Benny Friedman

 以下に載せるのはHOFに選ばれたパッサーを2つのグループに分けたものだ。

グループA Dan Marino、Joe Montana、Jim Kelly、Steve Young、Kurt Warner、Sonny Jurgensen、Len Dawson、Bart Starr、Otto Graham、Roger Staubach

グループB Brett Favre、John Elway、Warren Moon、Fran Tarkenton、Dan Fouts、Johnny Unitas、Y.A. Tittle、Troy Aikman、Terry Bradshaw、Ken Stabler、Joe Namath、Bobby Layne、Bob Griese、Norm Van Brocklin、Sammy Baugh、Sid Luckman、Bob Waterfield、Jim Finks、Arnie Herber、Ace Parker

 AよりもBの方が圧倒的に数が多いのが分かるが、ではこの2つのグループは何を基準に分けたものだろうか。答えはAdjusted Yards per Pass Attempt(AY/A)だ。グループAはキャリアのAY/Aが6.75以上、Bはそれ未満のパッサーたちである。さすがに21世紀に入ってから活躍しているQBたち(Peyton Manningや、現役QBで言えばBrees、Brady、Rivers、Roethlisberger、Ryanなど)はこの水準より上になるのだが、それ以前のQBたちにとってAY/Aが6.75以上というのはかなりレベルの高い要求だったことが分かる。
 ところがここに1人、上記のどのQBたちよりも古い時代にこの数値を達成していたかのような選手がいる。前にも紹介した1920年代のQB of the decade、Benny Friedmanだ。彼が現役だったのは1927年から1934年まで。その期間のうち1932年より前には公式記録はなかったのだが、研究者が当時の新聞記事などからデータを集めていることは前にも紹介した通り。
 具体的に1927-31における彼の成績について、そうしたデータを集めているサイトから抽出すると、370-708-6721-56-49となる。さらに1932年以降の記録について大本営を見ると、70-167-929-10-19という数字が出てくる。両者を足し合わせればFriedmanのキャリアパス成績、即ち875試投、440成功、7650ヤード、66TDと68Intという数字が出てくる。この数字から導き出されるAY/Aが、まさに6.75なのだ。
 つまりFriedmanは1920年代から30年代というNFLのごく初期にプレイしていながら、21世紀まで活躍したFavreより高いパス効率を達成していたことになる。Favreだけではない。1990年代というFriedmanの時代より半世紀以上も後のQBたちの中にも、ElwayやMoon、Aikmanといった「Friedmanに及ばないQB」が存在したことになるわけで、だとすればNFL史上最高のパッサーはもうFriedmanで決まりではないか、と言いたくもなるくらいだ。
 もちろん、そんなことはない。
 1931年以前のFriedmanのデータは彼の全プレイを記録したものではなく、あくまで新聞などで見つけられる限りのものを集めたに過ぎない。あるゲームにおいては彼の全部のパスが記録されているかもしれないが、一方で別のゲームでは例えば「TDパスのみ」といった限定的な記録しか残っていない可能性もある。というか実際に研究者が調べたところ、Friedmanの記録は大きく2つのカテゴリーに分かれるそうだ。即ちcomplete gamesとincomplete games、全プレイが残っているものと、そうでないものだ。
 カテゴリー別に分けたFriedmanの成績について記しているのが、The Facts About Friedmanという記事だ。最終ページを見ると、Friedmanのパス、ラン、レシーブ、さらにパントリターンについて、CGつまり全プレイの記録が残っているものと、IGつまり残っていないものとに分けて成績が掲載されている。
 パスを見るとCGにおけるFriedmanの成績は324-702-5326-46-51となり、IGでは88-113-1966-22-11となる。後者だけ見るならパス成功率77.9%、AY/Aが16.91というとんでもない数字になるが、これはもちろんゲーム全体の数値が残っていないために生じた数字のマジックであり、Friedmanのプレイの実態を表すものとは言えない。キャリアのヤード数やTD数といった「合計値」を知りたいのなら両方を足し合わせてもいいが、AY/Aのようなパスの効率性について知りたいなら、前者の数値のみを使う方が妥当だろう。
 FriedmanのCGのみの成績を見るなら、パス成功率は46.2%、AY/Aは5.63となる。AY/Aが6に到達しなかったHOF入りQBたちの中で最も新しい時代にプレイしていたのは、リーグ全体でパスがどん底に沈んでいた1970年代に主に活躍していたBradshaw(5.84)とStabler(5.75)の2人であり、パスのルール変更がなされた1978年以降に主に活躍したHOFerは誰もが6以上を記録している。少なくともFriedmanの記録は1978年以降の選手と比べると完全に「歴史の彼方の数字」になっていたことは確かだ。
 だからと言ってFriedmanの記録が大したものではない、という結論にはならない。少なくとも彼は主に1950年代に活躍したLayne(4.79)やFinks(4.17)、主に40年代に活躍したBaugh(5.51)やWaterfield(4.97)、Parker(4.25)、そして30年代に活躍したHerber(4.16)といった選手たちより高いAY/Aを残している。引退後も30年近くにわたってその時期の第一級QBより高く、50年近くにわたってHOFerと競り合うくらいのパス成績を残したという意味で、Friedmanが時代から隔絶したパッサーであったことは間違いない。

