戦争と農業

 以前、「帝国の広まり方」についてシミュレートした論文を紹介したことがある。その手法をさらに発展させた論文が改めてNatureに掲載された。Duration of agriculture and distance from the steppe predict the evolution of large-scale human societies in Afro-Eurasiaという論文で、前回の筆頭著者はTurchinだったが、今回はCurrieの名前になっている。
 前回の論文ではステップ地帯からの距離を基に、馬匹を使った軍事技術の拡大がimperial density、つまりある地域が帝国に支配されていた期間の長さと高い相関を持っていることを明らかにしている。それに対し今回の論文では、軍事技術以外に大規模な社会を発展させる可能性のある仮説をいくつか取り上げ、それぞれがどの程度実際の歴史と整合しているかを調べている。結論として、軍事は確かに重要なのだが、それ以外にも大規模な社会との相関が高い指標があったことが判明したようだ。
 論文で調べた仮説は、まず前の論文でも取り上げた馬匹を使った軍事技術が影響したという考え(steppe warfare)。続いて農業がより長期にわたって実践されていた地域こそ、大規模な社会を発展させるという仮説(duration of agriculture)、もしくは土地や天候などの条件から農業生産性が高いと想定される地域(agricultural productivity)も分析の対象となっている。さらに前回の論文では戦争の強度を調べるために導入された地形の険しい地域についても、大規模な社会の実現には向かないという仮説を立てている(terrain ruggedness)。そして最後に補足資料で触れられているのだが、最初の帝国が存在した地域からの距離に応じて大規模な社会が広まっていくという仮説(first empires)も取り上げられている。
 分析に際してはユーラシアのステップからの距離、農業が発展して以来の経過時間、潜在的な農業生産力、地形の険しさ、そして調査対象期間の始まりである紀元前1500年時点で存在した帝国からの距離のそれぞれについて、imperial densityとの関係を調べたという。前回の論文ではシミュレーションを走らせていたようだが、今回は各仮説と実際のimperial densityとの相関を調べるのが主目的のようだ。
 前回論文と同様、今回も主にユーラシアとアフリカを100キロメートル四方のグリッドに分割し、それぞれの地域がどのくらいの期間、帝国(領土面積10万平方キロメートル以上)の範囲内にあったかを調べている。ちなみに補足資料ではこの帝国の定義を8万平方キロや12万平方キロに変えた場合の影響も調べている(p17)が、結果は10万平方キロの場合とほとんど変わらなかったそうだ。
 他の指標についても、同様に幅のある前提を置いて調べている。一つはステップからの距離。ステップの広さについてはWWFのterrestrial ecoregionsを使って調べているのだが、最大値はレヴァントやキルギスタンの地域もステップに含めているのに対し、最小値としてコーカサス以南とキルギスタンを除いた地域に限ったケースでも調べている(補足資料のFigure S1)。
 農業の継続期間についても色々な仮説が存在するため、最良の推計値以外に最大値、最小値をそれぞれについて調べている。また潜在的な農業生産性の計算に際してはFAOの資料を活用したそうだ。地形の険しさについては高度の標準偏差を、そして「最初の帝国からの距離」は名前の通り紀元前1500年当時に10万平方キロ以上のサイズを持っていた国からの距離を出している。
 それぞれのデータとimperial densityとの相関係数はこちらの表の通り。左下がピアソンの、右上がスピアマンの相関係数だが、どちらの方法でも似たような結果が出ている。つまり、上記の様々な仮説のうち農業生産性とimperial densityはほぼ無相関であること、地形の険しさもあまり相関が高くないこと、そして何よりもステップからの距離と農業の継続期間が最も数値が高いことだ。
 農業の継続期間、生産性、地形の険しさ、ステップからの距離というそれぞれのデータを組み合わせたモデルのうち予測にふさわしいものについても調べている。数値を見ると分かるが、農業の生産性や地形の険しさは、モデルに含まれている場合でもその影響度はほぼゼロに等しく、要するに農業の継続期間とステップからの距離という2つの指標でimperial densityのかなりの部分が説明できるようだ。
 モデルと実際のimperial densityについてはこちらの図を参照。右下のresidualはモデルと現実との差を示したもので、色が赤いほどモデルが現実より高く、青いほど低くなっている。サブサハラアフリカや東欧でモデルが現実より高く、逆に中国や南アジア、イランなどは低い。論文では取り上げた仮説以外にもimperial densityに影響を及ぼしている要素、例えば利用しやすい資源の存在や、交易のような社会間の結びつきといったものがあるのではと指摘している。
 もう一つ、この論文では時とともにどの要素がimperial densityにどれだけ影響を及ぼしたかについても分析している。対象3000年間の全部ではなく、紀元前1500年から同600年まで、同1400年から500年までといった具合に1000年ごとにまとめたデータと各種仮説との関係を見たのがこちらのグラフだ。見ての通り、時とともにステップからの距離が及ぼす影響が増える一方、農業の継続期間は途中までは上昇しているものの、後半はむしろ低下を見せている。ちなみに補足資料のFigure S5ではさらに最初の帝国からの距離も入れたグラフが見られるが、こちらは予想通り時間が経過するにつれて影響が低下している。
 農業の継続期間とステップからの距離が重要というのは、この時期のユーラシア及びアフリカだから成り立つ議論だ。少なくとも後者は、馬匹のいなかった南北アメリカ大陸や、馬より火薬の重要性が増した1500年以降の世界では、おそらく影響度が低下するだろう。ただ農業の継続期間については、例えばインカ帝国やアステカ帝国が米大陸でも農業としての植物栽培が最も早く始まった地域に生まれたことを考えるなら、ユーラシア以外の地域でも通用するのではないか、と論文は指摘している。
 なお補足資料には紀元前1500年から紀元後1500年までの帝国、つまり領土面積10万平方キロの国家一覧と、それを地図に記したものが載っている(Appendix I)。地図を見ると、初期の頃はやはり帝国が少ない。例えば時折混乱に陥っていたエジプトでは、帝国と言えるほどの規模をもつ国が消えている時期もあった。だが後半に入ると帝国領となった地域が東西に広がり、さらに紀元後になるとその範囲が南北へと広がっていく様子が分かる。直線的に帝国支配地が広がっているわけではないが、それでも大きな社会がアフロ=ユーラシアで広まり続けてきたことは間違いないだろう。

