世界中に一気に広まり、数千万人から1億人に及ぶ死者を出したとも言われているインフルエンザパンデミックだが、日本国内における状況を内務省衛生局がまとめたのが「流行性感冒」という書物で、21世紀に入って
平凡社の東洋文庫で売り出されている。今でもオンデマンド版で売られているようだ。
冒頭からいきなり流行性感冒の歴史に関する年表から始まるなど、非常に内容は堅苦しい。一応、欧州では12世紀頃からインフルエンザと思われる記録が、日本の場合はもっと前の9世紀頃からそれらしい記録が登場してきたようだ(第1章、第2章)。明治以降においてもインフルエンザの流行は何度もあったようで、病気自体は珍しいものではなかったのだろう。にもかかわらず敢えてこのような書籍がまとめられたということは、当時においても被害の大きさが認識されていたためだと思われる。
スペインインフルエンザの起源については今でもいろいろな見解があるという。
wikipediaではフランスに駐留していた英軍説、米国内説、中国説などが紹介されている。流行性感冒の中でも「其の源を何処に発せしや全く不明」(p24)としており、当時から状況が不明だったのは間違いないだろう。面白いのは「スパニッシュ・インフルエンザなる語は既に古く行われたるもの」であり、パンデミックの際はスペインの状況が早く伝わったために「此の古き名称」が「再び人口に膾炙」したと説明している部分だ。スペインインフルエンザという言葉は20世紀初頭より前から存在していたのだという。
世界的な流行は1918年に2回あった。第一波である春の流行は「比較的良性にして合併症少きを特色」としていた。第二波は「夏の末より秋季に亘り」「病性多くは重症」で、特に「肺合併症の頻発」が見られた(p25)。第三波は1919年の1月から始まり3月まで及んだそうだが、感染者は前2回に比べて少なかったという(p31-32)ので、おそらく免疫を持つ者が増えていたと思われる。
第一次大戦中で各国が秘密主義に走ったためか、データ的にあまりはっきりしたことが分かっていないのもこの病気の特徴だろう。例えば情報がよく知られていたというスペインでは、1918年に14万451人が死亡したと書かれている(p45)が、これがフランスになると総数のデータはどこにも入っていない(p45-46)し、英国でも総数は書かれていない(p47-48)。米国でも軍隊内の数字やニューヨークの数字など、部分的なものが紹介されているだけだ(p48-49)。
一方、日本国内についてはかなり詳しいデータがまとめられている(第4章)。1918年8月から19年7月までの第一波では2100万人以上が感染し、25万7363人が死亡、19年9月から20年7月までの第二波では240万人強が感染して12万7666人が死亡、そして20年8月から21年7月までの第三波では22万人以上が感染して3698人が死亡したとしている(p85)。合計すると感染者は2380万人、死者は38万8727人に達した格好だ。
時期ごとにまとめたデータ(p90-91)を見ると、最初の流行時期である1918年8月下旬から19年1月15日までの被害が最も多い。人口1000人のうち実に336.29人、つまり3割以上が感染し、3.58人が死亡した。死亡率は1%ちょっとと、重症化が見られた第二波に比べればかなり低かったものの、感染者があまりにも多かったために死者数も極端に膨らんだ。今なら間違いなく医療崩壊が起きていただろう。
結局20世紀初頭における日本の「流行性感冒」で、最終的に感染した人は1000人中416.88人、死者は同6.76人に達したそうだ。当時のインフルエンザの基本再生産数がどのくらいあったかは不明だが、4割の感染によって流行と言える流れが収まったのはおそらく確かだろう。インフルエンザの場合は完全な免疫を獲得するのは難しいと思われるが、それでもある程度の免疫を持っている人が増えた、いわゆる「集団免疫」の確立によって事態が収まったと思われる。
足元の新型コロナウイルス対策ではそもそも実施不可能と思われるような「集団免疫の早期確立」が達成できたのはなぜか。一つヒントになるのが他の呼吸器疾患の死者数との比較だろう(p94-95)。パンデミック前の1917年、インフルエンザの死者数2390人に対して肺結核は8万7925人、急性気管支炎は2万2139人、慢性気管支炎は3万4923人、肺炎及び気管支肺炎は9万9236人、その他の呼吸器疾患は2万7882人と、呼吸器が原因の死者はそもそもものすごく多かった。
1918年にはインフルエンザの死者が前年の30倍近くに急増している。それだけではなく肺炎及び気管支肺炎も倍以上に膨らむなど、呼吸器関連の死者は合計で前年より20万人近くも増えた。だが増える前の時点で27万人以上が呼吸器を原因とした死者だったことを踏まえるなら、今より病死に対して人々が「慣れ」ていたのかもしれない。加えて足元に近づくほど
暴力の減少などを通じて昔より人の命が重くなっている可能性もある。100年前なら仕方ないと受け入れられていた死が、現代ではずっと強く忌避されているわけだ。
だが人間はいつか死ぬわけであり、特に高齢者は新型コロナウイルスがなくても他の理由で死んでしまう確率が高い。加えて医療への負荷が大きくなると、高齢者より若者を優先した治療が避けられないケースも出てくる。そうした状況を通じ、遠ざけられていた「死」に対して人々が再び慣れてくるようになれば、現代においてもスペインインフルエンザの時と同様に「さっさと集団免疫を確立する」方向に世論が振れないという保証はあるだろうか。
実際に感染した人が増えている国においては、その可能性はさらに高まるのではないか。あるモデルによると欧州の一部国家(ベルギーやスウェーデン)では既に
全人口のうち1割ほどが感染している可能性があるそうだ。
こちらには別のモデルで計算した「感染者数のうち実際に確認できた割合」も載っており、米国などは実は全感染者のうち12%前後しか把握できていないという。
もちろん、感染者が増えている国であってもいまだ9割は未感染であり、だから何もしないでいると大量の患者が発生して医療崩壊するリスクは残っている。それでもこの数字が大きくなるにつれて、「死」に慣れた人々の間から、ロックダウンなどしない方がいいという意見も増えてくることだろう。
とまあ色々なことが書かれている本だが、興味深いのは当時の啓発ポスター画像だ。「恐るべし『ハヤリカゼ』の『バイキン』! マスクをかけぬ命知らず!」と書かれた図画を見てもらうと、当時のマスクが実は黒かったことが分かる(80/302)。
実は
こちらにまとめられている通り。昔のマスクは黒かった。そもそもは工場や炭鉱で粉塵を吸い込まないために作られたもので、その当時はむしろ黒い方が普通だったのだとか。後に医療用として白いマスクが普及したが、少なくともスペインインフルエンザが流行した時点ではまだ黒の方が一般的だったんだろう。最近でこそ黒いマスクも珍しくなくなっているが、むしろあれは先祖返りなのかもしれない。
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2020/04/22 URL 編集
2020/04/22 URL 編集