米国炎上

 血染美国一片紅(見よ!アメリカは赤く燃えている!)

 という訳でコロナ禍、大量失業に続いて、1968年以来と言われる大規模暴動に見舞われた米国だが、一部で予想されていたようにPeter Turchinが関連エントリーを上げていた。
 彼が足元の状況について永年サイクルなどと絡めて述べるのは、こちらで紹介したCoronavirus and Our Age of Discordに次ぐもの。確かに現下の米国の状況は彼が予想していた危機フェーズに当てはまりそうなものばかりだし、ここぞとばかりにアピールするのは彼自身も「エリート間競争」に晒されていると考えれば不思議はない。
 彼だけではない。歴史学者のNiall Fergusonも2018年に書いた「第2次南北戦争」の可能性に触れた文章を思い起こしているし、そのツイート内でTurchinに言及している。Structural-Demographic Theoryの創設者であるJack Goldstoneのインタビューまで出回っている。事態がより悪くなると想定していた2020年に予想通りに事態が悪化したために、少しずつ注目が高まっているのであろう。

 今回のTurchinのエントリーでは、反乱や革命の原因が、多くの点で地震や山火事の生じるプロセスと似ている、という話をしている。要するにたまっていた歪みが何かのきっかけで爆発するという展開だ。そもそも米国の警官は昨年1100人近くを、今年も5月までに400人を殺害しており、なぜ今回のミネソタのケースがこれほどの抗議を呼び起こしたのかを説明するのは意外に難しいし、まして予測をするのは極めて困難。地震の可能性が高まっていることはわかっても、いつどこで起きるかはなかなかわからないのと同じだ。
 だがトリガーはわからなくてもその背景は調べることも予測することもできる。Tuchin曰く、そうしたトレンドは2000年代の初頭にはもうわかっていた、のだそうだ。2010年のNatureの記事はその予想に基づいて書かれたものだが、最近になって彼は改めて2010年以降の動向を調べたそうだ。エントリー中のグラフを見ればわかる通り、米や西欧では2010年代になってそれ以前より暴動が大きく増えている。まだ2018年のデータまでしかないが、Turchinは「不幸なことに私の2010年の予想は正しかった」と結論づけている。
 なお全文の日本語訳は既にこちらに載っているので、参照してほしい。最近このサイトはTurchinのblogを積極的に翻訳しているので、英語を読むのが面倒な人はこちらを追うのがいいだろう。

 一方、FergusonがTurchinと並べて「早期に2020年の危機を予想していた」人物がVictor Davis Hanson。トランプからのツイートをトップに貼っている点からもわかるように明白なトランプ支持者であり、逆にオバマに対してはかなり批判的な軍事歴史家だそうだ。彼が第2次南北戦争の可能性について言及した記事としては、例えば2018年7月にNational Reviewに掲載されたThe Origins of Our Second Civil Warがある。
 面白いのは最後の部分で、再び米国の一体感を取り戻す方策として挙げているものの中に、Turchinの考えとも通底している面があることだ。最初に紹介されている「堅実な年3~4%のGDP成長」は、永年サイクルにおける成長フェイズへ戻せという意見と考えることができるし、その後に出てくる「慎重で、実力主義、多様、合法な移民」という指摘も、Turchinの移民に対する慎重な姿勢と共通だ。
 次に挙げている大学の改革は、エリート過剰生産抑制を求めている点で同じく興味深い。特に政府による奨学金を終わらせることで「多すぎる生徒の将来の失業を確実にするようなカリキュラム」をなくせと要求しているのは、これまたTurchinのロースクールに対する批判と似ている。
 ただし違う部分もある。Hansonは人種の和解を訴えている。彼によれば人種間の対立はオバマ政権下で新たに強化されたものだそうで、「白人と非白人の二項対立に再定義」されたことで国内の分断をさらに強めてしまったのだそうだ。彼はそうした考えはむしろ反動的ですらあると批判している。確かにそうしたアイデンティティ政治が最近の米国で強まっていることは否定しないが、一方で人種問題はこれまで見過ごされてきた課題が今になって吹き上がっている面もあるため、一方的にオバマ政権だけを非難できるとも言いがたい。米国の保守派はしばしば人種問題に足を取られているが、Hansonの主張もそうした背景があるためかもしれない。
 そしてもう一つ、Hansonが取り上げている対応策が「宗教的かつスピリチュアルな再覚醒」である。いきなり宗教右派っぽさが爆発し、Hansonがネオコン呼ばわりされていることを改めて思い出させるような言い草だが、一応これを「アサビーヤの一種」と見なすことは可能だろう。要するにその下で人々が一体となって行動できるような価値観、というか建前を掲げることの重要性を指摘したものと読み取ることもできなくはない。でもそれが宗教的であったり、キリスト教にかかわるものである必然性についてはHansonは何も述べていない。単にテクノロジーで代替することは不可能だと述べているだけである。
 Turchinは社会をつなぐアサビーヤやソーシャル・キャピタルの大切さは指摘するが、その中身についてどうこう言うことはほとんどない。キリスト教やイスラム教などを横並びに「道徳的な神」と見なし、ひとくくりに議論しているくらいだ。新大陸生まれの人間(Hanson)の方が旧大陸で生まれ育った人間(Turchin)より宗教というものに対してナイーブなのだろうか。あと、人種が対立構造となっている点も、Turchinはあまり重視していない。対立を生み出す背景については分析しているが、結果としてどのような軸に基づいて分断が生まれるかについて彼の永年サイクルはそもそも関心を持っていないように見える。
 「建前と本音」という軸で考えるなら、Hansonは本音を指摘している部分(成長重視、エリート生産抑制)と、建前を重視している部分(人種、宗教)が混在している。一方Turchinは建前はほぼ完全に無視し、本音のみに絞って議論している。危機フェーズとは要するに、自分の分け前を増やしたい欲深い人間たちの内輪もめが本格的なトラブルをもたらす時代に過ぎず、その際に彼らが掲げる建前はただの口実に過ぎない。それどころか、内紛を起こす人々の間の分断軸ですら、たまたまそのタイミングで存在したちょっとした違いに基づくものでしかなく、分け前を増やすために減らせる相手は実は誰でも構わない。Turchinの議論を見ていると、そう指摘しているように見える。
 Turchinは元は生態学者であり、動物や植物の個体群について調べていた人物だ。動植物の世界には建前も大義名分も存在しないし、その中身についての議論もない。分断軸はあるかもしれないが、それは血縁淘汰や互恵的利他主義など包括適応度の概念で見ることができる。最初から人文あるいは社会科学どっぷりだった人間たちに比べて彼の議論が本音主義で身も蓋もないものに見えるとしたら、そうした来歴が影響しているのかもしれない。

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント