改竄改竄また改竄

 前回取り上げた剽窃問題の関連で、ナポレオンが出した2つの布告以外にも剽窃ではないかと思われるものがある、という指摘が存在する。ナポレオンがグルノーブル近くで第5歩兵連隊に接触した際に言ったとされるセリフで、引っ張ってきたとされる元サイトの文章は、「兵士諸君、余だ! 諸君の中に、皇帝を殺したいと思う者がいれば、殺せるぞ、余はここにいる!」となっている。これも元はこちらの本に由来するのだろう。
 このフレーズはこれまた有名なもので、やはり映画ワーテルローの中でも使われている。ただしそこでの言い回しは「第5[連隊]の兵士諸君! 私が分かるか? もし諸君が諸君の皇帝を殺したいのなら、私はここにいる」だ。第5連隊という数字が出てきたことと、最初に紹介したフレーズでは「余だ」と翻訳されている部分が「私が分かるか」になっている一方、「殺せるぞ」という一言はここから消えている。
 フランス語サイトではL'Histoire en Citationに、やはりこの時のナポレオンのセリフなるものが掲載されている。内容は「第5[連隊]の兵士諸君、私は諸君の皇帝だ。私が分かるか。もし諸君の中に諸君の皇帝を殺したい兵がいるのなら、私はここにいる!」と、これまた微妙に違っている。新たに「私は諸君の皇帝だ」je suis votre empereurというフレーズが加わり、また「殺したいと思う者」ではなく「殺したい兵」un soldat qui veuille tuerと書かれている。
 最初に紹介したツイッターに載っているフランス語の言い回しは、これまた微妙に違っている。ツイート内では「1915年に出た雑誌がおそらく出典」としているが、もちろんこの史料はそれ以前に遡ることができる。でも一応その雑誌を見てみよう。Revue des Deux Mondes, Tome Vingt-Sixièmeに掲載されているNapoléon à Laffrey (7 mars 1815)という記事内に採録されている文章(p202)には、「兵士諸君、私は諸君の皇帝だ。私が分からないのか? もし諸君の中に諸君の将軍を殺したい者がいるなら、私はここにいる!」とある。第5が消え、「私が分かるか」Reconnaissez-moiではなく「私が分からないのか」ne me reconnaissez-vous pasとなり、そして殺したい相手が「諸君の皇帝」から「諸君の将軍」になっている。
 そう、要するにこのセリフ、有名な割に細かい内容がおよそ一致していないのだ。取り上げられるたびに微妙に異なる言い回しが登場し、いったいどれがオリジナルなのかさっぱり分からない状況。最初に紹介したツイートでは「原文からの欠落」と主張しているが、本当にそれは欠落なのか、欠落だとしてツイートで紹介されている1915年の文章(百日天下から100年も後の資料)こそが本来の文言なのか、ここまでの議論を見ても何一つ断言できない。

 というわけで一気にオリジナルまで遡ってしまおう。この文章を最初に世に出したのは、ナポレオンと一緒にエルバ島までついていった親衛隊の1人、親衛擲弾兵中尉だったモニエという人物である。彼が書いたUne année de la vie de l'empereur Napoléonは、1814年のナポレオン退位から1815年に彼がパリに戻ってくるまでの1年弱について記したものだ。英訳本であるA Year of the Life of the Emperor Napoleonの前文を読むと、同年5月にパリで出版されたとある(p3)ので、かなりリアルタイム性は高い本だと言える。
 同書によるとナポレオンの前方、湖と村の間にある隘路で、第5戦列歩兵連隊の1個大隊と、土木工兵、地雷工兵の各1個中隊、合わせて700人から800人が待ち構えていたのを見て、皇帝は副官のラウル中佐を送り出して説得に当たらせようとしたがうまくいかなかった。そこで皇帝は自ら下馬し、まっすぐこの部隊へ向かって進んだ。そこで彼が言ったセリフは以下の通りだ。

「私はここにいる、私が分かるか。もし諸君の中に諸君の皇帝を殺したい兵がいるなら、できるぞ」
p129(英訳本p80-81)

 以上だ。「兵士諸君」という呼びかけや、「私は諸君の皇帝だ」という言葉はなく、「殺せるぞ」に相当する文言(il peut le faire)があり、そして「私はここにいる」は最近紹介されるこのフレーズの大半とは逆に、文章の一番最後ではなく一番最初に置かれている。要するに上で紹介してきた一連の文言は全てオリジナルとは異なる、改竄されたものと言える。
 どれ一つとして正確な文言を伝えていないことにはもはや笑うしかないが、そうした事態は最近になって生じたものではない。実際にはモニエの本が出版されてほとんど時間が経過していないうちに、次々と彼の文章を改竄したものが世に出回るようになった。
 最初は1817年に出版されたHistoire des campagnes de 1814 et de 1815, Tome Premierだ。曰く「私はここにいる。もし諸君の中に諸君の皇帝を殺したい兵がいるなら、前に出て撃つがいい!」(p182)。見ての通り「私が分かるか」が消え、最後のできるぞの部分が「前に出て撃つがいい」(qu'il sorte des rangs, et qu'il frappe)に書き換えられている。
 続いてMémoires sur la Vie privée, du Retour, et du Règne de Napoléon, Tome Iという1820年に出版された本では、「おお! 何と、友よ、私が分からないのか? 私は諸君の皇帝だ。もし諸君の中に諸君の将軍、諸君の皇帝を殺したい兵がいるなら、できるぞ。私はここいいる」(p174)と文章が長くなった。友よといった言い回しや「私は諸君の皇帝だ」が初めて登場したほか、殺したい相手として「諸君の将軍」というフレーズまで追加され、そして「私はここにいる」が文頭から文末へ移動している。ついでにこのセリフとともに皇帝は胸をはだけた(en effaçant sa poitrine)ことになっている。大幅な改竄だ。
 だがこの改竄はかなりウケたようで、1823年出版のChoix de rapports, opinions et discours...には、冒頭のEhをHéに変えただけのほぼ同文が載っている(p19)。胸をはだけるところまで一緒だ。さらに1831年に出版された戯曲、Le grenadier de l'ile d'Elbeにも「何と! 兵士諸君、私が分からないのか? 私は諸君の皇帝だ。もし諸君の中に諸君の将軍、諸君の皇帝を殺したい兵がいるなら、できるぞ。私はここにいる!」という似通った言い回しが出てくる。「友よ」の代わりに「兵士諸君」が初登場しているのも注目点だろう。
 おそらくこの戯曲の登場によって、モニエが書いたオリジナルに対する一連の改竄材料はほぼ出揃ったと見ていい。その翌年に出版されたHistoire de Napoléon Bonaparteには、戯曲セリフの前半を省略した「もし諸君の中に諸君の将軍、諸君の皇帝を殺したい兵がいるなら、できるぞ。私はここにいる」(p353)という文言が、胸をはだける動作とともに紹介されている。1831年の戯曲以降に付け加えられたのは、せいぜい「第5[連隊]」という部隊名くらいだ。
 そしてここまで紹介してきた一連の書物のうち、元ネタが何に由来しているかをきちんと言及しているものはほとんどない。著作権の存在しない時代だったので別に違法行為ではないのだが、彼らが延々と剽窃を繰り返してきたことは確かだろう。それもオリジナルから引っ張ってくるのではなく、孫引き、ひ孫引きの世界である。これはひどい。
 要するに、足元で剽窃が話題となっているこのナポレオンのセリフなるものの歴史は、何のことはない、そのままほぼ全て剽窃と改竄の歴史だったのである。人間はいつの時代も変わらないものだ。
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