ピケティ見直し

 ツイッターでごくたまにだが「ターチンしぐさ」なる文言を見かける。Peter Turchinの唱えるCliodynamics的な発想に付ける「タグ」のようなものであり、並んで「トッドしぐさ」という言葉も出てくる。もちろん分かる人はごく少数だろうが、ほとんど日本語訳が出ていない学者の主張を踏まえたものだとしたら、そもそもそんな文言ができること自体に感心すべきかもしれない。
 トンデモ説である「江戸しぐさ」をネタ元にしているあたり、なかなかシニカルな言葉でもある。「安易に特定の主張を信用しない」という姿勢の表れだろうか。しばしばTurchinをファウンデーションシリーズのハリ・セルダンに喩える例がある(本人自身もそれについて触れている)のを見ても、一歩間違えると彼の主張を単なる学説ではなく信仰対象にしてしまう懸念があることは否定できない。だとすれば「ターチンしぐさ」という言い回しは、そうならないための自戒を込めた言葉とも考えられる。考えすぎに見えるかもしれないが気にするな。
 どれほど信頼度の高い説であってもそれを批判的に見続ける作業は欠かせないし、ましてTurchinが取り組んでいる社会科学や人文学の分野では自然科学よりもさらに学説の信頼度には限界がある。歴史を対象とした学問は、データを集めてそこから推測できる仮説を導き出すことはできるが、その仮説を別のデータで検証するのは容易ではない。Turchinに言わせれば足元の米国の状況は彼の永年サイクルを検証する絶好の舞台になるわけで、だからこそ彼は定量的な予測も提示しているのだろう。

 学説である以上、常に見直しが必要なのはTurchinの議論に限らない。ピケティの「21世紀の資本」の登場によってほぼ通説と化している「足元で格差が拡大している」という説に対しても、本当にそうなのかという指摘があることは押さえておくべきだろう。幸いにしてThe Economist誌がそうした説をまとめて紹介しており、「21世紀の資本」の翻訳者が勝手翻訳をしている
 最初の訳者口上にある通り、基本的にここで紹介されているものの大半は「金持ちが豊かになっていること自体を否定するものではない」。ピケティらが論じるほど金持ちの豊かさ増大は凄くないかもしれないとか、米国以外はそれほど変化がないという主張が中心だ。重要なのは、こうした異論を唱えた人たちがピケティ同様にデータを元に論じているところだろう。彼の本が出版された当初、彼のデータに対する反撃はそもそもなされていなかったり、行われていても説得力に欠けていたりした。だが今回紹介されている異論はもっときちんとデータを使っているものだ。その意味では議論がより深化したと評価すべきなんだろう。
 まずはピケティが取り上げて有名になったトップ1%の所得。もともと欧州ではあまり増えておらず、米国では目立って増えているという傾向があったのだが、最近の研究だと米国でもそれほど極端に増えているわけではない、という話がある。ピケティらの論文では世帯単位で見ていたが、最新研究では個人を区分したほか、レーガン政権における税制改正に絡む補正をしたという。レーガンの税制改正以前、企業の所有者は利潤を企業内にため込むことを優先していたが、税制改正によってそれを所有者自身の所得として計上するようになったという。逆に言うとそれ以前の所得はむしろ過小に申告されていたというわけだ。
 またキャピタルゲインの扱いも違う。ピケティらはキャピタルゲインが申告されたタイミングで数字を出している(だから株価動向に合わせて所得が大きく変動している)のに対し、最新研究では企業の利潤を持ち株比率に比例する形で個人に帰属させた。そうすると年金ファンドが購入している企業の株などは、その年金に加入している労働者の分となる。さらに米国ではオバマ政権時代にメディケイドが導入され、それが所得の再配分をもたらしている。こうした一連の補正をかけると、ピケティらの推測ほど格差は広がっていない、という景色が見えてくるのだそうだ。
 米国の資本シェアの増大は住宅の収益増で説明がつく、という指摘は以前からあった。加えて最近の研究によると、トップ1%の大きな収益源となっているトンネル会社からの利潤についても、所有者が引退したり死亡したりするとその4分の3が消えていることが発見されたという。実はこのトンネル会社は医師や弁護士、コンサルタントなどの自営業者が自分たちの仕事を回すために運営しているものであり、実態は資本所得ではなく労働所得に近いと見られるわけだ。結果、所得に占める労働のシェアは米国以外では明確な低下傾向は見られなくなった。
 所得ではなく富の格差になるとさらに話が面倒になる。時系列で追いかけると所得は平均へ回帰する傾向が強い(所得が低かった人は20年経過すると所得が大幅に増え、高かった人はむしろ減る)。若いうちは比較的安い給料で働き、やがて給料が上昇し、だが定年を過ぎるとまた減るというキャリアルートが日本以外でも見られるわけだ。富とはそうした所得を積み上げてできあがるものであるため、さらに話がややこしくなる。要するに経済格差ではなく世代格差の問題になるリスクがあるってことだろう。また低金利下では投資の収益率想定が少し異なると結果が大きく違ってくるという問題もある。米国でトップ層の資産シェアが増えたことに対する異論はないが、どのくらい増えたのかについては議論百出のようだ。

 と、ここまでは象牙の塔内部での議論。問題なのはピケティらの議論にのっとって政策を変えようという主張が出てきていることだろう。有名なのは次の米大統領選に名乗りを上げている民主党のエリザベス・ウォーレン。彼女は多額の資産を持つ人を対象にした富裕税の導入を政策に掲げており、民主党内でも左派からの支持を受けているという。バーニー・サンダースも同様の政策を打ち出している。
 彼らのアドバイザーを務めているのが、ピケティの弟子であるズックマン。そもそもピケティ自身も「21世紀の資本」において資産への課税を主張しており、その意味では師弟ともども首尾一貫している。しかし所得ではなく資産に手を突っ込むのは言うほど簡単ではない。というかScheidelの議論を信じるなら、それをやって格差の縮小を達成した例はおそらく20世紀の共産主義政権くらいしか思い浮かばない。いくらウォーレンでもそこまでやる気はないだろうが、ではどこまでやればいいのかという問題には容易に答えられそうにない。
 本当に富裕税が導入されれば税収は増えると見られている。ただし保守派の抵抗はあるだろうし、特に法廷での争いは過去においては不利な結果になっていたそうだ。それでも富裕税が唱えられるのは、実効性はともかく金持ちに負担をさせるというアイデアが有権者にとってウケのいい政策だから。ある調査では共和党支持者の過半を含む米国人の3分の2がウォーレンの提案を支持したという。
 「ピケティしぐさ」は彼の書籍を通じて世界的に広まったし、今やそれを現実へとフィードバックさせようとする動きまで出てきた。だが足元で彼のデータに関する議論が沸騰していることを踏まえるなら、The Economist誌のラストに書かれているように「政策担当者としては慎重に歩みを進めるほうがいい」のだろう。にもかかわらず、来年の米大統領選で4年前同様に極端な結果が出るようであれば、米国人がそれだけ我慢弱くなっている証拠、と捉えるべきなのかもしれない。その場合はやはりTurchinの言う通りMMP、潜在大衆動員力が高まっていると見るべきなのだろうか(ターチンしぐさ)。
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