 パッサーとしてのFriedmanの評価が高かったことは、1931年に彼が著者となった本The Passing Gameが出版されていることからも分かる。序文には「フットボールチームにとってフォワードパスは、軍にとっての航空攻撃と同じように重要だ」(p7)という一文が書かれている。戦間期であった当時において航空戦力の革新性については色々と議論があったことを踏まえるなら、アメフトにおけるフォワードパスの位置づけもまだ明確ではなかったのかもしれない。そんな時代にフォワードパスで隔絶した記録を残したFriedmanの存在は、パスの重要性を具体的に示した分かりやすい例だったのではなかろうか。
 当時のパスに関するルールを踏まえるなら、さらにFriedmanの記録の価値が増す。フォワードパスに関するルールはThe Coffin Cornerに掲載されていた記事(p21-23)に載っているが、Friedmanの時代はスクリメージから5ヤード以上下がったところからでないと投げられなかったうえに、パス失敗にはペナルティが課せられることもあった。スクリメージの背後ならどこからでも投げられるようになったのは、Friedmanのキャリア晩年となる1933年だ。
 おまけにこの時代のボールはよりラグビーボールに近い楕円形で、フォワードパス向きではなかった。1929年に中心部の外径が半インチほど小さくなり、1934年には先端部がより先細になったことで、より現代に近いフォワードパスを投げやすい形状になった。Friedmanはキャリアの一部でしかそうした変化の利益を受けなかったわけで、それ以降のパッサーたちに比べれば不利な条件でプレイしていたことになる。
 パッサーとして成功するにあたり、彼は当時としては珍しいが、ある種の筋トレに努めたそうだ。BENNY FRIEDMAN'S HANDSという記事には彼が野球の投手の練習法をヒントにしてボールなどを使いながら握力を鍛えたという話が紹介されている。彼によればパッサーとして成功するには指、手、手首、前腕部、及び肩の強さが必要なのだそうだ。
 しかし彼の評価は時代が過ぎると忘れ去られてしまったようだ。もしかしたら彼がユダヤ人であったことが影響したのかもしれない。また他のプレイヤーやオーナーを遠慮なく批判したことも災いしたようで、生前の彼はHOFに迎え入れられることはなかった。1982年、病気で足を切断するなど健康問題で追い詰められたためか、彼は銃で自殺した
 最後に彼のプレイが見られる動画を紹介しよう。1929年のGiantsとPackersの試合のダイジェスト映像で、Giants(濃いユニフォーム)の1番をつけている選手がFriedmanだ。TDパスを含めたパスプレイ以外にブロックやパントリターンもやっているし、時にはヘルメットをはぎ取られながらランで進む場面もある。NFLがまだ今ほどのビッグビジネスでなかった時代に、夢中でプレイしていた選手たちの姿がそこに残されている。
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