優れたミームとか上手くできたミームというのは、人々の間で容易に広がっていく考えや信念を指している。考えや信念の内容自体が優れている、という意味ではない。まして、その考えや信念が真実であることなど全く意味していない。広がりやすく、多くの人に受け容れられやすい考えが、即ち正しく素晴らしい考えであるという保証は、どこにもないのだ。
それを意味する一例として、ワーテルローの戦い時にウェリントンが言ったといわれる「ブリュッヒャーか夜か」という言葉について調べてみよう。このフレーズ、google bookで著作権切れになっている本を対象に検索しても、実は全く引っかからない。一方、普通にググるといくつか出てくるのだが、そのほとんどが掲示板などへの書き込み。そして、そうした書き込みは論拠について記していないものばかりである。
唯一気になるのは、こちらの記事"http://www.waterloo1815.be/getfile.php?GFILE_ID=1175"内でマインツ大学教授ペーター・クラウス・ハルトマンがこの台詞に言及していること。ドイツのwikipedia"http://de.wikipedia.org/wiki/Peter_Claus_Hartmann"によるとPeter Claus Hartmannは近代初期の歴史が専門のようだが、ワーテルローの戦いにどれだけ詳しいのかは不明だ。何よりこのハルトマン教授も論拠を示していない点が問題である。
むしろ本当に参考になるのはこちら"http://ph.answers.yahoo.com/question/index?qid=20070121115555AAs2cba"だ。この台詞を誰が言ったのかという質問に対し、回答者は「映画ワーテルローの、クリストファー・プラマーの台詞」と書き、さらに「ウェリントンが本当にこう言ったかどうかは推測の域を出ていない」としている。この言葉がウェリントン自身のものであるという証拠はなく、あくまで映画で使われた言い回しに過ぎないという訳だ。
実際、ネット上に出てくる「ブリュッヒャーか夜か」という文章は、その大半が最近書かれたもの(掲示板など)であり、逆に古いもの(google bookの本のうち著作権が切れて閲覧可能なもの)の中には全く見当たらない。どうやら、この台詞が初登場したのは1970年制作の映画ワーテルロー内だと考えてほぼ問題はなさそうだ。
要するに、掲示板などで「ウェリントンがこう言った」と書き込んでいる者は、映画(フィクション)と史実を混同している訳である。こういった話はベルナドットの刺青(史実ではなく、フランスで上演された演劇の一幕らしい)などでも見られる。でも世の中にはそういうフィクションに基づく話の方がよく広まっているケースが多々見られる。人々は事実だからその話を受け入れるのではない。たとえ虚偽であっても面白い話なら受け入れるのだ。結果として、史実ではない話が「史実」として広まることになる。
「ブリュッヒャーか夜か」という台詞は、その意味で「優れたミーム」と言えるだろう。この映画は他にも「私がネイ元帥だ」というミームを生み出し、日本などで広めている。興行的には大失敗だったと言われる映画だが、その中からでも優れたミームが生まれることはある訳だ。
追加:シェヘラザードさんの指摘により、実はユゴーが「レ・ミゼラブル」の中でこの台詞を使っていたことが判明した。という訳で上の文章は大間違い。信用しないでください。
コメント
No title
2007/06/01 URL 編集
No title
A cinq heures, Wellington tira sa montre, et on l'entendit murmurer ce mot sombre: Blucher, ou la nuit!
こりゃこちらの文章を元にもう一度検索をかけてみた方がよさそうな感じがします。参りました。
2007/06/01 URL 編集
No title
2007/06/01 URL 編集
No title
O'Conner Morrisの本は1900年出版のようですね。Les Miserablesが1862年出版なので、その影響を受けている可能性はありそうです。というかLes Miserables出版以降のワーテルロー関連本は(よほどきっちりしたのを除いて)全て怪しいと睨んだ方がいいかもしれません。厄介だ。
2007/06/02 URL 編集