造反・中間まとめ

 造反騒ぎについて現時点で分かることをまとめておこう。関係者がどのような証言をしているか、当事者及び情報を知り得る立場にあったと思われる面々の記録を以下に記しておく。

1)造反騒ぎを書いていない者
 スールト(サンブル=エ=ムーズ軍ルフェーブル師団所属旅団長)
Memoires du marechal-general Soult"http://books.google.com/books?q=editions:0TuKck3mujWhdg9_VMk&id=_UMuAAAAMAAJ"
 グーヴィオン=サン=シール(ラン=エ=モーゼル軍左翼指揮官)
Memoires sur les campagnes des armees du Rhin et de Rhin-et-Moselle"http://books.google.com/books?q=editions:0QyM2Kd0ZHv7LL3EuWK&id=tG0uAAAAMAAJ"
 グレアム(イタリア方面の連合軍に派遣されていた英国の連絡将校)
A Contemporary Account of the 1796 Campaign in Germany and Italy, Volume I

2)コローが造反
 カール大公(ドイツ方面の連合軍指揮官)
「際立った意見の相違が師団長の間で猛威を振るい、コローを後方へ送って彼の師団の兵を他の部隊に分けることを彼[ジュールダン]に強いた」
Archduke Charles of Hapsburg "Archduke Charles' 1796 Campaign in Germany" p136

3)クレベールとコローが造反
 ボナパルト(イタリア方面軍指揮官)
「クレベールとコローは不服従によって軍から解雇された」
Memoirs of the History of France During the Reign of Napoleon, Vol. III"http://books.google.com/books?id=JW0uAAAAMAAJ&printsec=frontcover&dq=editions:0Wz3pKoBrsoQAKjpd1g" p299

4)クレベールとベルナドットが造反
 サラザン(サンブル=エ=ムーズ軍ベルナドット師団参謀長)
「ベルナドットとクレベールはその[ジュールダンの]計画に心から反対した」
The Royal Military Chronicle, Vol. VI"http://books.google.com/books?id=ohEJAAAAIAAJ&printsec=frontcover&dq=editions:0Oqj57SlGqXZG2Qke9ruEE2" p23

5)クレベール造反をにおわせる
 ネイ(コロー師団前衛部隊長)
「彼[ジュールダン]は以下の報告を総裁政府に出した。『(中略)私は麾下の将軍たちの信頼を失い、彼らは間違いなく私が指揮官に相応しくないと考えています。(中略)クレベール将軍が彼らの指揮官になるのを見れば、将軍たちは喜ぶだろうと思います』」
Memoirs of Marshal Ney, Vol. I"http://books.google.com/books?id=mZfipPYjD48C&printsec=frontcover&dq=editions:0PkKqOngr68haOhPsOuJwP" p189-190

6)コローとクレベールは病気
 ジュールダン(サンブル=エ=ムーズ軍指揮官)
「コロー将軍は戦役の疲労に耐えることができる状態になく、治療のため休養する許可を得た」
Jean-Baptiste Jourdan "Memoirs to Serve the History of the 1796 Campaigns in Germany" p52
「ジュールダンと将軍たちの一部との間にいくらかの意見の相違があったのは事実だが、コローはこれに含まれておらず、彼が後退したのは彼の部隊が疲労していたためだ」
Jourdan, p52n
「クレベールの麾下には左翼を構成するルフェーブル師団のみが残ったが、彼[クレベール]の健康状態はこれ以上軍務を続けることを許さなかった」
Jourdan, p53

 上記の記録以外に参考になるものはないのだろうか。Ramsay Weston PhippsはThe Armies of the First French Republic, Volume IIのp349で、クレベールの造反について脚注でPajolの"Kleber, Sa Vie et sa Correspondance"を上げている。残念ながらこの本はGoogle Bookなどでは閲覧できない。いっそ購入してしまった方が早いかもしれないが、現時点ではどのような内容なのは判断できない。
 ベルナドットについてPhippsは、ヴュルツブルクの戦い後にリンブルクで合流したことが"Fastes de la Legion-d'Hhonneur, Tome Premier"のp340で確かめられると書いている。この書物はGallica"http://gallica.bnf.fr/"で閲覧でき、そこを読むとヴュルツブルクの戦い前後のベルナドットの動向が記してあるが、載っているのは彼が頭部のできもののせいで戦いに参加できなかったこと、敗北を聞いて熱を押してリンブルクで合流したという話だけだ。
 では、コローに関しては他に史料はないのだろうか。Phippsはまずジュールダンと同じ意見を述べているものとして"Victoires, Conquetes, Desastres, Revers et Guerres Civiles des Francais, Tome Septieme"を紹介する。これまたGallicaにある同書のp55-56を見ると、「地形上の障碍を乗り越えるよりも敵を打ち破る方がおそらく困難が少なかった戦役において疲労困憊したコロー将軍は、健康を回復するため軍の後方へ下がることを求めて許可を得た」という話が載っている。
 さらに、p56の脚注には「カール大公は『回想録』の中でコロー将軍の辞任について、彼と指揮官の間にあったいざこざにその原因を帰している。コローはあまりによきフランス人であり、かつあまりに将軍としての任務に重きを置いていたため、特に大公が推測しているような理由で危機的な状況にある軍を去ることはあり得ない。ジュールダンは軍内に献身的な支持者を持っていなかったが、たとえ彼が時々麾下にある何人かの将軍が彼に対峙していることについて不満を述べていたとしても、その中に決してコロー将軍は入っていなかった」といった内容の話が記されている。確かにこれはジュールダンの主張と同じだが、何を論拠にこのような主張をしているのかが一切説明されていないのが問題だ。一次史料など根拠を提示しない脚注がどれほど無意味であるかを示す典型的な例になっている。
 他にどんな史料があるのか。Phippsはコローも造反に関連した論拠として、"Kleber, Sa Vie et sa Correspondance"とパジョルの息子が出版した"Pajol, General-en-chef"を上げている。上に述べた通り、これらの本は中身を確認するのが現時点では無理。また"Biographie Universelle des Contemporains"という本も示しているが、この本はおそらく人名辞典みたいなものであり、一次史料にはならない。
 もう一つ、Phippsが論拠に上げているのがArthur Chuquetの"Hondschoote"。これまた二次史料ではあるが、Chuquetの本は脚注が充実しているので色々と参考にはなりそうだ。いずれ英訳本が出るだろうからそれを参考にしよう。後はクレベール本をどうするか。それの中身も確認できれば、造反事件に関する史料はかなり揃うことになりそう。

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