モン=サン=ジャンの人骨

 以前、ワーテルローで行われている発掘事業や、それによってグーモンの庭園内で戦闘が行われていた可能性が高まった件などを紹介したことがあった。この発掘事業Waterloo Uncoveredは現在も継続されており、なおいろいろなものが掘り出されているようだ。
 今年話題になったものとしては、英連合軍の野戦病院跡で見つかった人骨の話がある。発見された場所は野戦病院が置かれていたモン=サン=ジャン農場の果樹園で、地面の下から脚の骨が4つ出土したという。いくつかに「壊滅的な傷による外傷」の可能性のある証拠が認められ、別に「外科医による膝上切断手術」に合致する痕跡があるのだそうだ。
 この人骨に関する記述はWaterloo Uncoveredのサイトに載っている発掘日記のページにある。ワーテルローの戦いではプロイセン軍7000人、英連合軍1万5000人、そしてフランス軍2万5000人の損害が出たと見られているが、人骨が発見されるのは割と珍しいそうだ。完全な人骨のセットが見つかった最近の例は1つしかなく、2012年に駐車場を掘り返した際にハノーファーの兵卒フリードリヒ・ブラントのものと思われるものが出てきたケースのみだ。
 戦闘後にはおよそ2万人の死体が転がっていたとみられるのに、今ではほとんど発掘されることがないのは、どうやら人骨が農業の肥料にいいという理由で大量に運び出されたためらしい。こちらの記事によると、既に1829年にはドイツ解放戦争で倒れた兵士たちの骨がライプツィヒからハンブルク経由で英国に運ばれたことが記録に残されており、またワーテルローで倒れた兵士たちの歯を使った入れ歯も作られていたという。
 ただし発掘された人骨は死者のものではない可能性がある。アクスブリッジ卿がそうだったように、ワーテルローで負傷した足を切断することになったが、その後も生き延びた人物はいる。Waterloo Uncoveredの日記によるとワーテルローの戦いにおける負傷のおよそ65%は四肢に受けたもので、モン=サン=ジャンではおよそ6000人の負傷した連合軍兵士が治療を受けたそうだ。
 当時の病院で四肢の切断が珍しくなかったのは知られているが、切り離された部分はどうやら戦場に打ち捨てられたか、その場で埋められていたようだ。エジプト遠征に参加したカファレリ=デュ=ファルガ将軍が「右足をフランスに残してきた」と言われていた、という逸話が事実かどうかは不明だが、戦場に片足を置いてきた人間がかなり大勢いたことは確かだろう。

 ワーテルローの発掘についてはもう1つ、野戦病院近くでの戦闘についての話も紹介されている。このうち病院付近で発見されたマスケット銃弾については、こちらの発掘日記に紹介されている。もしこれが歩兵の持つマスケット銃から撃ち出されたものだとしたら、かなり驚きらしい。というのもラ=エイ=サントから900メートルも離れているモン=サン=ジャン農場にフランス軍歩兵が接近したという記録が存在しないからだ。
 発掘にあたっているPollard教授は、いくつかの弾丸は歩兵のマスケット銃ではなく騎兵のカービン銃のものではないかと示唆しているそうだ。騎兵なら午後に行われたネイの突撃の際にモン=サン=ジャン農場に接近した可能性がある。そして実際にこの農場が攻撃されたという証言もあるそうだ。ジョージ・シモンズが両親に宛てて記した1815年7月1日の消印がある手紙には、負傷した彼が担ぎ込まれた場所に弾丸が撃ち込まれ、捕虜にならないため苦痛を押して逃げ出したという記述がある(A British Rifle Man, p367)。
 1817年に書かれた書物の中には、モン=サン=ジャン農場の付近に英兵とフランス兵が倒れている様子を描いたものもある。数は少ないが、そうした記述の存在からモン=サン=ジャン付近で何らかの戦闘が行われた可能性は以前から知られていたわけで、それの裏付けになりそうな物証が見つかったことが大きい。
 日本語記事ではこのマスケット銃弾が「これまで記録されていなかった戦いが野戦病院付近で行われたことを示唆している」証拠だとして紹介している。これは元ネタのCNNの記事にpreviously unrecordedと書かれているのが理由だろうが、実際には上で紹介したように記録自体は少ないながらも存在した。その意味では全く新しい証拠ではない。

