奴隷貿易の爪痕

 前に紹介した「日本の分断」の話だが、著者が分断を懸念していた直接の理由は、8つある類型のうちLEGsを外すことで残された7類型だけで高齢者や次世代の子供を育てなければならないという、1人当たりの負荷の大きさの増加にあった(p220)。さらに日本の強みであるレベルの高い労働者の喪失といった問題も指摘されていた。
 複雑な社会であればこそ、その社会を維持するのは簡単ではない。複雑な社会というものは実は脆弱であるということは、Peter Turchinが何度も指摘している。彼によれば、この脆弱な社会を一体化しているのは相互の信頼と社会的協力という「目に見えない網」であり、この壊れやすい網が擦り切れてしまえば政治的不安定性、内部の争い、そして時には完全な社会の崩壊がもたらされるという。
 つまるところ分断は社会のアサビーヤソーシャルキャピタルを掘り崩し、社会の機能を低下させる。分断された状態だと、その社会は「万人の万人に対する闘争」というホッブズ的状況に陥りやすくなり、経済的にも停滞しやすくなる。またアセモグル的な発想で言えばinclusiveというよりextractiveな制度運用がなされやすくなるだろう。

 実際、分断された社会がいかに厳しい状況に追い込まれるかについてはきちんと統計に基づく研究がある。以前紹介した奴隷貿易がアフリカの経済成長に与えた影響などがまさにその例だが、この話はどうやらThe Long-term Effects of Africa's Slave Tradesという論文と同じもののようである。
 そして論文の中身を日本語で紹介しているのがこちらの一連のツイート。アフリカ諸国が行っていた奴隷の輸出だが、実は奴隷狩りは「現地のアフリカ人たちによって行われていた」こと、「相手(集団)と連帯し協力するよりも、裏切り(侵略して奴隷化する)の方が短期的には合理的な状態」に陥っていたことなど、奴隷貿易の影響がアフリカ社会の激しい分断につながったことが紹介されている。
 奴隷狩りによって細かく分断されたアフリカでは「小集団が別個のアイデンティティを有する」多民族社会となり、そこでは「社会的な一体性が弱」いがために制度的にも機能不全が起きやすくなった。特に資源の再配分に関して合意形成が難しくなり、ある民族だけが資源を独占するなどの事態が生じ、例えば教育政策では経済成長に必要な人的資本の蓄積が遅れるようになる。それだけでなく、奴隷貿易による分断はコンゴ王国のような比較的中央集権的だった国を崩壊させてすらいる。
 結果として過去に奴隷の輸出数が多かった地域ほど今もなお民族多様性が高く、国家としての発展度合いは低くなった。そしてその影響はアフリカ諸国が植民地から独立した後も続き、奴隷貿易の悪影響を被った度合いの高い地域ほど1人当たりGDPは低迷した状態がなお継続している。奴隷制度によってもたらされた分断が長期にわたって悪影響を及ぼすことが分かる。
 このツイート主による一連のまとめの中には、他にもアフリカと奴隷貿易の影響について、統計的に調べた研究の簡単な紹介が多数載っている。例えば奴隷貿易は末期において「同じ村の人間や隣人、更には親族・家族までも奴隷として売り払う」状態にまで至り、それが相互不信の文化を現代においても根強く残す結果になったという研究がある。
 ここで使われたのは19世紀の奴隷に関するデータだが、そこに掲載されている144人の奴隷のうち、戦争のようなコミュニティ外部の人間によって奴隷化されたもの以外に、親族・友人による奴隷化が20%、裁判による奴隷化が16%に達していたそうだ。前者は騙されて売り払われるパターン(エリア88)であり、また後者も実際には適当な理由をつけて共同体のリーダーが有罪判決を下し、奴隷化していたものだそうだ。
 過去に奴隷を多く供給していた民族においては、21世紀に入ってから行われた調査においても、親族や隣人、地方議会など他人に対する信頼度が低いという傾向があったそうだ。そうした他者への不信感は、現在住んでいる地域の文化による影響もあったが、それよりも民族内での世代を超えて受け継がれた文化や規範に基づく影響の方が大きかった。つまり一度分断によって不信が生まれてしまえば、その不信は時代を超えて長く継続される傾向があるし、それは長期にわたって社会のウェルビーイングにマイナスの影響を及ぼす。「協力は強力」の裏返しとして、不信は社会を弱めるのだ。
 しかしこのようにエリートが社会の他の集団から収奪するextractiveな体制が出来上がると、エリートでない人々に抵抗や紛争の動機と機会を与えてしまう。実際、西アフリカのように奴隷貿易の影響を強く受けた地域では奴隷の輸出数と紛争の発生確率に強い関係があったという。時期的には植民地支配の時代を除いて奴隷数は紛争の数を増やした。
 またしばしば紛争の原因となる天然資源だが、奴隷数の少ない地域ではむしろ天然資源の存在は紛争を減らす傾向が見られたという。そうした地域では政治制度がよりinclusiveであり、資源から得た利益が適切に分配されていたようだ。だが奴隷数の多かった地域ではそれによってextractiveな体制がつくられ、その体制が資源を巡る紛争を生じさせやすくしている。経済的に貧しい状態は反政府勢力が安い兵士を動員しやすくする面もあるという。

 もちろん大規模な奴隷貿易といった条件は、社会の分断が懸念されている現代の先進国には当てはまらないだろう。そもそも奴隷貿易は新大陸側の人手不足と、それに対するアフリカ側からの供給があって成り立ったものだ。このうち前者については、例えば熱帯性マラリアの流行が新大陸の人手不足を招き、それが奴隷に対する需要を高めたという研究があるようだ。
 逆に供給側の論理としては、まずアフリカに人を残して農作業をさせることと、奴隷として売り払うことの利害得失についての研究がある。不作の時期になれば過剰な労働力を奴隷として売る方がよく、逆に豊作の時期は売り払うより農業をさせた方がいいという理屈だ。実際、アフリカの気候条件は奴隷輸出にも色々と影響を及ぼしていたようだ。
 それでもトータルとしてアフリカ全体が人手不足の状態にあったのなら、おそらく奴隷輸出は史実ほど極端な数にはならなかっただろう。奴隷貿易の時代にアフリカに人手の余剰を生み出させたのは、どうやらトウモロコシらしい。コロンブス交換によって新大陸からアフリカに持ち込まれたトウモロコシは、アフリカで食べられていたモロコシやキビより栄養価も生産効率も高く、結果としてアフリカ全体の農業生産性は上昇した。
 農業社会では経済成長はほぼ人口増に直結する。一方でトウモロコシは今までより少ない人数で必要なエネルギー量を生産できる優れた農作物だ。つまりトウモロコシによってアフリカでは人手の余剰が生まれ、それが奴隷輸出量の増加につながったというわけだ。実際、トウモロコシ栽培に適した国ほど人口密度が上がり、奴隷数も増えていたのだという。
 ただしそうした条件の違いがあるとしても、全体として社会の分断はその社会そのものの衰退や低迷につながりやすいことは確かだろう。先進国の社会学者たちが社会の分断に対して懸念を抱くのも、こうした過去の歴史に関する統計的な分析を見れば無根拠な不安とは言い難いことが分かる。分断は結局社会そのものと、その構成員全員の足元を掘り崩す。エリートが近視眼的になればなるほど、その社会の将来は危ういということだろう。
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