前回書いた話の修正もかねて、取り急ぎ。
シェヘラザードさんから指摘のあった「ブリュッヒャーか夜か、という台詞はユゴーのレ・ミゼラブルに出てくる」という点について、改めて調べなおしてみた。Project Gutenberg"http://www.gutenberg.org/wiki/Main_Page"にあるユゴーの原文は
A cinq heures, Wellington tira sa montre, et on l'entendit murmurer ce mot sombre: Blucher, ou la nuit!
英語だと
At five o'clock Wellington drew out his watch, and he was heard to murmur these sinister words, "Blucher, or night!"
日本語だと(豊島与志雄訳、青空文庫"http://www.aozora.gr.jp/index.html")
五時に、ウェリントンは時計を出してみた、そして次の憂鬱な言葉がつぶやかれるのが聞かれた、「ブリューヘルが来るか、夜が来るか!」
…ということになる。映画ワーテルローの台詞(Give me night, or give me Blucher)とは多少異なるが、基本的に同じ物と考えて問題ないだろう。
この台詞がユゴーによって生み出された可能性はどのくらいあるのか。古い本をチェックできるgoogle bookでこの台詞を検索してみると、ユゴーのレ・ミゼラブル(1862年出版)と、それより後に出版された本がいくつか引っかかる。中にアレクサンドル・デュマが1865年に出版した本があったりするのが笑えるが、レ・ミゼラブルより前に出版された本にこのフレーズは見当たらない。その点は「7つの方陣」と同じである。
もちろん見落としている可能性はあるが、現時点ではどうやら波及力のあるミームを生み出したのは興行成績の悪かった映画の方ではなく世界的な文豪の世界的ベストセラーだったと考えてよさそうだ。あの映画は単にそのミームの「乗り物」でしかなかった。まあ、そう考えた方が説得力があるのは確か。さすがはユゴーというべきか。
とはいえユゴーがウソばっかり書いていた訳でもない。レ・ミゼラブルと同じ年に出た雑誌The Quarterly Review"http://books.google.com/books?id=s7v1PZw8AJMC&printsec=frontcover&dq=editions:0D-YhPdK5LE_YIkYqOmwO6R&as_brr=1"で、ある評者がレ・ミゼラブルの中に出てくるいくつかの描写を「ばかばかしいもの」として取り上げている。その一つに「ブリュッヒャーか夜か」もあるのだが、他にはネイが5頭の乗馬を殺されたこと、折れた剣を持って「フランスの元帥が戦場でいかに死ぬか来て見るがいい」と言った話などが紹介されている。
ネイが5頭の乗馬を失ったという話は副官のエイメが記録している("http://www.geocities.jp/rougeaud1769/Heymes.htm"参照)。ネイ自身の手紙では戦役前にモルティエから馬を2頭購入した("http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/source/waterloo_ney.html"参照)ことになっており、エイメの記録とは数があわないのであるが、それでも一次史料があることは間違いない。「フランスの元帥が戦場で云々」はおそらくデュリュットの記録が元になっている。
つまりこのあたりの話についてはThe Quarterly Review評者の批判は的外れなのだ。ユゴーはきちんと裏付けのある話を載せている(その裏付けにどれほどの信頼性があるかは別問題)。一方、ユゴーがオーアン街道にあった「窪んだ道」の影響を過大に評価している点については史実と異なるとの批判が多く寄せられている。ウソもあれば事実もある。あの作品はその両方を織り交ぜながら書かれているのだ。
ユゴーが書いていたのは小説でありフィクションなのだから、どんな戯言を書こうと本人の自由である。ただ、彼の上手いところは裏付けのある話と純粋な創作とを巧妙に交えているところにあるのだろう。読んだ人間はそこにリアリティを感じ、つい信じ込んでしまう。ロディ橋の話と同じように、何が事実で何が「伝説」なのか、一つ一つ調べていくしか手はないのだろう。
コメント
No title
2007/12/18 URL 編集
No title
「負け戦の次に悲惨なのは」については似たような言葉がBarbero "The Battle"の308ページに載っています。微妙にニュアンスが違いますけど。
2007/12/18 URL 編集