ロディの橋

 驚きの事実。

オメ「陛下どういうことですか。陛下はロディで部隊の先頭に立ち、軍旗を持って橋の上を突進したって言われているじゃないですか」
ナポ「ああ、そうしたと言われているよ。――でもしてるわけないじゃぁぁぁん」(ないじゃぁぁぁん)(ないじゃぁぁぁん)(ないじゃぁぁぁん)

 かなり意訳しているがLiar Game"http://wwwz.fujitv.co.jp/liargame/index3.html"は面白い、もとい、ナポレオンは本当にこういう内容のことをセント=ヘレナで喋っている。より正確に翻訳するなら、以下のようになる。

「1817年4月21日(中略)
 軍旗を掴んで敵兵の中に向かって自ら突進したのはロディか、それともアルコラなのかを皇帝に尋ねた。彼は答えた。『ロディではなくアルコラだ。アルコラで私は僅かながら負傷した。しかし、ロディではそうしたことは起こらなかった。なぜそんなことを聞く? 私を臆病者だと思っているのか?』と笑いながら彼は言った」
Napoleon in Exile, Vol.II"http://books.google.com/books?id=zaUNAAAAIAAJ&printsec=frontcover&dq=editions:0etOYEN40MKCPZkgTCVhSva" p2

 Edward O'Mearaがぶつけた質問に対し、ナポレオンは「ロディではなくアルコラ」でそうした行動を取ったのだとはっきり言明している。まあ、実際にはその後でO'Mearaがそいつは逆じゃなかろうかと指摘し、ナポレオンが「それは取り立てて言うほどのことではない」と返事しているのだが、少なくともロディで突撃したと自ら認めていないことは確かだ。
 実際問題、ナポレオン自身がロディでの突進を認めた発言は、私の調べた限り見つかっていない。たとえば、戦闘の翌日である共和暦4年花月22日(1796年5月11日)付の総裁政府への報告書でボナパルトは「ベルティエ、マセナ、セルヴォニ、ダルマーニュ将軍と、ランヌ大佐、デュパ中佐」(Correspondance de Napoleon Ier, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=uFYuAAAAMAAJ&printsec=frontcover&dq=editions:0F3OwcHQ8Bum112PFHN" p261)の名は上げているものの、自分の名前は記していない。
 また、セント=ヘレナでモントロンに向かってロディの話をした時には、ナポレオンどころか、他の高級将校が関与したという話すらしていない。

「縦隊の先頭は左に旋回するだけで橋に到達し、そこを駆け足で数秒渡ったところですぐさま敵の砲撃を受けた。縦隊が敵の砲撃に晒されたのは橋を渡るため左旋回をした時だけだった。結果、縦隊はあっという間に顕著な損害もなく対岸に到達し、敵戦線に襲い掛かり、それを打ち破って大混乱のうちにクレモナへと退却させ、大砲といくつかの軍旗と2500人の捕虜を得た」
Memoirs of the History of France During the Reign of Napoleon, Vol.III"http://books.google.com/books?id=JW0uAAAAMAAJ&printsec=frontcover&dq=editions:0wBDpzpsnMM-mNPwVFv" p177

 ラス=カーズに対しては、以下のような有名な台詞を吐いている。

「1816年10月18日(中略)
 彼[ナポレオン]は『それでもなお私は自分自身を高く評価するには至らなかった。ロディの戦い後になって初めて私は高貴な野心を抱き、エジプトにおけるピラミッドでの勝利とその後のカイロの取得によって確証を得た』と話した」
Memoirs of the Life, Exile, and Conversations, of the Emperor Napoleon, Vol.IV"http://books.google.com/books?id=tnwuAAAAMAAJ&printsec=frontcover&dq=editions:0_bP2sXCWJPUAMwpXlx" p4

 ロディの戦いが自身の人生で重要な分岐点であったことを認めている訳だが、一方で自分が軍旗を持って突進した云々という話は、やはり一言も述べていない。このラス=カーズの記録を論拠にナポレオンがロディで部下の先頭に立ち軍旗を持って突進したと主張するのは無理があるだろう。
 O'Mearaの質問を見ると分かるが、同時代人の間ではナポレオンがロディで軍旗を持って突進したという(本人が認めていない)話がよく知られていたようだ。驚くべきことに、ロディの戦いの翌1797年には英国の雑誌に早くもこの「お話」が登場している。

「しかし敵からの恐ろしい砲撃が彼らの前進を食い止めていた時、ベルティエ、マセナ、セルヴォニ将軍らが前方へ突進した。もしブオナパルテが、似たような状況でカエサルがやったように部下の手から軍旗を奪い取り、自ら先頭に位置してその行動と身振りで兵たちを鼓舞するという大胆な行為を見せなければ、彼ら将軍たちの存在も無駄に終わっただろう」
Edinburgh Magazine, Vol.IX"http://books.google.com/books?id=avBOW8NiuFIC&pg=PA444&dq=buonaparte+%22bridge+of+lodi%22&as_brr=1" p444

 同様の内容はフランス語の本にも記されたようだ。セント=ヘレナにおけるナポレオンの発言を様々な史料から集めた本(1822年出版)には、以下のような挿話が紹介されている。

「ベルトラン夫人が本の中の一冊を手に取り、たまたま以下の一節を開いて大きな声で読み上げた。『ボナパルトによる最初の戦いはロディ橋を巡るものである。彼は大いに勇気を示し、彼の後に橋を渡ったランヌ将軍に完璧に支援されていた』。――前だ! と皇帝は叫んだ。私の前だ! ランヌは最初に橋を渡り、私は単に彼についていったに過ぎない。それはすぐに修正しなければ」
Recueil de pieces authentiques sur le captif de Sainte-Helene"http://books.google.com/books?id=rYge-y3WEm0C&printsec=frontcover&dq=editions:0o2o4eIXaXF-MNingF" p375

 ここでもナポレオンは部隊の先頭に立ったことを否定している。彼の言う「ランヌについていった」という点については2番目に橋を渡ったことを意味していると解釈することも可能ではあるが、そうではなくランヌを含む先頭部隊が渡った後についていったと読むこともできる。これまた、ナポレオンが軍旗を持って部隊の先頭を突進したことを裏付ける材料としては力不足なのだ。

 ナポレオン本人が認めていないことに気づいている同時代人もいた。1802年から09年までパリに居住していた英国の出版業者Lewis Goldsmithは、1810年に出版した本で「[ロディの戦い時における]ボナパルトの個人的勇気には多くの賛辞が捧げられているが、これは相手を間違えている。軍の先頭に立って橋を渡ったのは、ボナパルトではなくランヌである」(The Secret History of the Cabinet of Bonaparte"http://books.google.com/books?id=1n8vAAAAMAAJ&pg=PA80&dq=bonaparte+%22bridge+of+lodi%22&as_brr=1" p80)と書いているし、Willem Lodewyk Van-Essは1809年に出版した本でベルティエ、マセナ、セルヴォニ、ダルマーニュ、ランヌ、デュパというお馴染みの名をきちんと記している(The Life of Napoleon Buonaparte, Vol.II"http://books.google.com/books?id=1aj1NuFW9HUC&pg=PA45&dq=buonaparte+%22bridge+of+lodi%22&as_brr=1" p44)。
 PhippsやBoycott-Brownといった歴史家たちはその著作の中で、ボナパルト将軍が総裁政府に出した報告書で触れられている面々のみの名を上げ、ボナパルト自身が突進に参加したとは述べていない("http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/lodi.html"参照)。おそらく彼らもボナパルトが突進に参加した具体的な証拠を見つけられず、GoldsmithやVan-Essと同様の判断を下したのだろう。実際、一次史料に忠実であろうとするのなら、(現時点では)ロディでナポレオンが突進したのは史実ではなく「伝説」だと判断するしかない。
 それにしても恐ろしいのは、本人が認めてもいないのに周囲が勝手に「伝説」をつくり、ここまで広めているという事実だ。O'Mearaに至っては目の前にいる本人が否定したにも関わらず、自分の信じている「伝説」の方が正しいに違いないとまで主張している。人間は事実を受け入れるのではない。自分が信じたいものを信じるのである。ロディ橋の突進もまた、素晴らしく成功したミームと言える。

 以上、ナポレオン漫画最新号に関連する話。ロディの戦いについて触れたいことは他にもあるのだが、連載の方もまだロディが続きそうなので、次回以降に回すことにする。

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