前回は各国の兵力に占める銃兵の比率について紹介し、1575年の長篠の戦(3~10%)より前に欧州各国は長篠同等もしくはそれ以上の銃兵比率を達していたこと、中国に至ってはその200年ほど前から1割が銃兵になっていたことを説明した。少なくとも比率で見る限り、日本よりも欧州や中国の方が火力に頼る度合いは高くなっていたことが分かる。
ただし全体の数となると比率だけでは説明できない。比率が高くても兵の総数が少なければ、掛け合わせた結果としての銃の数はそれほど大きくない可能性があるし、逆に兵の数が多ければ比率が低くても銃の総数は増える。どのくらいの兵力を動員できていたかによって結果が変わるかもしれないのだ。
そこでまず動員数の基盤となる人口を確認しておこう。1600年時点での各国人口について、
こちらのまとめ によると当時の世界最大国は明で人口は1億6000万人となる。次はムガール帝国の1億1500万人、そして大きく離された3番手にスペインとポルトガルの同君連合3000万人弱となる。さらにオスマン帝国、神聖ローマ帝国、フランス王国が2000万人台で続き、江戸幕府は1850万人となっている。
とはいえ所詮はwikipedia。実際のところ、スペイン同君連合の数字には米大陸のインディオも含むと思われる(
イベリア半島だけなら1000万人という推計 がある)など、この数字を額面通りには受け取れないのが実情。また、人口がそのまま動員力を示すわけでもない。特に平和な国であれば動員力が落ちることもあっただろうし、実際
こちらのインフォグラフィックス を見ると1500年に130万人を動員していた明が1600年には80万人まで数を減らしている。
上記のデータを踏まえたうえで、では欧州列強の銃の数はどのくらいだったのだろうか。単純に最大値を叩きだしているスペイン同君連合の30万人という数字を使い、さらに
1580年代以降は銃兵の割合が歩兵の6割に達していた という想定をする。スペインの場合、騎兵は1割未満だったそうなので、仮に9割を歩兵とすれば銃の数は16万2000丁に達する計算となる。このあたりが想定できる最大値だろう。
フランスのように騎兵が多く、銃兵の比率が半数程度であれば、銃の数はおそらく5万丁くらいだろう。神聖ローマ帝国は同じくらいの水準か、もっと多ければ8万丁くらい(全人口の1%を動員すると仮定)になっていた可能性がある。オランダは動員兵力7万人と規模は小さいが、
Adrian Duyk によると1588年の時点でパイク兵40%、銃兵60%の比率に達していた(
Geschichte der Kriegswissenschaften , p731)そうなので、3万~4万丁くらいは銃があったと思われる。
では日本の場合はどうか。
『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における軍役人数(兵力数)の記載について 、という論文によると、イエズス会が報告した朝鮮役の動員数は兵が総勢20万人、非戦闘員が10万人に及んだという(p67)。もちろんこれも書類上の数字であり、実態がどうだったかまでは分からないが、当時の日本が欧州列強上位と並ぶか、もしかしたらそれに勝るレベルの兵力を動員できた可能性はありそうだ。
こちらのまとめ によると日本の総石高は16世紀末で約1850万石、大坂の陣の少し前で2200万石強となっている。動員数にすると46万人強から55万人強といった規模だ。明らかに欧州列強より高い動員数を記録しており、人口に比べて兵力に投入できる度合いが高かった様子が窺える。戦闘民族と言われてもおかしくないレベルだろう。
それだけではない。
こちら に載っている大阪の陣において徳川秀忠が発した軍令によると、1万石当たりの鉄砲は20丁しか求めていない。250人につき20丁ということは比率はたったの8%で、最低限だとこのくらいの動員で済んだことになる。ただ
1633年の軍役 を見ると10万石で350丁(14%)まで高い水準を求められており、規模の大きな大名にはもっと余力があったのだろう。一応、当時の日本では動員数のうち少なくて10%未満、多くて20%弱を銃兵が占めていたと考えるのが妥当だと思われる。
1万石当たり20丁の銃を17世紀初頭の国内生産高2200万石に当てはめれば、銃の数は4万4000丁となる。そうではなく伊達軍の19%という数字を55万人という総動員数に適用すれば、10万4500丁という数字が出てくる。このあたりが戦国末~江戸初頭における日本で動員できた銃兵の下限と上限だと考えてもいいのではないだろうか。実態がその中間あたりだとすれば、当時の日本で動員できた銃はおよそ7万~8万丁あたりと推測される。
個別の国単位で見れば欧州諸列強と比べても遜色はないが、欧州全体と比べればずっと少ない数字だったと考えられる。そして中国と比べればやはり及ばない。当時の日本が世界最大の銃保有国であったとする議論は、やはりトンデモの類だと見た方がいいんだろう。
日本の動員力の高さも、決して突出した事例とは言い難い。スペイン同君連合は1000万人の人口から30万人の兵(3.0%)をひねり出したわけだし、そのスペインと争ったオランダは150万人の人口から7万人(4.7%)の兵士を作り出していた。もちろんいずれも書類上の数字だと思われるが、現代の軍隊のようにフルタイムの兵士ばかりでなければ、このくらいの動員は可能だったのだろう。
結局、日本においては銃兵比率が欧州や中国に及ばない水準のまま平和が訪れた。その点だけとってみても、日本の銃の数が世界で突出していたと考えるのには無理がある。
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