ピンカーとwoke

 米国で起きている人種差別への抗議活動だが、今やかなり広範囲にいろいろなところまで波及している。RedskinsがControversiesになってしまったことについてはファンも嘆いているが、事態はスポーツの分野だけにとどまってはいない。アカデミアにおいても流れは同じで、先日はAIの画像解析に関連して研究者がツイッターのアカウントを停止する事態が発生し、さらにMITが「人種差別的」とされた画像データセットをオフラインにした
 そして今回、新たにターゲットとなったのが、以前このblogでも紹介した「暴力の人類史」の筆者であるピンカー。彼は元々言語学者であり、米言語学会(LSA)のフェローとかメディア・エキスパートといった肩書を持っているそうだが、その地位を剝奪せよというオープンレターが公開された。確認したところ500人以上の署名が集まっており、その中には結構な数のprofessorもいる。
 中身を見ると6点ほどピンカーに対する批判が載っているのだが、そのうち5つは彼の過去のツイート(古いものは2014年)に関する批判で、残る1つは暴力の人類史に出てくる文章に関する批判だ。基本的に彼が「人種差別的あるいは性差別的な暴力に苦しんできた人々の声を押し流す」ような対応を取ってきたことが、LSAの方針に合っていないと指摘している。
 これに対して真っ向から批判しているのが、生物学者の書いたThe Purity Posse pursues Pinkerという記事。ピンカーに対する1つ1つの非難について内容を調べたうえで、「ピンカーではなく、この退屈な文章の署名者たちこそが、噓つきであり事実を曲げている人々だ」と結論づけている。彼による反論の1つはこちらのツイートで日本語訳が確認できる。
 また別の言語学者が書いたMy Response to the Pinker Petition — Open Letter to the Linguistics Communityも、6つの問題点について調べている。そのうち、例えば最初の指摘については「ピンカーが誤解を招くようなツイートをしているように見えるが、申立人たちも誤解を招くようなことを書いている」と述べるなど、こちらは少しピンカーに厳しめな評価となっている。だが結論を見ると「彼はLSAの原則と矛盾するようなことは何もしていない」となっており、ピンカーの肩書剝奪には反対している。
 実のところ、ピンカー自身もこのオープンレター同様に不誠実な引用をしている、との指摘もある。その意味ではどっちもどっち、に見えるかもしれないが、ピンカーがあくまで学問上の議論に際してわら人形論法を使っているのに対し、今回の署名者たちはピンカーとの議論のためではなく、彼の地位を剝奪するために使っているという点で、ピンカーよりもさらに「残念な対応」をしていると見るべきだろう。このようなやり方は「若い学生たちに以下のようなメッセージを送っている。支配的な見方に逆らうような結論を導く研究を持ち出したり言及したりするな。安全第一でいけ」。アカデミアの世界でやるべき議論の方法としては最悪だろう。
 そして、著名人がターゲットになったためか、日本でもいろいろと反応が出ている。見方はいろいろあるようだし、必ずしも見解が一致しているとは言いがたいが、この動きを見て「文化大革命」という声も出てきているあたりは注意しておいた方がよさそうだ。実のところ同じ声は米国でも上がっている。そして同じようなニュアンス込みで米国で言及が目立っているのが、the wokeと呼ばれる者の存在だ。

 wokeとは、以前Great Awokeningで紹介した政治的正しさに覚醒した者たちのことだ。特に最近のツイッターでは圧倒的に非難目的で使用される用語となっている。the woke left、the woke crowd、the woke mob、the woke brigade、the woke cultなどなど。当然ながら保守派によって使われる頻度が高い。そしてSNSにとどまらず、マスメディアの記事中でも使われるようになっている
 そしてピンカー絡みの騒ぎでも同じくthe wokeという言葉が出ている。ピンカー自身もオープンレターについて「wokeの攻撃的文化の風刺になっている」と述べており、Michael Shermerは「wokeの基準と完全に一致しない」とはいえ政治的にはリベラルなピンカーを攻撃するのは「純粋に狂気」だと言っている。あげくにwokismなる言葉まで登場している。
 Great Awokeningに対する保守派の批判でよく見られるのが、その行為が「愚かしい」のではないかとの指摘だ。ずばりThe Year of Stupidと題した記事では、ミネアポリスでの警察解体、奴隷解放宣言を出したリンカーンの像(解放奴隷が立てたもの)を破壊しようとする動き、動画サイトでの古い映画の削除、OKサインを出したラティーノの運転手が解雇された話などなど、wokeの行動によって生じた様々な「ばかげた」話を紹介している。確かに、通常の時期であれば、このような細かい話に目くじらを立てるのはばかげた行為に見えるだろう。
 でも忘れてはいけない。ほんの7年前はネイティブアメリカンでもRedskinsという名前を変えるべきと答えた人は11%しかいなかったのだ。だが今日ではチーム自身が名称を変える方向で検討を始めている。wokeの行動や要求がばかげたものに見えるとしても、それが現実に変化をもたらしている事実から目を逸らしてはいけない。BLMが代表例だが、そうした行動はまだ現時点では世論のかなり大きな部分から支持を受けている
 ピンカーについても話は同じだ。普通に考えればこんなザルのような理屈でピンカーの肩書を奪うのは難しいと思われるが、今は普通の時代ではない。過当競争のために不満を抱いているエリートの群れが、少しでもライバルを引きずり下ろす機会を手に入れようと鵜の目鷹の目で蠢いているのだ。The Wealthy and Privileged Can Revolt, Tooという記事では、Structural-Demographic Theoryの枠組みを使いながら、過剰生産されたエリートがどれほどの過当競争に巻き込まれているかをいろいろなデータを挙げて説明している。
 記事中のグラフを見ればわかる通り、所得を見てもアカデミアのポジションを見ても競争が激しくなっており、それぞれの分野で一握りの勝者と多数の敗者が生まれてきている。大衆だけでなくエリートたちも怒りや不満を抱えているのだ。ピンカーは学者の世界ではわかりやすい勝者だが、それだけに同業者にとっては実にやっかいなライバルでもある。彼がいなくなればそれだけ席が空き、自分の居場所を確保できる確率が高まる。そう考える同業者(特に言語学者)がいても不思議はない。その意味でLSAに宛てたオープンレターは、不和の時代における必然だったとも言える。
 要するに今はTurchin的、Goldstone的な、革命前夜の時代なのだろう。少なくとも今の米国の状態を見てると、そう考えたくなる状況がどんどん積み重なっているのは確かだ。対応策として多額の相続税を課す方法や、これ以上高い学位を出さないことなどを提案する向きもあるが、具体的に実現できるかと言えば決して簡単ではない。何しろどちらも勝ち残ってきたエリートたちの努力を打ち消そうとするような取り組みであり、彼らの抵抗が激しいであろうことは容易に予想できる。前回と同じ結論になるが、実に前途多難である。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント