疫病史

 前に疫病の歴史について触れていたPeter Turchinだが、さらに追加情報的なエントリーを上げていた。といってもwikipediaその他のデータを使い、危機の時期に当てはまりそうな疫病の例を並べただけなので、それほど内容のあるエントリーとも言えないが、彼がどの時期を「危機フェーズ」と見ているかについて知るよすがにはなるだろう。
 最初に出てくるのは後期青銅器時代の崩壊というやつだ。紀元前1200年頃に地中海東部で起きた社会変動のことで、分かりやすい出来事はヒッタイトやミケーネ文明の崩壊、海の民によるエジプト襲撃などがある。
 この時期の実例としてTurchinが取り上げているのは、聖書に書かれたものが多い。Plagues of Egyptは出エジプト記に記載されているもので、その中には「家畜に疫病をはやらせる」「腫物を生じさせる」といった病気と関連ありそうなものが多い。他にもペリシテ人の疫病なるものはサムエル記に、ダビデ王の時代の疫病も同じくサムエル記に記されている。
 The plague among Achaeans at Troyはイーリアスに描かれているアカイア軍を襲ったアポロンの疫病のことだ。Crete depopulated by the plagueはミケーネ文明で生じた大幅な人口減のことだと思うが、疫病が原因という主張が何に基づいているのかはよく分からない。いずれの論拠にしてもどこまで信用できるか微妙なものだが、疫病が増えたと思わせる論拠がこの時代にそこそこあることは確かなようだ。
 次は紀元前5世紀、ペロポネソス戦争の時代。アテナイの全盛期が崩壊する時だが、そのアテナイで起きた疫病は西洋世界ではよく知られているようだ。ペロポネソス戦争の歴史書を残したトゥキディデス自身も病にかかり、生き延びたという。また同時期にローマでも疫病が流行っていたようだ。後期青銅器時代のものに比べれば、信頼度は高そうなソースである。
 ローマの元首制期における危機(紀元2~3世紀)としては有名なアントニヌスの疫病が挙げられる。中東から戻って来た兵士たちによってもたらされたというこの病気は、天然痘か麻疹のどちらかと言われているそうだ。またキプリアヌスの疫病もこのフェーズに起きており、同じく天然痘やインフルエンザ、あるいはエボラウイルスのような出血熱だったのではないかとされる。
 次に6世紀、西欧ではメロヴィング朝、東欧では専制政の危機が訪れるようになった時代。Turchinはここではユスティニアヌスの疫病を紹介している。この疫病は8世紀までおよそ200年にわたって何度も再発しており、長期にわたる混乱を引き起こしたようだ。この病気は今ではペスト菌によるものであることが分かっているそうで、後に中世欧州を襲ったのと同じ疫病が既にこの時に現れていたわけだ。
 8世紀のウマイヤ朝崩壊は、まさにこのユスティニアヌスの疫病再来が原因だという。一時は中央アジアからイベリア半島にいたるまでの巨大帝国を作り上げた彼らだが、通常の永年サイクルよりはかなり短い期間で崩壊しており、イスラム帝国が遊牧民国家の特徴を持っていることを窺わせる。
 そしてTurchinは同じ8世紀の事例として日本における天平の疫病大流行も紹介している。彼が日本の事例を取り上げるのは極めて珍しいが、この疫病(天然痘)による死亡数は総人口の25~35%に達し、100万~150万人が失われた計算になるそうだ。Turchinは奈良時代についてturbulent(騒然とした)という形容詞をつけており、やはりこの時代が危機フェーズであったとの見方を示している。以前こちらのエントリーで想定した「大化の改新から本格的摂関政治が始まるまでの律令制サイクル」における爛熟期から危機へとシフトしたのが奈良時代だった、のかもしれない。
 それ以降の記述は前にも紹介しているものが多いので簡単に。14世紀の中世末期は黒死病の時代だ。続いて17世紀の危機は3度目のペスト襲来とコロンブス交換によって彩られた。「長い19世紀」に相当する革命の時代の危機は、コレラやスペインインフルエンザを伴うものだった。
 Turchinが紹介しているものは単に事例をピックアップしたものにすぎず、統計的な裏付けまでは存在しない。あくまで彼の個人的blogで取り上げるレベルの話にとどまっている。もっとアカデミックな取り組みとしては、SeshatのCrisis and Recovery Databaseというプロジェクトが動いているそうで、このblogに関しては、大雑把な頭の整理として作ったものと見るべきだろう。

 疫病が永年サイクルにおけるスタグフレーションフェーズから危機フェーズへ移行する局面で広まるものであるなら、それは同時に永年サイクルがIntegrative Trends(統合トレンド)からDisintegrative Trends(崩壊トレンド)へシフトしたことを表している可能性もある。現代であれば、世界各地をグローバル化の名のもとに統合してきた力が逆回転を始めたかもしれない、という解釈ができるわけだ。
 こちらの記事ではグローバリズム後退の力学について、いろいろな指摘を紹介している。世界中に張り巡らされたサプライチェーンへの打撃、介入を強める各国政府の姿勢(マスクの奪い合いなども生じている)、国際協調の枠組みに起きている機能不全(米国によるWHOへの拠出金停止)といった流れから、グローバリズムの後退は避けられないとの見方が増えているようだ。
 一部には米国の退潮に合わせ、中国主導のグローバル化を予想する向きもあるが、そこまで進むだけの力を中国が持っているかどうかは不透明。ただ米国のダメージが大きくなれば、ただでさえ内向きの傾向がつよまっている彼らがさらにモンロー主義への回帰を強め、その分だけ世界各地に力の空白が生まれ、広がる可能性はある。逆に疫病の影響は限定的で、流行が収まれば再びグローバル化が強まり、単にその中におけるプレイヤーの力関係が多少変わるだけになることも考えられる。
 少なくとも現時点で、米国内における疫病はむしろ格差を広げる方向で働いているのは確かなようだ。こちらのデータを見ると、収入が高いほど自宅で働ける比率が増え、逆に労働時間を減らされたり仕事を失ったりする人は低所得者に多くなっている。大学に行った人とそうでない人の間でも差は明白だ。耐え切れなくなった米国の大衆は各地で経済活動再開を求めて抗議しているという。
 COVID-19が永年サイクルと同調しているという考え方はありだと思うが、崩壊トレンドへの移行によって格差の縮小がもたらされると見るのは、まだ気が早いのだろう。疫病にもかかわらず格差は残り、むしろ危機を深める要因として働くことを警戒した方がいいように思う。
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