まず参考文献や索引まで含めて500ページ強のペーパーバックにしてはいささか分厚い(
こちらのツイート参照)。別に「重い」と感じるほど重量のある本ではなく、そこはよかったのだが、持ち歩くには不便なサイズなのは確かだ。しかしそれよりも驚いたのは、最後のページに書かれていた以下の文章。
Printed in Japan
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そう実はこの本、オンデマンド印刷本であり、注文に合わせて日本国内で印刷していたのだ。道理で注文したらやたらと早く届いたわけだ。これまでいろいろな本を購入してきたが、多分オンデマンド印刷は初めて。海外で出版された本であっても待たされることなく入手できるのはありがたいが、コストをかけずに印刷するから、ページ数の割にボリューム感のある本になってしまったのかもしれない。
購入前は、
Seshatがまとめた本なのだからデータに溢れた内容だろうと想像していた。だが実際は真逆で、ひたすら歴史に関するナラティブな記述が続く。各章の冒頭に載っている対象地域の年表くらいしか数字は出てこず、あくまで幅広い研究や史料から窺える定性的な見解が延々と語られる本だ。
序文と序論についで取り上げられる枢軸時代の宗教で、まず枢軸時代を特徴づける5つの宗教、ヒンドゥー教、ゾロアスター教、儒教、仏教、キリスト教と、枢軸時代以降の影響を見るために欠かせないイスラム教について説明。その後はひたすら様々な地域の事例紹介を続け、最終章で全体のまとめを簡単に行っている。事例紹介こそがこの本の中心といっていいだろう。
取り上げるのは、まずヤスパースが唱えた
枢軸時代において中心的な分析対象となっているユーラシアの5地域、即ちギリシャ(この本ではローマも含めた地中海盆地全体を取り上げている)、レヴァント(パレスティナ)、イラン、インド、中国だ。ヤスパースによれば、これらの地域で紀元前800年から200年にかけて優れた思想家が相互に知り合うことなく立て続けに輩出されたことになる。その思想は後の人類の思想の根源になった、と彼は主張しているらしい。
具体的にどんな内容の思想が枢軸時代に生まれたのか。この本では事例研究に際して大きく3つの点に注目している。普遍的な道徳、平等主義的な考え、そして社会性だ。枢軸時代以前のarchaicな時代においては見られなかった特徴が枢軸時代に生まれ、それが後には近代的な思想の根っこになったというのが、現在における枢軸時代を巡る議論の中心だそうで、その理解が妥当かどうかを具体例に基づいて調べているわけだ。
で、実のところヤスパースが唱えた5地域で紀元前の限られた期間にユーラシアの5ヶ所で枢軸的な思想が生まれたことについては、必ずしもこの本は同意していない。中国の場合、諸子百家は後の時代の思想を歴史上の人物に仮託して語っていた事例が多く、本当に枢軸時代にそうした思想が生まれ、発展していたかどうかについては疑問視している。またヤスパースは枢軸思想が互いに独立して生まれたと見ているそうだが、実際には相互の関係があったことも指摘されている。
そしてこれからがこの本の本番なのだが、ヤスパースが唱えた5ヶ所以外の地域についても詳細な分析を行っている。対象地域はまずアフロ=ユーラシアの他の地域、具体的にはアナトリア、エジプト、メコン下流域、そして日本が挙げられている。このうちアナトリアはヤスパースの唱えた各地との関係性が強く、同じように古い時代に枢軸的な思想が生まれていたそうだし、エジプトに至ってはむしろ枢軸地域のどこよりも早く、紀元前第2千年紀には既にそうした思想が広まっていたと指摘している。
一方、メコン下流域(現在のカンボジア)と日本は、後になって枢軸思想が流れ込んできた地域だ。そしてこれらの地域では枢軸思想が広まった後も必ずしも普遍、平等、社会性といった枢軸的な価値観がそれ以前の価値観に取って代わったとは言い切れないことを具体例とともに指摘している。それどころか場合によってはむしろ枢軸思想が入ってきた後により社会の階層性が強まるといった現象も生じていたという。
さらにアフロ=ユーラシアから外れた地域として、サブサハラの内陸ニジェールデルタ、ペルー高地(インカ)、ミシシッピ峡谷、ハワイについても同じように分析が行われ、さらには国家形成まで至らなかった部族社会、具体的にはニューギニアのオロカイヴァ、北インドのガロ、ボルネオのダヤク、アマゾン河上流域のヒバロ、北アメリカのイロコイ、そしてシベリアのヤクートといった社会における枢軸的な価値観の在り方も調べている。
そこから分かるのは、枢軸的な価値観がどう広まっていったかについては簡単に説明できないということだ。常に例外があり、向かう方向性も時に異なっている。大きく複雑な社会を形成するような帝国ではarchiaicな社会から枢軸的な社会に向かうことが多いが、インカ帝国ではほとんど枢軸的な価値観は存在しなかった。大半の部族社会において超自然的な存在は人々に道徳を強いるようなことはしないが、ダヤクはその例外である。人類社会がかなり多様なのは間違いない。
取り上げた具体例は複雑だが、最後のまとめの章ではそこから大きな方向性を抜き出している。この本ではヤスパース的な枢軸時代、つまり特定の時代に同じような思想が個別に生まれてきたという考えには否定的だが、枢軸的な価値観が生まれるメカニズムが広い社会で見られることは認めている。社会が複雑になり、ある一定の閾値を超えると、そうした価値観を使わなければ社会が持ちこたえられなくなる、という理屈だ。
Unearthly Powerに関するTurchinの見解の時にも触れている通り、部族社会のように互いの顔が見える範囲での道徳の強制は難しくないが、社会が大きくなるとそれが困難になる。そこで採用されるのがグループに所属することを示すシンボル(言語など)の存在、ヒエラルキーによる組織化、そしてより教義をはっきりさせたうえでルーチン化した儀式を確立することだ、とこの本では指摘している。つまり社会の複雑化に対して、人々はまずそうした対応を取ると想定している。
だがこの方法、特にヒエラルキーの採用は、上位者による抑圧的な体制につながりやすいという問題がある。珍しく示されているデータによると、小規模社会では10%未満にとどまっている人間の生贄は、首長支配からarchaicな国家のサイズ(中規模社会)になると80%を超えるところまで増えていくそうだ(p398)。そして社会のサイズが中規模を超えて大規模になると、抑圧的な力を持つエリート間で派閥争いが始まり、それが社会そのものを崩壊されるケースが増えてくる。
つまりこの本でも、
神の誕生で指摘したのと同様、「大きな社会」が先に登場し、それが枢軸思想を求めたという考えを提示している。実際には枢軸思想の細部を見ると全ての社会で画一的に採用されることはなく、その実践には必ずといっていいほど困難を伴っていたのだが、それでも大きな社会を長続きさせたければそうした思想が欠かせない。そもそも人間は小さな社会においては平等性や社会性を重視する仕組みを持っているわけで、社会の巨大化にともなって失われたそうしたメカニズムを復興させるのが枢軸思想、だと考えられる。
問題は、なぜ枢軸思想の多くが宗教という形態を取ったのかである。もしそうした形態が枢軸思想を広めるうえで必須だったのだとしたら、最近の先進国(特に欧州)で起きている脱宗教化の動きは、もしかしたら枢軸思想からの後退と捉えられるかもしれない。だとしたら脱宗教化は、大きな社会が崩れつつある傾向を示すバロメーターになる。とまあ色々と考える材料になりそうな本だったのは確かだ。
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