その結論とは要するに「国家はクソ」の一言に尽きる。筆者は無政府主義的な考えを持っているようだが、この結論を言いたいがために最近の歴史研究の中から平仄の合う事象を集中的に取り上げ、時には自分自身の推測を押し出しながらひたすらこの結論を読者に印象付けようとする。一方、国家がもたらしたであろうメリットについては目をつぶるか、簡単な記述のみにとどめて深く踏み込もうとしない。そして国家の悪行については詳しく細かく記し、国家から離れた暮らしを送っていた人々を称賛する。その意味で偏りのある記述が多い本だ。
特に後半はその傾向が強く、初期国家が穀物を中心とした経済活動を支配するに際し、いかに力づくでそれを進めたかについてくどくどと話を続けている。例えば奴隷や戦争捕虜の扱いに関する記述においては、その非人道さについて詳細な話を次々と紹介している。あるいは初期国家が作り上げた城壁は、自分たちを守るのと同じくらい、そこに住む人間を逃がさないための機能を果たしていたのだとしつこいほど繰り返す。
一方で国家がグループの構成員を守るために果たした役割、あるいは大規模な公共事業を通じ生産力増強につながったその機能などについてはほとんど触れていない。
こちらのエントリーで紹介したように、国家につながるような社会政治的複雑性(SPC)をもたらした因果の矢印は戦争や農業生産性から発しており、つまり戦争や農業生産性向上という必要性が国家を生み出した可能性があるのだが、そうした国家のプラスの側面について「反穀物の人類史」はできるだけ目立たないように書いている。
さらに著者は、初期国家批判を農業批判にまで広げている。代わりに称賛されるのは狩猟採集生活だ。そうした記述の中には興味深いものもあり、例えば火の使用がホモ・サピエンスによるニッチ構築(ドーキンス的に言うなら延長された表現型)につながっていたという指摘、あるいはヒトの自己家畜化に関する考察など、読んでいて面白い部分も多々ある。だが結果的に著者はそうした指摘を全て「農業はクソ」→「農業に基盤を置いた初期国家もクソ」→「要するに国家はクソ」という展開に回収してしまう。
もちろん学者なのであまり極端なチェリーピッキングにはならないようにしている。初期国家がその構成員たちにもたらしたであろうメリット(生活水準は厳しくても人口増のペースは早い)についても言及はしているし、逆に構成員にならなかったタイプの人々が直面した困難にも触れてはいる。だが取り上げ方のバランスは酷いものだ。章の題名を見ても、国家については「初期国家の脆弱さ」という言葉を使い、一方農業国家に組み込まれない人々については「野蛮人の黄金時代」と形容している。実際には初期国家の支配者たちも、野蛮人とされた遊牧民たちも、「定住による穀物―マンパワーモジュールからの余剰収奪権」(p220)を奪い合う同じ穴の狢にすぎないのだが、著者は前者より後者をほめそやすかのように描き出している。
著者のバランスの悪さが最も強く出ているのは、彼が中心的に取り上げているメソポタミア下流の湿地の歴史的な意義付けだ。実はこのメソポタミア「南部沖積層は最初の通年定住地ではない。作物化された穀物の最初の証拠が見つかった場所でもない」(p41)。だから、少なくともこの地域の自然・経済状況に基づいて狩猟採集や農耕牧畜といった生活パターンの推移を分析するのは、あまり適切とは思われない。にもかかわらず著者はこの地域を右代表として、ヒトが狩猟採集中心の生活から穀物栽培を中心とした生活に移行した流れを追い、そこから教訓を導き出そうとしている。
栽培コムギの起源が現在のトルコ南東部にあることは、その
ゲノム分析から推測されている。
栽培オオムギの起源は南レヴァントや北レヴァントにある。これらの地域は、メソポタミア南部のような「反穀物の人類史」筆者に言わせれば「狩猟採集民や遊牧民にとってはほぼ理想的」(p47)な環境とは異なっていたはずだ。どんぐりやイネ科の植物が年ごとに豊凶振動に見舞われ、凶作時の端境期に食っている以上の人口を抱えられなかったのに対し、
