時代とパンデミック

 これまでCOVID-19について統計的な分析を中心にblogを更新していたPeter Turchinだが、最近になって歴史に関連したエントリーを上げてきた。Coronavirus and Our Age of Discordと題したこのエントリーでは、2008年に彼が記した文章に基づいて話を展開している。
 その文章はModeling periodic waves of integration in the Afro-Eurasian world-systemなるもので、題名を見ても永年サイクルについて述べたものであることが分かる。彼がSecular Cyclesを出版したのはその翌年であり、そのアイデアをまず短い文章にまとめていたんだろう。
 その中には疫病に関するデータも採録されている。Figure 8.7には欧州、地中海及び中東における疫病の頻度(年代記における言及から算出したもの)、及び中国における疫病(こちらは各地方の報告から算出)についてのグラフが載っている。西ユーラシアでは14世紀に最初のピークが来た後、何度も上げ下げをくり返しながら次のピークが17世紀に訪れていることが分かる。前者のピークが有名な黒死病だが、後者のピークはいわゆる「危機の17世紀」に相当する。
 疫病のピークはそれだけではない。ペストの大流行は18世紀以降はほとんど見られなくなるが、一方で革命騒ぎが起きていた19世紀にはコレラの流行があった(Figure 8.11)。このグラフはblogのエントリーにも採録されており、要するに永年サイクルの危機フェーズにおいては疫病の蔓延がくり返し見られているわけだ。Turchinは2008年の文章において「AIDSのパンデミックはそれ自体恐ろしいものだが、おそらくはより悪質な病気が訪れる前兆なのだろう」(p189)と記している。もちろん当時の彼はCOVID-19について何も知らなかったわけだが、こうやって予測が的中してしまうとまた彼がハリ・セルダンに見えてしまう人が増えるかもしれない。
 Turchinによれば、危機フェーズの前にはパンデミックが生じ広まりやすくなる全体的な傾向がいくつか存在するという。危機フェーズの前には人口が大幅に増え、当然ながら人口密度も高まって疫病の基本再生産数(R0)も高まる。さらに労働力過多のために労働分配率が低下し、大衆の困窮化が進んでいることも、病気に対する人々の抵抗力を弱めている。仕事を求める人々は移動が増え、都市部に集まり、都市から都市への病気の伝播も加速する。
 大衆側の要因だけではない。収入が増えるエリートたちは贅沢品への支出を増やし、遠方からの珍しい品物を手に入れようとする。長距離の貿易が増える結果、遠い地域とのつながりも強まり、疫病がすぐ広範囲へと広がる。最後に危機フェーズに突入すれば内戦が起こり、それに伴って発生する軍や流民の彷徨によってさらに疫病が広まっていく、という寸法だ。
 もちろんこれらは農業社会における現象であり、現在の状況とは異なるところも多い。だが「グローバル化と大衆の困窮化という主要なドライバーは同じ」というのがTurchinの主張だ。グローバル化と全体的な危機、パンデミックが手に手を取って現れるという現象は、青銅器時代から中世後期まで同じようにみられるものであり、2世紀の「アントニヌスの疫病」、6世紀の「ユスティニアヌスの疫病」、そして14世紀の黒死病は、いずせも危機フェーズを長引かせる一因となった。
 近代以降においては17世紀の危機(アメリカ大陸における疫病の蔓延も含む)、革命の時代(コレラに加えてTurchinは20世紀初頭のスペインインフルエンザも挙げている)にやはりパンデミックが起きた。そして足元。「我らが不和の時代においても、特有のパンデミックが出てきたように見える」とTurchinはまとめている。
 こちらのwikipediaまとめを見ると、21世紀に入って最大の死者を出した疫病は2009年の新型インフルエンザとなっている(15万人から57万人)のだが、WHOの資料を見ると2010年8月時点まででその数は1万8449人にとどまっており、wikipediaの数字がどこからきているのかよく分からない。少なくともWHO自身が10万人近い死者数を計上しているCOVID-19が21世紀最悪のパンデミックであることは間違いないだろうし、今がTurchinの言う「不和の時代」なのだとしたら、それを象徴する疫病と言ってもいい。
 そう思われる状況は特に米国で顕著に表れている。こちらでは米国各地で貧困層に病気の被害が集中している可能性が指摘されているし、日本語でもそうした話が報じられるようになってきた。以前紹介した「暴力と不平等の人類史」の書評で指摘されている「平等化の四騎士がやっていることは、富の破壊であるだけでなく、貧者の口減らしでもある」という現象が今まさに起きているわけだ。

 その暴力と不平等の人類史(The Great Leveler)の著者であるScheidel自身はCOVID-19についてどう考えているのだろうか。彼がNY Timesに寄稿した文章の一部がこちらのツイートに引用されている。COVID-19は過去の大規模な疫病ほど多くの人間を殺すことは考えにくいが、もしかしたら大恐慌と第二次大戦によって引き起こされたような、再配分を目的とした改革を促すかもしれない、というのが結論だ。
 NY Timesの記事は登録が必要だが、こちらこちらではそのままScheidelのインタビューが読める。基本的にCOVID-19の致死率は最悪でも過去の疫病より低く、加えて現在の労働力と将来の労働力へ及ぼす影響はさらに少ない(死亡率が高いのはほぼ引退した高齢者ばかり)。しかし事態がより悪化するようになれば、今までとは異なる方向性の政策がより好まれるようになるかもしれない、とScheidelは述べている。
 一方、TurchinはScheidelの歴史理解について異論を呈している。Turchinによれば様々な改革につながった進歩主義は大恐慌によってもたらされたのではなく、あくまで「暴力の急増」が原因となる。エリートが恐怖を覚えるような状況になって初めて改革が進むのであり、2020年の現代においてそうした改革が進むことに対しては懐疑的、というのが彼の指摘だ。Scheidelも短期的にはその見解に同意しているが、事態が十分に悪化すればトリガーが引かれる可能性はあると見ている。
 経済的に、例えば黒死病後に生じた労働需給の劇的な変化と同じような事象をCOVID-19もたらす可能性が低そうであることは、たとえばこちらの記事でも指摘されている。Turchin自身がリツイートしている記事では、米国企業が従業員を大量解雇する一方、配当や自社株買いを減らしていない事実が指摘されている。少なくとも現時点の米国エリートが大衆のための再配分を真面目にやろうとしている様子はない。
 米国以外はどうだろうか。今のところ他国で米国ほど極端に貧困層がよく死んでいるという話は伝わっていない。ありそうなのは米国同様に貧富の格差拡大が進んでいると言われている英国や、もともと格差の大きい中南米あたりで似た現象が起きている可能性だ。中国も格差は大きいが、あそこは疫病をローカルな範囲で抑え込むことにかなり成功しているので、米国ほど明確な傾向は出てこないかもしれない。
 ただ、各国でどのような推移をたどるにしても、COVID-19がもたらす影響はTurchinの予想する範囲にとどまるように思う。COVID-19よりはるかに破滅的だったスペインインフルエンザですら、社会の流れを変えるには至らなかった。COVID-19が「我らの時代のパンデミック」になるとしても、平等化をもたらすのではなく単に危機を長引かせるだけの厄介な存在になりそうだと感じている。
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