彼らの論拠となっているのは、ReinaudとFavéが1845年に出版したHistoire de l'artillerie, 1er Partieの中にある記述だろう。そこでは「イラクの壺」なる可燃物を使った兵器についての説明が書かれているのだが、その中に「壺の開口部のそれぞれにikrikh用の場所を残す」とある。この武器は「粘土と酢でコーティングしたマンゴネルの[投石を載せる]凹部に壺を置き、ローズ[導火線]に火をつけ、そして壺を投じる」(p43)という使い方をしたようだ。
ただし、このフランス語訳については別の研究者が噛みついている。Journal asiatiqueの1850年2-3月号に載っているObservations sur le Feu Grégeois(p214-274)を書いたQuatremèreがそうだ。彼はイクリークというアラビア語について、以下のような説明をしている。
それだけではない。20世紀に入ってからもMercierがLe feu grégeoisの中でikrikhについて言及している。残念ながら彼の本についてはネット上では読むことができないが、Mercierの見解についてはPartingtonがA History of Greek Fire and Gunpowderの中で紹介している。「普通ikrikhは導火線と推測されているが、Mercierは長い議論のうえで、それを点火用の松明、『あるいはむしろ火種』だと結論付けている」(p203)とPartingtonは記している。
火種と訳したのは英語ではa reserve of fireとなっている。結局のところ火縄(英語でslow match)の機能は「取り扱いの比較的便利な火種」であり、だとすればikrikhも火縄の可能性がある。導火線(英語でquick match)と推測する人が多い点も実は形状の似た別物、即ち火縄と混同しやすいような言い回しのせいかもしれない。こうした推測が正しければ、既にHasan al-Rammahの時代から火縄が存在していたことの証拠になる、とも考えられるのだ。
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