漁労採集民はより安定して暮らせたという指摘もあるわけで、メソポタミア下流域に焦点を絞ればそりゃ狩猟採集だけで十分に暮らせたという結論になる。でもそこは農業が始まった場所ではない。
つまるところヒトが最初に農業を始めたのは、おそらくそうしないと必要な食糧を手に入れられないような地域に住んでいたためだと思われる。メソポタミア南部のように自ら農耕に従事せずとも栄養源が手に入る地域ならともかく、そうでない地域にとって農業はまさに生きていくために避けて通れない作業だったのではなかろうか。エネルギーの人類史では、
人口密度の高さや環境の厳しさに見舞われた農耕民がやむを得ず高いエネルギーを投入する農業を始めたと指摘していた。狩猟採集中心から農耕中心にシフトする時も、同じメカニズムが働いたと考えても違和感はない。
だがこの結論は筆者にとっては困ったことになる。筆者はあくまで農耕も国家も「強制」や「収奪」に基づくメカニズムだと印象付けたいのだ。必要に迫られて、他に術がなく農耕を始めたのであれば、農耕はむしろ「救済」であり「生き残り策」になってしまう。反穀物を唱えたくとも説得力が失せる。だから筆者は実際に農耕が始まったレヴァントではなく、メソポタミア下流という特に自然環境に恵まれた地域を取り上げ、農業なんかなくても生きていけた(世界的に見ればおそらく極めて恵まれた場所に住んでいた)狩猟採集民を中心に歴史を描写したのだろう。嘘ではないが、極めて一面的な歴史描写だ。
さらにもっと皮肉な話をさせてもらうなら、この筆者が唱える反国家、無政府主義的な主張は、実に現代知的エリートの琴線に触れやすい話の構造をしているように見える。前に
「リベラルと競争の果て」において、知的エリートが多いリベラルの持つモラルがどのようなものかを紹介した。労働者が組織や集団という価値観も重視するのに対し、教育を受けた知的エリートが多い専門家たちは、より個人寄りのモラルを重視する。なぜならそれは専門家に求められる、つながりから自由で社会的機動性を持つという資質との一致点が高いからだ、という話だ。
「反穀物の人類史」で、狩猟採集民やその後継者ともいえる野蛮人たちにしばしば冠せられる枕詞は「自由」である。彼らは「階層的な社会秩序や国家に従属することも、飼い馴らされることもなかった」(p231)という言い回しは、筆者が極めて現代的なリベラルの価値観と親和性を持っていることを窺わせるものだろう。意識高い系な人たちが
「ノマドワーカー」という言葉を編み出したのも、こうしたリベラルに支持される思考法が、何となく歴史上の遊牧民や狩猟採集民と親和性があるかのように見えるからだと思う。
だからこの本は知的エリートが読む雑誌で高く評価され、そういう人たちに向けて日本語にも翻訳されたのだろう。俺たちは不自由な社会秩序と縁を切っても生きていける人間だし、むしろそんなものはない方が実力を発揮できる。心の底でそう考えている人たち向けに「歴史的に見てもそういう生き方の方がずっといいんだよ」と気持ちよい言葉を囁きかける、そういう機能を持った本だ。かくして知的エリートたちは社会秩序や集団の価値観から離れ、そうしたものの中で生きることを当然だと思う労働者たちの世界から浮き上がっていく
(バラモン左翼)。
だが歴史は、狩猟採集民や遊牧民たちが国家エリートと同じように「定住による穀物―マンパワーモジュールからの余剰収奪権」に乗っかって生きていたことを示している。そしてかつての初期国家エリートと野蛮人たちがそうであったように、現代の商人右翼とバラモン左翼も、同じく大衆が生み出す余剰生産物の収奪を巡って争っているだけに見える
(ターチンしぐさ)。この本を読む際には、決して筆者のレトリックに騙されることなく、そういったところまで考えながら批判的に読む必要があるのではなかろうか。
スポンサーサイト
コメント