いけない、あの人が帰ってきたわ

 グレアムの本の続き。彼によるとボナパルト将軍は1796年のイタリア戦役において2度、連合軍に捕獲される危険にさらされたという。
 うち1回は7月31日のガルダ湖畔での出来事。オーストリア軍がブレシアとペシェーラを結ぶ街道沿いに待ち伏せをしていた時、ボナパルトとベルティエが幕僚を連れてブレシアから戻ってきた。最初に待ち伏せ箇所へさしかかったのは3人の騎兵。待ち伏せしていたオーストリア兵は彼らを狙撃したが、一人は助かり、「将軍、逃げてください」と叫びながら引き返したという。
 もう1回について、グレアムは単に「ゴイトでは後2分でボナパルトはオーストリア騎兵に捕まるところだった」としか述べていないが、Nafzigerが脚注で詳細な話を載せている。1946年に出版された"Guides de Bonaparte et chasseur a ch eval  de la garde"という本からの引用だ。

「1796年5月29日の夜間、ナポレオンとランヌ将軍はロナート近くのヴァレッジョに住むイタリア女性たちといちゃついていた。だが、マセナ師団による安全確保は手ぬるかった。二人はいずれもオーストリア騎兵に現行犯で奇襲された。ナポレオンは服を手に窓から逃げだし、かろうじて捕縛を避けた」

 この時期のナポレオンは後の時代とは異なり、まだジョゼフィーヌと新婚アツアツの頃。湯気が立ちそうな手紙を彼女に出しまくっていた時期だ。しかし、上に紹介した話が事実なら、彼は必ずしも新妻一本やりではなかったことになる。
 この話は本当に事実なのか。Nafzigerは具体的な一次史料を示していないので確認することはできない。事実関係としてフランス軍は5月30日にボルゲットーでミンチオ河を渡河しているので、その前夜の時点でロナート近くに指揮官がいてもおかしくはない。また、Chrisawnによるとランヌはボルゲットー攻撃に参加しているので、この話に彼が出てくるのも不思議ではない(ランヌは5月26日に准将となっている)。
 もっとも、いくら近くにいたからといってこの挿話が事実であるという保証にはならない。ボナパルトとランヌという二人の将軍が、踏み込んできた亭主から逃れる間男のように逃げ出したのが事実なら確かに笑えるのだが、そこまで断言するのは証拠不足だろう。
 はっきりしているのは、この話が事実であれ作り話であれ、歴史を知る上では大した意味はないということ。これはあくまで「こぼれ話」でしかない。

 もう一つ、グレアムはボナパルトとベルティエの間に明白な対立があったと記している。

「かの国[イタリア]の略奪は、ボナパルトと彼の配下にある将軍たちの間で合意があった唯一の点である。ボナパルトの勝利にその才能と助言が少なからず貢献したベルティエに扇動され率いられた将軍たちは、軍事的に沈滞していたこの休息期間にかの将軍[ボナパルト]に対する大いなる不満を示していた。
 彼らの不満は主にかの若者の専制的な性格と、全戦役中に浪費された将軍たちと兵士たちの血に対する無関心とに向けられた。
 この意見の相違に関する噂はフランスまで届き、そこから生じる結末を心配した総裁政府は事態の沈静化を図った。ボナパルトとベルティエに、彼らの間に存在すると言われているあらゆる分裂の動機を否認する2通の手紙を書かせた」

 このような手紙が実在するのかどうかは知らないが、この時期のボナパルトは後の皇帝ナポレオンとは異なり総裁政府の一将軍にすぎなかったことは確かだ。専制君主になる前には、彼に対して批判的な人物がいたとしても不思議ではないだろう。それがベルティエだったとしたらこれまた興味深い話ではあるのだが。

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