前に紹介した
Seshatデータに基づく論文では、世界各地の社会が時とともに複雑さを増してきたということが基本理解として存在する。
Turchinらの論文で紹介されているPC1(第1主成分軸)がその複雑さの度合いを示す具体的な指標であり、そして各社会は、もちろん時に上下はあるものの、新しい時代ほど複雑な社会を築き上げる傾向が存在していた。
それでも、事例は多くはないが、時に社会は逆流する。複雑さへの進化を進めていたはずの社会が急激に単純な方へと退化していく例も、歴史上は存在していた。
2つのスーパークラスターについて論じたこちらの論文の中には、複雑度の高いスーパークラスターBから移行段階であるクラスター2へ、クラスター2からより単純なスーパークラスターAへ、そして時にはスーパークラスターBからいきなりAへシフトした例が、
少ないながらもあったことを指摘している。
規模と情報処理という2つの切り口で複雑な社会の進化について論じた
nature communicationsの論文も含め、これらの論文に出てくる「急激な複雑さの退化」が具体的にはどの社会でどの時期に生じていたのかを調べてみたい。そうすることで、同じSeshatのデータを使用していても、データ処理のやり方によって細かいところでは違う見解が出てくる点も分かる。
まずはTurchinらの論文だ。
補足資料のFigure SI6(p15-16)を見ると、データのある30の社会において複雑さを示すPC1がどのように推移したかが分かる。いつの時代にどの社会で、急激な「退化」が生じたのか、このグラフから推測できるわけだ。中でも目立つ事例は3つ、Central Asiaの青い線、Southwest Asiaの赤い線、そしてSouth Asiaの赤い線で見られる急落だ。
最初の事例は
オルホン渓谷、つまりモンゴル高原の中心地だ。ステップの王者のいる場所であったこの地は、しかしPC1が何度も激しく上下しているように社会的にはとても不安定だった地域のようだ。最も激しくPC1が低下したのは紀元1100年から1200年にかけての時期で、Turchinらの論文を見るとPC1は8前後から3を割り込む水準まで大きく落ち込んでいる。
次はメソポタミアの東にある
スーサ。長い歴史を誇る地域だが、紀元前1200年から1100年にかけて7以上あったPC1が3近くまで低下している。そして最後が
カチ平野、即ちインダス流域である。紀元前1900年頃まで6強あったPC1が1800年には2付近までこちらも大きく低下している。これ以外にも低下している例はあるが、ここまで大きなものは他にはない。
ではこの3つの「退化」について、他の論文はどう見ているのであろうか。まずはnature communicationsの論文だが、
補足資料のSupplementary Figure 10(19/20)にTurchinらの論文と似たグラフが載っているので、それと比べてみよう。
まずはオルホン渓谷だが、グラフCのオレンジの点を見ると同じ時期に急激な低下が確認できる。続いてカチ平野におけるPC1の低下も、グラフEの青い点を見れば明白だ。だがスーサのPC1を示すグラフDの青い点を見ても、紀元前1200年頃の急落は見つからない。むしろ紀元前600年頃の方が目立つ低下(幅は大きくないが)を見せているくらいだ。
どういうことか。
こちらに載っているデータを直接見てみれば、その理由が分かる。data1.csvには各地域別、時代別のcomplexity characteristics(複雑性指標)がまとめられているのだが、スーサのデータを見ると途中に抜けている時期が存在することが判明する。紀元前1200年の次はいきなり紀元前900年のデータになっており、急落が見られた紀元前1100年のデータは存在していないのだ。
この論文がなぜ
この時期のデータを入れていないのか、理由は分からない。だがこの時期、新エラム期の初期にあたる300年ほど続いた混乱の時代について、データから外してしまうと「退化」の痕跡が消えてしまうことが分かる。実際、Turchinの論文でも紀元前900年にはスーサのPC1はかなり回復しており、途中を飛ばせばnature communicationsの論文に出てくるグラフとほとんど変わらなくなる。
もう一つ、スーパークラスターについて言及した論文ではS3 Fileの中に各社会のクラスター推移のグラフがまとめられている。それでチェックをすると、オルホン渓谷の「退化」はきちんとデータとして掲載されていることが分かる。PC1は+2近くから-2近くまで急落し、社会の複雑さはクラスター3からいきなりクラスター0まで低下している。スーパークラスターBからAへと急落した唯一の事例がここにある。
ところが残る2つについてはそうしたデータが見て取れない。例えばスーサのデータは紀元前2000年の次はいきなり紀元前400年頃まで飛んでおり、どちらもスーパークラスターBに属していて大きな変化はなかったかのように見える。またカチ平野については紀元前2800年の次が紀元前1500年で、どちらも社会はクラスター0のまま。紀元前2500年頃からピークを迎えたインダス文明の時期が完全に素通りされてしまっているのだ。むしろ
ソグディアナで紀元600-700年頃に起きた急落や、
イエメンの海岸平野における紀元1800-1900年頃の急落の方が目立っているほどだ。
そもそもこの論文ではSeshatの派生版であるShiny Seshatなるものを使っていると言及しており、そうした違いが分析結果の差として表れているのかもしれない。大元が同じであっても途中の処理に違いがあれば、当然のごとく行きつく先も違ってくる。もしこの論文データにスーサやカチ平野の事例が含まれていた場合、クラスター間の移動がどう変わっていただろうかという点には興味がわくが、現時点ではそこの部分は分からないというしかない。
ちなみに上でも少し触れたが、スーサにおける複雑さの急落は、バビロン第4王朝のネブカドネザル1世によるスーサ占領によって中エラム期が終わり、新エラム期初期の混乱の時代が訪れたのと歩調を合わせている。この時期はちょうど東地中海で
後期青銅器時代の崩壊が生じており、色々と多事多難な時期だったのだろう。ただし300年後には再び以前と同じレベルの複雑さを取り戻している。
「退化」の時間がもっと短かったのはオルホン渓谷だ。こちらは遼が金によって滅ぼされ、モンゴル高原に権力の空白が生まれた時期と一致しているのだが、知っての通りこの権力の空白はほとんど間を置かずにテムジンによって穴埋めされた。遼の消滅によって一瞬だけ部族社会が復活したが、すぐに新たな帝国が取って代わった格好であり、200年もすると以前よりはるかに高いPC1を記録している。
長期にわたって複雑さを取り戻せなかったのはカチ平野、即ちインダス文明の衰退くらいだ。この地におけるPC1はおよそ1500年ほど、インダス文明期の水準を取り戻せなかった。河川の流路が変わるなどの理由でインダス文明は衰退したようだが、そうした事例は他の地域を見てもあまり多くはない。インダスよりもオルホン渓谷やスーサの方が一般的なのではないか、と思える。
つまり、一度成立した複雑な社会は、たとえ何らかの理由で「退化」したとしても、長期にわたって退化したままになることはあまり多くない、と推測できるのではなかろうか。200~300年で元に戻るのは、人間の人生と比べれば長く思えるかもしれないが、歴史的に見れば随分と短い。
Turchinは複雑な社会は脆弱なものだと言っているが、実際には脆弱どころか、「複雑な社会」は極めて復元力の高い存在なのかもしれない。
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