いとこ婚と論文

 6世紀初頭にカトリック教会が3rd cousin(みいとこ)より近い近親者との結婚を禁じたことが、やがて西欧人の心理に影響を及ぼし、最終的には西欧の民主制や個人主義を生み出した、というのがこの論文の主張だそうだ。それ以前の欧州は近親者のネットワークを基礎に置き、よそ者は排除するような社会だったが、長期にわたるいとこ婚の禁止はむしろよそ者を信用し彼らと協力することに積極的な社会を作り上げた。論文の筆者らはその社会をWEIRD(Western, educated, industrialized, rich and democratic)と名付け、そうした現代西欧的な価値観・心理の根っこがカトリック教会に由来しているのだと述べている。
 論拠となるのは大きく3つの分野のデータだ。1つは現代の各国がカトリック教会の影響下にあった期間、2つ目はWEIRDな価値観や心理を表す各種のデータ、そして3つ目が近親者の強いつながりを示す指数である。補足資料によると、近親者のつながりを評価する際には「いとこ婚」の他に、複婚つまり一夫多妻や一妻多夫制、拡大家族の同居、血統に基づく組織、そして共同体組織のあり方を分析している。
 彼らの主張を1番分かりやすく示しているのはこちらの地図だろう。古い教会の影響下に長くあった地域ほど、近親者間の密接な関係を示す指数(Kinship Intensity Index, KII)が低い。つまり、教会によるいとこ婚の禁止が長い時間にじわじわと影響し、身内びいきではない西欧的なWEIRDな社会を築き上げ、それが個人主義や民主主義につながった、と彼らは主張しているようだ。

 ではなぜこの論文が論争を呼び起こしたのか。強烈な批判を浴びせたのは歴史家たちである。今回の論文は経済学者や人類学者ばかりが参加して書かれたもので、歴史学者が筆者に名前を並べていない。中世史や教会史に詳しい人からは「とてもとても酷い研究」と言われ、Garbage in, garbage outと言う人もいる。
 なぜか。ツッコミどころが多いからだ。例えば中国などでは同姓の者との結婚を禁止する「同姓不婚」という制度が昔から存在し、いとこ婚よりはるかに厳しい規制がかかっていた。中国は長期にわたってカトリック教会の影響にあったわけではないし、また彼らが西欧と同レベルのWEIRDな社会を築き上げたとも言いがたい。中国やその影響を受けた周辺諸国(韓国や台湾)の事例を見る限り、近親婚の禁止が本当にWEIRDな社会を作る決定的な要因なのか、という疑問が浮かぶのは当然だろう。
 そもそも教会が禁止すれば本当にいとこ婚が減るのか、という問題もある。例えばエチオピアのキリスト教会はカトリックよりもさらに厳しいいとこ婚禁止を行ったそうだが、サイエンス誌の地図を見るとエチオピア周辺のKIIはずっと高い。実のところ西欧でも19世紀まではいとこ婚は全然珍しくなかった(ダーウィンはいとこと結婚した)わけで、つまり西欧でも割と最近までいとこ婚が減っていなかったとも考えられる。逆にカトリック教会以前のローマ時代からいとこ婚に対しては忌避する動きがあったとの指摘も存在しており、だとしたらなぜこの論文はそちらではなくカトリック教会の禁令を重視するのか、という疑問も出てくる。
 WEIRDな社会の原因として教会の禁令を重視している一方、他にもあり得るであろう原因を軒並み排除しているのも大きな問題だ。産業革命による社会構造の変化だったり、あるいは啓蒙主義の普及といった心理的にも影響を及ぼしうる事態をなぜか考慮に入れることなく、1500年も前の出来事1本に絞って原因と見なすのはどうなのだ、という批判は当然ながらある。
 だが何よりも問題なのは、「相関は因果を意味しない」という極めて基本的な事実についての疑惑だろう。論文では様々な形で相関を示し、p値が統計的に有意であることを示そうとしている。確かにカトリックの影響下にあった期間、WEIRDな社会に見られる特徴、KIIはいずれも相関がある、ということはこの論文から言えるかもしれない。だが、だからと言ってカトリックの禁令がKIIを下げ、WEIRDな社会を築くきっかけになったとは限らない。いくらデータを並べp値を示しても、因果を証明したことにはならないのではないか。
 個人的にはKIIとWEIRDの間には疑似的とは言いがたい何かの相関があるのではと感じているが、その原因として1500年前のカトリック教会の禁令を引っ張りだすのはさすがに筋が悪いと思う。ましていとこ婚の禁止からKIIの低下とWEIRD社会の成立を導き出すのはかなり無理があるのではないか。現代の世界においていとこ婚が広まっているのは、北アフリカから中東を経て南アジアへと至る比較的狭い範囲に過ぎない。この地図を見る限り、「いとこ婚を禁止した西欧が特殊」なのではなく「いとこ婚を許容する地域の方が例外」と見る方が自然だろう。トッドの言う通り、いとこ婚を含む内婚制が後から登場したと考える方が辻褄が合うと思う。
 そもそも論文の補足資料内にあるKIIといとこ婚との相関は、エスニシティ単位で0.47、国単位で0.62と、KIIを構成する他の要素と比べても最も低い(p5)。いとこ婚よりも血統的な組織や拡大家族の同居といった現象の方が親族の緊密度で見れば重要なのはこの論文からも分かるわけで、だとすればいとこ婚の禁止より、例えば拡大家族の同居を壊すような社会的変化の方がKIIやWEIRDに大きな影響を及ぼすと考えることもできる。産業化とそれに伴う都市化の進展こそが大きな原因だ、という結論にたどりついても不思議はないはずだ。もちろんそんな平凡な結論だとサイエンス誌には掲載されなかっただろう。
 もしかしたら筆者たちは有名科学誌に載せるために敢えて素っ頓狂な説を唱えたのかもしれない。もしかしたらKIIはその説を成立させるために行ったp-hackingの一種なのかもしれない。そしてもしかしたら、雑誌に載せる説として「いとこ婚の禁止」を選んだ背景には、欧米に存在するイスラム圏への差別感情に訴えようとする狙いがあったのかもしれない。いとこ婚が盛んな地域がほぼイスラム圏に重なっていることは明白であり、この論文は彼らに対する差別感情を正当化させる働きを持っている。実際、この研究を「レイシスト的」と呼ぶ人もいる