 もう1つ、マスケット銃弾に続いて日本語記事では「6ポンド(2.7キログラム)のフランス製の砲弾」が「野戦病院跡から約600~900フィート」のところにある「畑」で見つかったという記述がある。だが野戦病院跡からそれだけ離れた場所で見つかったのは、実は6ポンド砲弾ではない。
 畑で見つかった砲弾については発掘日記の9日目に掲載されている。日本語記事で使われている砲弾の写真もこの日に見つかったものなのだが、発掘時点で最初は6ポンド砲弾ではなく12ポンド砲弾だと思われていたそうだ。だが掘り出してみると想定よりずっと大きく、一時は24ポンド砲弾ではないかとの推測がなされた。もし24ポンド砲弾だったならこれはとんでもない大発見だっただろう。フランス軍がワーテルローの戦場で24ポンド砲を使用したという記録はないからだ。
 実際にはそんな世界線が変わりそうなブツではなかった。研究者がさらに注意深く調べたところ、この砲弾に導火線を差し込む穴を見つけたのだ。出土した砲弾は当初予想された砲丸(鉄の塊)ではなく、フランス軍の6プース曲射砲用の榴弾(内部に火薬が入った球形の爆弾)だったのである。
 グリヴォーバルシステム下で製造されたこの曲射砲はワーテルローの時期になっても使用が続けられており、戦いの後で連合軍が奪った大砲の中には12ポンド砲、6ポンド砲などと並んで6プース曲射砲13門も戦利品として記録されている(The Field of Waterloo, ix)。発掘された榴弾はどうやら火薬がうまく爆発せず、元の形状をとどめたまま地面深くに潜り込んでそのままになっていたようだ。
 曲射砲(howitzer)はこの時期の一般的な大砲(cannon)とは異なり、間接射撃を中心に行う。同じく間接射撃を旨とする臼砲(mortar)よりは角度が浅いが、cannonのように直接相手を狙って撃つものではない。ワーテルローにおいて英連合軍は斜面の反対側に隠れてフランス軍の火力を無効化しようとしたが、それへの対抗策として使用しやすいのが曲射砲だった。
 実際、6プース曲射砲は榴弾を最大射程1100メートルで撃ち出すことができた。有効射程は640メートルだそうで、ラ=エイ=サント付近から撃ち出せば発掘された場所にも届くことができただろう。フランス軍が夕刻にラ=エイ=サントを奪取し、その付近に砲列を敷いて英連合軍に激しい砲撃を浴びせたことは様々な記録に残されており、その際に曲射砲も使われたのだと考えれば特にこれまでの記録と矛盾する発見とは言えない。
 畑で見つかったものが「6プース曲射砲榴弾」だとしたら、日本語記事に出てくる「6ポンド砲弾」とは何か。これは作業3日目に、畑ではなくモン=サン=ジャンの果樹園で発掘された砲丸を指している。当時の6ポンド砲は最大射程1350メートル、有効射程は750メートルだった。上記の曲射砲と同じく、ラ=エイ=サント付近に並べられたフランス軍の砲列から撃ち出されたものの1つだろう。
 元ネタであるCNNの記事をよく読めば「6ポンド砲弾」が見つかったのはマスケット銃弾と「同エリアで」、つまりモン=サン=ジャン農場の近場だったと書かれている。にもかかわらず日本語記事がこの砲弾を「6プース曲射砲榴弾」と混同したのは、おそらくFox Newsの記事と混同したことが理由だろう。cannonballとhowitzer shellの違いをきちんと理解していればこのような間違いは起こらなかっただろうが、残念ながらそこまでマニアックな知識を持ち合わせている人はそう多くない。
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