らの税負担を減らすことにのみ汲々としている彼らの姿を、フランス革命前の貴族たちになぞらえている。
もう一つ、彼が面白い指摘をしているのは、足元と20世紀前半の世界情勢との対比だ。「歴史は繰り返すのではなく韻を踏む」という表現をしながら、かつて第一次大戦の後に第二次世界大戦が起きたのと同じように、第一次冷戦の後に来るのは第二次冷戦ではないかと指摘。第一次大戦の終了時に全ての戦争を終わらせる戦争という概念が唱えられたが、冷戦終結時に出てきた「歴史の終わり」という主張もそれと似たものではないかと述べている。
以上がこの本の概要だ。基本的には個別事例の研究が中心であり、その中には当然ながら色々と面白い話があるのだが、そちらは後回しにする。読んでみて、Goldstoneが唱えた人口絡みでない部分、具体的には第5章で述べたイデオロギーに関する部分に、むしろ彼の特徴が表れているように思った。Turchinが
アサビーヤというざっくりとした概念でまとめてしまったところを細かく分析しようとしているあたり、Goldstoneの方が「歴史家」的な視点に近いように思う。
もちろん短い1つの章にまとめているため、詳細については疑問を感じる部分もある。個人的には、新しいものを受け入れるという革命的(終末主義的)価値観が西洋の飛躍をもたらしたという部分は、いささかイデオロギーの役割を過大評価しすぎではないかと思った。確かに火薬絡みの歴史などを見ても、西欧の方が中国より新しいものを受け入れる土壌はあったが、それは単に西欧の政治体制が中国より分権的だったためだけであり、そして中国が集権的なのはイデオロギーというより歴史の長さと地理的要因に基づく結果ではないだろうか。
以前
こちらでも書いた通り、欧州のように地理的バリアの少ない地域は下からの組織化によって出来上がった強固なアサビーヤが重要であるのに対し、日本や中国のように孤立した地域においては上からの組織化が働きやすくなると個人的には思っている。下からの自発的活動が少ない地域では、新しいものが生まれにくい。別に終末主義的な宗教に由来するのではなく、お上の顔色を窺いつつ忖度する歴史が長かった地域とそうでない地域、という差が存在するだけのように思う。
長くなったので残りは次回。
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コメント
これ、誰かに話してカッコつけたいですw
2020/08/01 URL 編集
https://quoteinvestigator.com/2014/01/12/history-rhymes/
似たような言い回しで最も古いのは1845年に出たThe Christian Remembrancerに掲載されたロシア教会の歴史なる文章の中に収録されている以下の一文だそうです。
https://books.google.co.jp/books?id=dL8RAAAAYAAJ
「歴史は無意識にその物語をくり返し、そして謎めいた脚韻へと入り込んでいく」
p264
2020/08/01 URL 編集