 論文の正否はともかく、それに迷惑を被っているのがPeter Turchinであることは間違いないようだ。論文発表とほぼ同じ時期に彼の研究と彼が中心に取り組んでいるSeshatに関する長い記事が掲載されたのだが、歴史分野に対する統計的アプローチという点でサイエンス誌の論文と似ていたためにこちらもひとまとめに批判されてしまったようだ。結果、Turchinはblogの中で、Seshatの取り組みは数多くの歴史研究者も参加している真っ当なものだという言い訳に追われることとなった。
 以前にも書いたが、現代の歴史研究においてデータを無視することは不可能になっていると思う。だからと言ってデータなら何でもいいわけではない。今回の論文を巡る論争を見ていると、そんな当たり前の感想が思い浮かぶ。
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コメント

西洋史専攻の工学部生
ごきげんよう、最近このサイトを見つけて以来、様々な興味深い記事を読ませて頂いています。

>>個人的にはKIIとWEIRDの間には疑似的とは言いがたい何かの相関があるのではと感じている

確か、アウグスティヌス辺りが「外婚は全く見知らぬ人々を結び付けるのだから社会にとって良いものである」みたいなことを言っていたように思います。
最近読んだ本では、W.H.マクニールの「ヴェネツィア」の中でも「中世イタリア、ないしその後の西洋全体の興隆の基礎には、特に親族関係に無い人々が様々な目的のために【特別団体】を形成できた事があった(中東ではそれが上手く行かなかった)」という事が書かれていました。

おそらく、家族制度と社会制度が強く連関しているという考えは、トッドに限らず西洋ではかなり一般的なようですね。
尤も、それはおそらく
外婚制→「むしろよそ者を信用し彼らと協力することに積極的な社会」
外婚制→教会による内婚の禁止
であって、教会による内婚の禁止がWEIRDnessの要因だとは考えづらいですが。

ていうか、そもそもWEIRDという語自体が微妙ですよね。近代化の成否というのは、結局のところ大衆識字化に掛かっているのであって、E以外はその経済的結果を示しているのに過ぎないと思います。Wなんて論外です。近代化は須らく内的要因によって可能になり、その結果も独自の形態を取ってきたのであって、アジアのWesternisationなんてものは凡そ存在しないのです。全く差別的な表現で、未だにOrientalismにはまり込んでいるのかと思わざるを得ません。

desaixjp
はじめまして。
この件については、問題点のある論文が有名な科学誌に掲載されたことの方がまずいんでしょう。
サイエンス誌がなぜこの論文を載せることにしたのか、その経緯の方が気になります。
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