また聞き

 ワーテルロー絡みの話をもう一つ。以前こちらでも取り上げたウェリントンの言葉に関する話だ。もう少し調べてみた内容はこちらにある。親衛隊の攻撃を受けたときに英近衛旅団に対してウェリントンが発したとされる命令なんだが、伝えられる何種類かの言葉のうち、Up Guards云々というやつに具体的論拠がないことは既に指摘している。
 問題はもう1つ、「今だ、メイトランド、君の出番だ」Now Maitland, now's your timeというやつ。この言い回しは足元で色々なところで紹介されている。もちろん映画ワーテルローの中でも使われているし、最近出版された本の中でも、Waterloo: The Decisive Victory24 Hours at Waterloo: 18 June 1815Wellington's Brigade Commanders: Peninsula and Waterlooなどで、この文言が紹介されている。
 ではこの文言の初出はいつだったのか。blogの記事では「1866年出版、つまりワーテルローから半世紀も後になって出た本」としており、祖国は危機にありの中では1874年出版のThe origin and history of the First or Grenadier Guardsを取り上げている。だが今回の確認によって後者は間違いで、前者は誤解を呼びそうな表現だったことが分かった。おそらく初出は、ある軍事専門紙の1867年1月5日付紙面に掲載された投稿文である。
 その雑誌名はArmy and Navy Gazette。The British Newspaper Archiveのサイトにあるこの新聞のページの検索窓にperegrine manchesterという2つのキーワードを入れて検索すれば、該当記事が掲載日とともに引っかかってくる。ただし直接読むには登録などが必要。それが面倒なら別ルートで内容を確認する方法がある。
 この新聞に投稿された記事は、他のワーテルロー関連の投稿と一緒に、後にThe Journal of the Household brigade for the Year 1866にまとめて掲載された。この書籍は1866年に起きたことをまとめて掲載しているのだが、出版自体が何年だったかはよく分からない。ただしgoogle booksは1866年出版として扱っている(以前にblogで紹介した1866年出版の本とはつまりこの本)。またgoogle booksでは全文表示がされないため、内容が確認できない。
 確認したければHathiTrust Digital Libraryを使うのがいい。こちらではThe Journal of the Household brigadeの1863年から1879年まで、内容が全文確認できる。もちろん上記の文言が載っている1866年分も閲覧可能だ。
 同書のp297-302にはThe Waterloo Controversyが掲載されており、Pall Mall GazetteやArmy and Navy Gazetteへの投書が順番に掲載されている。そこで論じられているのは、簡単に言えばフランス親衛隊を撃退したのは近衛旅団か、第52連隊かという、戦いでの功績を巡る口論である。
 議論のほとんどは1866年中に行なわれたようだが、最後に投稿された文章は翌年にずれ込んだと思われる。投稿者はManchester, late Grenadier Guardsとあるが、これは7代目マンチェスター公であるWilliam Montaguのこと。投稿内容はp302に書かれており、件のセリフに関する部分は以下のようになっている。

「ウェリントン公はペレグリン[・メイトランド]卿の傍におり、地面の向こうにベアスキン帽が見えた時、彼はペレグリン卿に『今だ、メイトランド、君の出番だ』と言った。ペレグリン卿は旅団に向けて『起て、近衛兵、狙え』と声をかけた」

 Montaguはこの話を「22年前、私がメイトランド卿の副官だった」時に、メイトランドから直接聞いたとしている。確かにThe Official Baronage of England, Vol. IIを見るとMontaguは喜望峰植民地で1843~1844年に「中将ペレグリン・メイトランド卿の副官」(p455)と記されている。ただしJournal of the Royal Society of Arts, Volume XXXVIIIには、副官を務めていた期間は1843~1846年と少し違う数字が載っている。Montaguの投稿文(書かれた時期はおそらく1866年12月)に「22年前」とあるので、おそらく正解は前者の方だろう。
 この話はArmy and Navy Gazetteに掲載されてから間もなく、The Athenaeumなる雑誌の1867年3月2日号にも引用されている(p286)。さらにThe Journal of the Household brigadeを始め、次第にいろいろなところで使われ、広まっていったのだろう。それ以前に定番として使われていたUp Guardsが、匿名の発言に由来するものであった(The battle of Waterloo, p57)のに対し、こちらはメイトランド自身の証言であるとみなされたことが、こちらのセリフに人気が偏っていった背景にあるのだろう。

 だが、以上の経緯を踏まえたうえで、この「今だ、メイトランド、君の出番だ」という発言の信用性がどこまであるかと言われれば、正直あまりないと思う。何と言ってもこの証言を残したのはメイトランド自身ではなく、彼から話を聞いた別の人物である。その人物はワーテルロー会戦の際にはそもそも生まれてもいなかったし、彼がメイトランドの証言を聞いた時から、それを投稿文にしたためるまでの間に、実に22年もの時間が経過している。
 加えてそのMontaguがメイトランドから話を聞いたのは、ワーテルロー会戦から四半世紀以上が経過した後である。メイトランドの発言自体に記憶違い、勘違いが混じっている可能性があるうえに、それを聞いたMontaguが投稿文を書くまでの間にこれまた記憶違い、勘違いが紛れ込むことも考えられる。リアルタイム性に乏しいうえ、途中に1人の人間を挟んでいるため、どうしても信頼度は下がる。
 このような経緯で伝えられた話の信用度が低いことを示す一例が、こちらで紹介したChaptalの文章。この政治家が残した「マセナから聞いた話」なるものは、その後多くの歴史家が引用することになったが、彼が言うようにボナパルトがイタリア方面軍に到着した時、その現場にマセナがいなかったことは他の史料から裏付けられる。Chaptalの文章も一種のまた聞きであり、かつ公表されるまでに長い時間が経過しているという点で、Montagu証言と似ている。
 前回のド=ランシーによる「配置メモ」も、ある意味そう言える。書いた本人ではなく別人がその写しを残しており、しかもその別人は長い時間を置いた後でこの写しを公表した。ところがその際に時間を勘違いしていたことが、これまた他の史料との対比によってはっきり分かっている。長い時間の後に公表された文章というのは、かなり信頼度が下がってしまうことを示す事例はこれ以外にも多々ある。
 それに、そもそもUp Guardsにせよ、Now Maitlandにせよ、ウェリントン自身が別の場所で行っている証言、例えばCrokerに宛てた手紙の中で述べているStand up, Guards!(The Croker papers, p283)と一致していないという弱みは一緒だ。こちらの方がMontagu証言のような第三者を通じた記録でない分、むしろ信頼度は高いと考えてもおかしくはない。でもこのシンプルな言い回しが最近のワーテルロー本で取り上げられることは少ない。
 結局のところ、足元で「今だ、メイトランド、君の出番だ」というフレーズがやたらとたくさん取り上げられることに合理的な理由はないように思える。そもそもそんな記述なしでもワーテルローの戦いについて書くことはできるし、より信頼度の高い文言を捨ててこのセリフを紹介するのはむしろ不誠実と言われても仕方ない。映画のようなフィクションで使うのならともかく、歴史を書いた本の中では脚注以外で触れる必要はない言葉だろう。
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