人類学の世界では人間社会について、
4つの政治社会的な類型 を想定している。band、tribe、chiefdom、stateであり、それぞれが経済的には狩猟採集、粗放的な農業、牧畜、農耕とつながりを持っている、
という理論 だ。この理論はダイアモンドの
「銃、病原菌、鉄」 の中でも取り上げられており、今でもあちこちで見かける類型化の事例だ。
ただしこうした分類は、一歩間違えると単なるレッテル貼りに陥るリスクがある。議論の中でも最も不毛なものの1つが言葉の定義づけを巡る論争だと私は思っているが、まさにそのような論争に陥りかねないわけだ。一例として米国で問題となっているのが
カホキア遺跡 。大きなマウンド(人工の丘)をいくつも持つ遺跡で、最盛期には6000人から4万人規模の人口を抱えていたという。
続くクラスター1の代表例はCahokiaそのもの。人口が多く密度も高い社会で、巨大な人工の丘を作るなど相互の協力体制も敷かれていた。クラスター2は
王政時代のローマ が当たるそうで、要するにまだ都市国家だった時代である。クラスター3の代表例は近代初期の教皇領が挙げられているが、それ以前の共和制ローマの頃もクラスター3に相当したという。クラスター4はローマで言えば元首政や専制政治の時代だが、西ローマ帝国崩壊後は社会の複雑さは低下してクラスター3に戻ったという。逆に東ローマの後継国家というべき
オスマン帝国 はクラスター4に入っている。
しかしより重要なのはこの5つのクラスターよりも、それをさらにまとめた
2つのスーパークラスター である。論文では社会的複雑さが低いクラスター0と1をスーパークラスターA、高い3と4をスーパークラスターBと呼んでおり、その両者をつなぐのがクラスター2となる。他のクラスターが1000年以上にわたって続いているのが当たり前であるのに対し、クラスター2は200~500年と短期間しか続かず、論文筆者はクラスター2を一種の移行期ではないかと解釈している。
他にもAppendixのA complete collection of cluster trajectoriesを見れば、他の社会がいつAからBへ移行したかも分かる。例えば
関西 であれば紀元600年前後(飛鳥時代)がクラスター2、つまり移行期で、奈良時代以降はスーパークラスターBの社会になっている。
論文の中身を説明しているBlogには「カホキアの全盛期は、エジプト古王国と同じくスーパークラスターAの社会であり、一方イタリアの教皇領と中国の清王朝はいずれもBの社会である」と書かれている。カホキアとエジプト古王国は同じカテゴリーに入れていいが、例えば共和制ローマなどとは別の社会と見なすべき、という理屈だろう。ただしそれが何を意味しているかについては「完全には確信していない」と慎重だ。
とはいえいくつかアイデアは示されている。社会が複雑度の低いスーパークラスターAからBへ移行する際の跳躍台となったのは、もしかしたら「筆記システム」かもしれない、というのがその1つ。AppendixにあるDistributions of Complexity Characteristics (CCs) across clustersというグラフを見ると、クラスター1まではほとんど発展していないWritingが、2以降で急激に伸びている様子が窺える。ただしこれが本当に因果関係なのか、単なる相関の1種なのかはまだ不明だそうだ。
もう1つ筆者が関心を持っているのが、
「神の誕生」 でも紹介した「複雑な社会の後に道徳的な神が生まれた」という仮説だ。そこで唱えられている社会における複雑さの大幅な拡大が、実はスーパークラスターAからBへの跳躍と同じことではないか、と考えているらしい。ただしこちらもまだ調査はこれからだという。
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