2つの閾値 下

 Seshatデータを使ったnature communicationsの論文の続き。複雑性を示すPC1が上昇するためには、最初にまず規模が大きくなる(PC2が低下する)必要がある。それが一定の水準、つまり規模の閾値(Scale Threshold)を越えると、そこから必要になるのが情報処理能力の拡大である。筆記や文章、マネー、さらには政府機構といったものを整えなければ、それ以上の複雑性の成長は望めない、というわけだ。そしてそちらの成長を成し遂げることができた後、情報の閾値(Information Threshold)を越えた後に、再びの規模拡大という形でのさらなる複雑性の向上が訪れる。
 Turchinらの論文では基本的にPC1こそが重要だというスタンスだったため、PC1の上昇において9つある複雑性指標(complexity characteristics)がそれぞれどのように働くかといった分析まではしていない。むしろ全体が歩調をそろえて複雑性の上昇に関与しているといった見方をしていたように思われる。だがこの論文では複雑さを増すうえで、タイミングによって働く中身が異なっているのではないか、という視点をもたらしたところが新しい。データ分析の醍醐味とでも言えばいいだろうか。
 またPC1は時系列とイコールではない。むしろ時系列にとどまらず、世界30ヶ所の様々な時代のデータを並べてみたものだ。実際に時系列でどう動いたかのダイナミズムを見るうえでは、個別の社会ごとの動きをきちんと調べる必要がある。この論文はそうした取り組みもしており、その結果がFig.4にまとめられている。これもまた実に興味深い。
 青い線は旧世界の各地点の動きを示している一方、赤い線は南北アメリカ大陸の変化だ。まず分かるのはそれぞれの矢印が集まっている地点が大きく2つあることだ。PC1が低い左側の地点に、比較的ばらけてはいるものの、いくつもの社会が存在している。もう一つはPC1の高い方で、こちらはかなり集中度が高い。そしてこの両者の間をつなぐ矢印はかなり長い、つまり左側のクラスターから右側のクラスターへの移行は急激に進むことも分かる。
 そして新世界がどうやら閾値の突破に成功しなかったことも分かる。といってもSeshatのデータには例えばマヤのような文字を発明した地域が対象に入っていないため、この現象はあくまでデータの欠落が原因という可能性はある。でも現時点のデータでは新世界が左側のエリア、PC1が-3.5、PC2が-0.5あたりに集まっていることは確か。論文では、人間を運べるような家畜が存在しなかったため、アメリカの社会は筆記システムなどが有利になるか必要とされるほどの規模まで成長しなかったのではないか、との仮説を示している。

 グラフに現れている2つのクラスターも印象的だ。前に紹介したSeshatのデータを使った論文でも、2つのスーパークラスターの存在を指摘していた。その中で言及したSeshatとは別のデータを使って同じようなクラスターを見つけたPeregrineという人物も、この論文内で言及されている。そのうえでこの論文では、PC1を使った分析において現れる二峰性(bimodal)という特徴について、補足資料の中で細かく分析している。
 そもそもこの2つのクラスター的なものは、Turchinらの論文でも既に現れていた。Turchinらの補足資料のFigure SI11(p25)を見ると、時代ごとのPC1の推移が棒グラフで示されているのだが、時代が新しくなるほどPC1の低い社会と高い社会という2つの「山」が表れている。nature communicationsの論文でも補足資料に同様のグラフがある(Figure 1)。
 論文ではこのグラフの妥当性について色々な方法で調べており、2つのクラスターが存在すること自体はおそらく間違いないと結論付けている。山が2つできるということは、一方のクラスターから他方のクラスターへの移行がかなり急激に進むことを意味しているし、その移行のために越えるべき閾値を越えられなければ、低い複雑性のままとどまっている様子を示しているとも捉えられる。だとすれば、この2つのクラスターは、単に量的(規模)なだけではなく、質的(情報処理能力)にもかなり違っていると考えていいのだろう。
 論文では移行の一例として日本の古墳時代から飛鳥時代を取り上げている。紀元400年の日本はPC1が-0.57、つまり情報処理能力の閾値に到達する前の段階だったが、次第に情報処理能力を高めつつあったことになる。確かに日本では5世紀頃から鉄剣や鉄刀に記された銘文という形で、次第に文字の使用が広がっていたことを示す歴史的資料がいくつか存在する。500年になるとPC1は+0.20に到達し、情報の閾値を突破。それから1世紀後の600年にはPC1が+1.64になり、飛鳥時代という政府制度が整えられた時代になっている。どうやら古墳時代の途中から飛鳥時代にかけて、日本はより複雑性の高いクラスターへの移行を成し遂げたようだ。
 前に紹介した2つのスーパークラスターについて述べている論文では、移行期にあたるのはクラスター2だとしている。そして関西がクラスター2に所属していた時期について、この論文の補足資料にあるグラフを見ると紀元600年前後と見ている。PC1が-0.5という閾値を越えたのが500年頃だとしたら、この時期に起きるのはまず情報処理能力の閾値突破であり、それに伴ってクラスター2への移行が起き、そしてクラスター2を短期間で通り過ぎた各社会はスーパークラスターBに合流する、という流れになるように見える。
 だがそう断言するのは難しい。nature communicationsの論文ではエジプトが情報の閾値を越えたのは紀元前2100年頃としているが、一方でエジプトがクラスター2を通ったのは紀元前3000~2700年頃であり、こちらではむしろ先にクラスター2を通り、それから閾値を越えたことになっている。パリ盆地が情報の閾値を越えた時期は補足資料のFigure 10(19/20)を見ると紀元前100年頃で、パリがクラスター2を通り過ぎた時期(紀元前200~紀元50年)と重なっている。微妙な時期の前後はあるが、トータルとして情報の閾値突破とクラスター2はおおよそ同時期に生じる、と考えた方がいいのかもしれない。
 もう一つ、この論文で取り組んでいるのが、社会的な不安定性についての説明だ。どうやら考古学においては、中間的な複雑さを持つ社会の不安定性が知られているそうで、例えば北米ミシシッピ沿いの社会はしばしば「簡単な首長制」と「複雑な首長制」の間を行ったり来たりしていたという(Political Structure and Change in the Prehistoric Southeastern United States)。もちろん原因は内在、外在それぞれ色々あったのだろうが、包括的な要因として政治体の情報処理能力問題があったのではないか、という指摘だ。
 ある研究者は、国家的な制度を欠いた階層的な社会は「かつて存在した中で最も安定性に乏しい組織モデルだ」と言っているらしい。階層的なシステムを規定しているいくつかの資源に対する異なるアクセスについて政治的なコントロールを維持するためには、より強力な制度を早急に発展させなければならないためであり、要するにリソースと人間をきちんとコントロールするために筆記システムや経済的な決まり事、そうした仕組みを回す専門家と、そして全体を担保する価値観の共有といったものが必要だという理屈だろう。

 以上、2つのクラスターにつながる別の論文を紹介した。これらの話は過去に述べてきた枢軸的な価値観道徳的な神の登場宗教が内在的な特徴にとどまらず超越性を見せるようになるという変化、さらにはゴンドワナ神話とローラシア神話という神話の2つの形態などの話とも結び付きそうなところが面白い。
 特に道徳的な神が社会の規模的な拡大の後に生まれたという話は、今回紹介した論文とまさに歩調を合わせている。どちらもSeshatのデータ分析から出てきた結論なのだから当たり前ではあるが、今回の論文の方が視野が広いと言えるだろう。道徳的な神は、社会が獲得した情報処理能力が持つ表現型の一種、と考えるのがいいのかもしれない。
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