 この研究によれば、大きな社会の成立には穀物を中心とした植物、及びユーラシアのステップで進んだ馬匹という2種類の家畜化domesticationが大きな要因となっていたことが分かる。もちろん他にも要因はあるとと思われるが、この2種類の家畜化が揃ってユーラシアで起きたというのは注目点かもしれない。加えてステップの位置も、農業の継続期間も、大雑把に緯度に沿って東西に伸びている(補足資料のFigure S3)。ジャレド・ダイアモンドが「銃・病原菌・鉄」で指摘した大陸の環境(家畜化に適した植物や動物の存在と、東西に長いというその形状)がその後の歴史に大きく影響したという説は、こうした切り口からも裏付けられるのかもしれない。
 以前紹介したプレプリントでは、社会政治的な複雑性をもたらす要因としては軍事的競争が大きく、農業の生産性はそれより低いという結果が出ていた。上で紹介した論文に比べると農業の重要性が低く見られているわけで、このあたりの差がどのように生まれてきたのかは気になるところだ。結局のところ大きな社会(帝国)の登場にとって農業の重要性は軍事に比べれば低いのか、それとも同程度に重要なのか。
 もちろん、引き続き戦争が重要であるという結論に変わりはない。大きな社会のためには生産活動だけではなく、グループ相互の争いも欠かせなかったというあたりに、我らホモ・サピエンスの業というか原罪みたいたものがあるのかもしれない。
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コメント

西洋史専攻の工学部生
ごきげんよう
度々このブログで触れられている大規模社会の発生についてですね。リンク先をざっと読みましたが非常に興味深い内容です。

ある時点から農業継続期間の重要性が低下する、ということは、ある種の発展的な集約的農業は社会の組織化を促進するけれども、その効果には上限があるということなのでしょうかね。低下し始める時期がアラブの勃興あたりなのでそのせいもあるのかもしれませんが。

このresidual、東欧やサブサハラが予想を下回るのは気候→低い農業生産性→低人口密度なのかもしれませんが、グラナダやカルタゴが予想を上回るのはどんな条件のせいなのか想像がつきませんね。

ていうか、このimperial density、帝国の支配下であった時期というのは自分たちが建国して征服したのか、他の集団に征服されたのか、という違いは区別しなくて良いのでしょうか。「大きな社会の形成」といっても大分差があるのでは。

desaixjp
農業継続時間の重要性の低下は、もしかしたらTurchinの言うアサビーヤの低下などが影響しているのかもしれません。いろいろと仮説は考えられるでしょう。residualにはCurrieの言うような別の仮説も影響していると思いますが、単なる偶然の要素もあり得ると思います。
imperial densityが重視しているのは大規模な社会が存在したか否かだけで、成立過程を区分する意味はないと思ったんじゃないでしょうか。むしろ下手に区分すると恣意的な分類と批判を浴びるかもしれません。

西洋史専攻の工学部生
アサビーヤ、というのはあれですか。社会的団結が強い辺境民が惰弱な文明人を征服する、というイブン・ハルドゥーンのサイクルを数式化したとかいう。
思うところは多分にあれど、大脱線になりますので別項に書かせていただきますが。あのような周期的要素を持ち出すのは少々微妙かと思われます。

考えれば考えるほど、農業継続時間の重要性が低下し始めた、ということは何か重大な歴史的背景を表しているような気がしています。
騎兵と鐙、という古典的な技術決定論はあまりにも問題含みでしょうが。

>恣意的な分類
確かに大規模な社会の成立過程の区分が難しい事例もあるかもしれませんが、ステップとの軍事的相互作用の中で形成された帝国の核と外縁部を一緒くたにするのはあまり適切ではないと思います。帝国の中心的地域というものはそれほど移動が激しいわけでもないでしょうし。

それにしても、最大の相関要素がステップ地域との戦争(と馬匹関連技術)となっているのは、Chaseなどが言うところの、騎兵の運用に適するArid-Inner Zone と大草原から遠いOuter Zoneの違いということを想起させますね。火薬兵器との比較に限らない地政学的性質だというわけですか。

desaixjp
農業継続期間の重要性について理由を考えるのであれば、何かそれを裏付けるデータがあった方が説得力が増すと思います。騎兵と鐙を論拠にするのであれば、鐙がどの時期にどこへ広がっていったかを踏まえたうえで考えると面白いのではないでしょうか。
地域の問題は「核と外縁」について客観的な基準を提示できるかどうか次第です。短い期間や狭い範囲を対象とするのなら比較的簡単にできそうですが、3000年に及ぶ期間の全てで基準を示すのはかなり難しいと思いますが。
Chaseの議論との共通点は、言われてみれば確かにあるかもしれません。それだけ馬匹という存在が人間の歴史に大きな影響を及ぼしていたのでしょう。

西洋史専攻の工学部生
仏に説法かもしれませんが、鐙が騎兵の質と量に及ぼした影響というのは微妙な問題です。
鐙普及前から高名な騎兵隊はあちこちにいたので、農耕地帯では編成できないというわけでもなく、踏ん張れず突撃に使えないというわけでも無いのでしょう。ステップ付近なら傭兵として雇う事も難しくありません。
質的変化について、鐙によって向上したとされる突撃衝力とは、おそらく物理的なエネルギー(J)のことで、騎兵突撃の主眼である歩兵への心理的衝撃は大差なかったと思われます。
量的変化については、騎乗訓練期間の短縮には間違いなく貢献し、時間・費用面で騎兵の大軍を編成しやすくなったと考えられます。遊牧民にとってはあまり関係無い事かもしれませんが。

6〜7世紀に大国の版図が大きく変動した地域で、同時期に鐙の普及があり、それが一因だと言えるかもしれないが、実際にどの程度そうだったのか、ということになるでしょうが、最後の問は定量的データによる解答は出来ないと思われます。

やっと合点が行きました。
書き忘れていましたが、私が「核と外縁」を区別しないのか、と疑問に思ったのはTurchin氏が辺境強度なるものを分析で用いていたこともあります。あの概念を使えるような基準を設定できるのだから、と思ったのですが、社会大規模化に向かう圧力の大きさをimperial densitiyで表すならば大して重要でもないということですか。
そういう意味でああいう問題設定の方法を採ったということですね。

desaixjp
このエントリーで紹介している論文の基になった2013年の論文を見ると、馬匹と大規模な社会との関係性を窺わせるグラフが出てきます。
https://www.pnas.org/content/110/41/16384
Fig. 3を見ると、戦車chariotsを使った戦争の後、及び騎兵cavalryを使った戦争の後に、それぞれ社会の拡大が生じていたかのように見えます。一方、鐙が広まった前後にはそれほど明確な傾向は見当たりません。
もちろんこのグラフだけでは大規模社会と馬匹の関係についてはっきりとしたことは言えません。それでも、鐙の重要性を測ろうとするのであれば、このグラフと同程度以上の重要性があるデータを見つけ出し、その中で鐙の登場が大きな変化をもたらしていることを示す必要はありそうです。
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