2つのクラスター

 人類学の世界では人間社会について、4つの政治社会的な類型を想定している。band、tribe、chiefdom、stateであり、それぞれが経済的には狩猟採集、粗放的な農業、牧畜、農耕とつながりを持っている、という理論だ。この理論はダイアモンドの「銃、病原菌、鉄」の中でも取り上げられており、今でもあちこちで見かける類型化の事例だ。
 ただしこうした分類は、一歩間違えると単なるレッテル貼りに陥るリスクがある。議論の中でも最も不毛なものの1つが言葉の定義づけを巡る論争だと私は思っているが、まさにそのような論争に陥りかねないわけだ。一例として米国で問題となっているのがカホキア遺跡。大きなマウンド(人工の丘)をいくつも持つ遺跡で、最盛期には6000人から4万人規模の人口を抱えていたという。
 議論になっているのは、このカホキアがchiefdom(首長制)なのか、それともstate(国家)なのかという点。ただしこの問題は、結局のところ首長制や国家という言葉の定義次第で答えが変わってしまう。そもそも物事を理解しやすくするための分類なのに、その分類自体が論争の対象になってしまうのは却って事態をややこしくするだけではなかろうか。

 そうではなく社会への理解を高めるうえで役立つ分類を作り、それを使って現実を分析する、という方法を提案しているのがこちらの論文。内容についてはこちらのblogでかみ砕いた説明をしている。使用したのはSeshatのデータだ。そこにある色々な社会のデータを集めてクラスター化し、それぞれの社会がいくつに分類できるかを調査している。
 この調査によると、各社会は社会的な複雑さの低いクラスターから高いクラスターまで5つに分けられるそうだ。論文では最も社会的複雑さ(PC1)が低いクラスターから順番にクラスター0、1とナンバーを付けており、それぞれを代表する社会も表に記されている。クラスター0はCahokia Woodlandとあるが、これは北米の考古学におけるWoodland periodのカホキア社会を示すものと見ていいだろう。カホキアの遺跡ができる前の北米ミシシッピ沿いに存在していた社会で、人口は少なく狩猟採集が重要だった。
 続くクラスター1の代表例はCahokiaそのもの。人口が多く密度も高い社会で、巨大な人工の丘を作るなど相互の協力体制も敷かれていた。クラスター2は王政時代のローマが当たるそうで、要するにまだ都市国家だった時代である。クラスター3の代表例は近代初期の教皇領が挙げられているが、それ以前の共和制ローマの頃もクラスター3に相当したという。クラスター4はローマで言えば元首政や専制政治の時代だが、西ローマ帝国崩壊後は社会の複雑さは低下してクラスター3に戻ったという。逆に東ローマの後継国家というべきオスマン帝国はクラスター4に入っている。
 しかしより重要なのはこの5つのクラスターよりも、それをさらにまとめた2つのスーパークラスターである。論文では社会的複雑さが低いクラスター0と1をスーパークラスターA、高い3と4をスーパークラスターBと呼んでおり、その両者をつなぐのがクラスター2となる。他のクラスターが1000年以上にわたって続いているのが当たり前であるのに対し、クラスター2は200~500年と短期間しか続かず、論文筆者はクラスター2を一種の移行期ではないかと解釈している。
 例えばローマの場合、それ以前までクラスター0だったのが王政期にはクラスター2になった。だがその期間はかなり短く、すぐクラスター3へと移行している。パリ盆地も同じで、パリシイ族の町建設からローマによる支配までの短い期間のみがクラスター2に相当し、それ以降はより高い社会的な複雑さを保持している。
 他にもAppendixのA complete collection of cluster trajectoriesを見れば、他の社会がいつAからBへ移行したかも分かる。例えば関西であれば紀元600年前後(飛鳥時代)がクラスター2、つまり移行期で、奈良時代以降はスーパークラスターBの社会になっている。
 さらに、一度複雑さを得てスーパークラスターBへと移行した社会が、再びAに戻る事例は極めて少ないという。それも含めてAからBへ移る際に人間社会が何か大きな変化を経験している可能性はある。そう考えると、人間社会について考えるうえでは、このスーパークラスターAと同Bとに分類することに大きな意味があるように見える。
 この分析については、Seshatの元データを使ったHARKingになっているのではないかという懸念がある。それを防ぐためというわけでもないだろうが、論文では過去にSeshatではなくAtlas of Cultural Evolutionという別のデータセットを使って似たような分析をした取り組みを紹介。その分析でも歴史的に大きく2つのクラスターが生じ、その両者をつなぐ「尾根」があると指摘をしている(Figure 6)。Seshatデータでも似たようなグラフが作れることを示し、「2つのクラスター」と、それをつなぐ移行期という概念の妥当性を示している。

 論文の中身を説明しているBlogには「カホキアの全盛期は、エジプト古王国と同じくスーパークラスターAの社会であり、一方イタリアの教皇領と中国の清王朝はいずれもBの社会である」と書かれている。カホキアとエジプト古王国は同じカテゴリーに入れていいが、例えば共和制ローマなどとは別の社会と見なすべき、という理屈だろう。ただしそれが何を意味しているかについては「完全には確信していない」と慎重だ。
 とはいえいくつかアイデアは示されている。社会が複雑度の低いスーパークラスターAからBへ移行する際の跳躍台となったのは、もしかしたら「筆記システム」かもしれない、というのがその1つ。AppendixにあるDistributions of Complexity Characteristics (CCs) across clustersというグラフを見ると、クラスター1まではほとんど発展していないWritingが、2以降で急激に伸びている様子が窺える。ただしこれが本当に因果関係なのか、単なる相関の1種なのかはまだ不明だそうだ。
 もう1つ筆者が関心を持っているのが、「神の誕生」でも紹介した「複雑な社会の後に道徳的な神が生まれた」という仮説だ。そこで唱えられている社会における複雑さの大幅な拡大が、実はスーパークラスターAからBへの跳躍と同じことではないか、と考えているらしい。ただしこちらもまだ調査はこれからだという。
 この議論を読んでいて思い出すのは、同じようにSeshatのデータを使って情報の複雑さをもたらす要因についてTurchinが分析したもの。それによれば「マネー」の影響がかなり多いことが推測できたそうだ。ただしこれはあくまで情報の複雑さだけであり、社会全体の複雑さにマネーがどのくらい影響を及ぼしているのかは分からない。さて社会が複雑さを増した大きな原因は文字なのか、それとも金なのか、それ以外に何かあるのか。
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