帝国クライスと仏軍

 時代遅れの組織として前に紹介した帝国クライスだが、そのクライスが1796年にフランス軍と結んだ休戦協定の英訳があった。一部に省略があるが、当時の軍と政治組織の関係がどのようなものだったかを知る上で参考になりそうだ。まずはドイツ南西部にあるシュヴァーベン・クライスと、ラン=エ=モーゼル軍のモロー将軍との間に結ばれた協定について。

「シュヴァーベン・クライスとラン=エ=モーゼル軍指揮官モロー将軍間の休戦協定
 最初の4項目でクライスが連合軍から兵を引き上げること、フランス兵に対しクライス内の自由通行を認めること、彼らへの食糧、車両、馬匹の供給と後でその対価を支払うこと、さらに手紙を検閲せず送るのを認めることが決められている。
 第5条 シュヴァーベン・クライスはフランス軍への軍資金として計1200万リーヴルの正金を以下の方法で支払う。最初の10日以内に50万、続く10日以内に50万、3度目の期間に100万、4度目に200万、5度目に200万、6度目に200万、7度目に200万、8度目の期間に200万。
 第6条 クライスは8000頭の馬匹を提供する。即ち荷馬を2000頭、重騎兵用の馬を2000頭、軽騎兵用の馬を2000頭[以下の詳細を見ると実際に提供するのは荷馬4500頭、騎兵用馬匹3500頭になっている]。荷馬500頭は2度目の期間に、荷馬500頭と同数の騎兵用馬匹は3度目に、同数を4度目に、荷馬1000頭と騎兵用馬匹500頭を5度目に、荷馬1000頭と同数の騎兵用馬匹を6度目に、そして同数を7度目に供給する。最後の2000頭を供給するのが困難な場合、シュヴァーベン・クライスは1頭当たり400リーヴル相当を現金で支払う自由がある。以上の他に、選ばれた400頭の馬匹も供給する。
 第7条 さらにそれぞれ500ポンドの牡牛5000頭を供給する。うち200頭は、補給担当がそれをすぐに必要とせずいくらかの遅延を承諾した場合を除き、2ヶ月以内に軍に届けなければならない。
 第8条 15万キンタルの穀物、その3分の2相当の小麦、3分の1相当のライ麦、10万袋のカラスムギ、15万キンタルの秣を2ヶ月以内に供給する。
 第9条 軍の倉庫に10万足の靴を1ヶ月以内に届ける。
 第10条 これらの分担の他にシュヴァーベン・クライス内の全領邦、州、教会領、都市は、(ヴュルテンベルク、バーデン、ロイトリンゲン、エスリンゲンを除き)ケンプトン、リンダウ、ブッヒャウの教会、全ての高位聖職者と修道院長座に、たとえ彼らがクライスの経費を負担していなくてもシュヴァーベン内の一つの教会や修道院も例外とすることなく、60日以内に軍資金として700万リーヴルの正金を負担させる。
 第11条 シュヴァーベン・クライスはパリの総裁政府に代理人を送り、彼ら自身のために交渉を行う領邦君主たちと一緒に和平交渉を申し出る。
 シュトゥットガルトにて締結、1796年熱月9日(7月27日)
 (サイン)
 ラン=エ=モーゼル軍指揮官 モロー
 承認を得たシュヴァーベン・クライス議会全権大使 ソレイエ男爵、マンデルスローエ男爵」
A Collection of State Papers Relative to the War Against France Now Carrying on by Great Britain"http://books.google.com/books?id=Gwqp14DN7agC&printsec=frontcover&dq=editions:0zUeViZI56uCFEd2Kpy" pp iv-v

 John Debrettなる人物が1797年にまとめた本の中にこうした文章がある。つまり、ほぼ同時代に紹介された文章だ。面白いことに、この本で紹介されている協定や条約の中には秘密条項まで掲載されているのもある。秘密条項といっても「公然の秘密」だったものもあるようだ。
 上の文章を読んで気がつくのは、協定の内容がほぼ軍に対する物資なり資金なりの提供で占められていること。この当時の「現地調達」なるものがどういう形だったのか、これを見れば一目瞭然だろう。そしてまた、フランス軍による効率的な現地調達システムを作ったのはナポレオンでないことも分かる。彼が権力を握る以前から、こういうやり方は一般的だったのだ。ヴァン=クレヴェルトの「補給戦」には、もっと以前の絶対君主の時代から似たような調達手法が採用されていたことも指摘されており、ある意味伝統的な手法だったのだろう。
 同じ本には同年にサンブル=エ=ムーズ軍がシュヴァーベン北方にあるフランケン・クライスと結んだ休戦協定も紹介されている。

「フランス共和国とフランケン・クライスの間の休戦協定
 我々、全6ヶ所ある帝国直属フランケン騎士を含む同クライスの全ての国の名と権限によって任命されたフランケン・クライス議会の構成員と、市民の一部と指揮官ジュールダンから適切な権限を委託された将軍オーギュスト・エルヌフは、フランケン・クライス住民の平安確保と、勝利を得たフランス共和国軍の地歩を強固なものにする望みに励まされ、以下の条項からなる合意に達し、署名した。
 第1条 指揮官によって公に印刷され発布された声明を最も実直に遵守するべく厳格な秩序を守り、人命と財産の安全を尊重し、宗教的な礼拝及び地域の法と慣習は維持される。
 第2条 前項の精神に基づき全ての住人は、掠奪や他の越権行為を発見された兵士その他軍に所属する者を逮捕または告発し、彼らが上官の下に送られ厳しい法によって罰せられるようにする権限を持つ。
 第3条 フランケン・クライスの全住人は、あらゆる戦争の惨禍を一時的に避けるため各自の居宅を去っていた著名な公人も含め、彼らの財産と同様に彼らの家族と召使と伴に、この文章の公表から20日以内に帰還する自由を有する。彼らは戦争に参加していない他の大人しい住民と同じ安全と保護を享受することができる。20日の期限が過ぎた後では、指揮官の特別の許可がない限り誰も帰還を許されない。
 第4条 フランケン・クライスはフランス政府に対し分担金800万リーヴルを正金で支払う。ただしそのうち200万については軍に必需品か食糧を供給することで相殺できる。
 第5条 600万の正金支払いはフランス軍の会計担当に対して(決められた詳細に基づき)45日以内に行われる。
 第6条及び第7条 残る200万について必需品と食糧で支払う方法に関連する取り決めなど。
 第8条 またフランケン・クライスは2000頭の騎兵用馬匹を決められた2項目に従って供給する。
 第9条及び第10条 順調な支払いの拒否などに対して全ての軍指揮官が必要なら利用することができる分担金の分配について。
 第11条 分担金の支払いが定められた日、即ち今日からフランス軍に供給される全てのもの(無料の宿舎を除く)は分担金から差し引くことができる。
 第12条 プロイセン君主に属するアンスバッハとバイロイト辺境伯領、ヘッセン=カッセル方伯殿下に属するシュマルカルデン侯領については、戦争前における彼らの現状に従い、分担金の負担から除く。
 第13条 サンブル=エ=ムーズ以外の共和国軍がフランケン・クライスに入る場合、正確に言えばフランス政府が締結した現在の協定を厳密に守る。
 第14条 フランケン・クライス議会は、別項での分担金の負担と徴集に関するさらなる決定について、彼ら自身で取り組む。
 (サイン)
 エルヌフ、将軍
 オーベルカンプ、ロディウス
 ツヴァンツィガー、ハルスドルフ
 早急に我々全員の署名を複写すること。ヴュルツブルクにて、フランス共和国暦4年目、熱月20日、1796年(8月7日)」
pp v-vii

 ラン=エ=モーゼルが結んだ協定に比べ、フランス軍側の義務を記している分だけ双務性の強い協定だ。両者の違いが双方の指揮官の性格に由来するのか、それとも協定を結んだ状況の違いにあるのか、そのあたりは分からない。

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