金融資産動向

 以前、レビューを書いたThe Great Levelerの邦訳が出版されていた。邦題は「暴力と不平等の人類史」。個人的にはあまりいい題名とは思わないが、それでもいろいろ書評が出てくるなど、そこそこの関心を集めているようだ。やはり格差の問題に興味を持つ人はそれだけいるのだろう。
 格差問題という意味で興味深いのが野村総研が出している純金融資産保有額別の世帯数と資産規模に関する調査だ。これを見ると2017年時点で金融資産5億円以上の「超富裕層」が8万4000世帯も存在し、彼らが保有する純金融資産額が84兆円に及ぶことが分かる。
 これらの数字を比率に直すと、例えば世帯数で0.16%の人たちが金融資産では5.46%を保有していることが分かる。一方、純金融資産が3000万円以下のマス層は世帯に占める比率は78.24%と4分の3強に達しているが、持っている金融資産の比率は43.73%と半分に及ばない。当たり前であるがそこに格差は存在する。
 問題はこれらの格差が時間とともに拡大しているかどうかだ。資産保有比率だけで見れば「拡大している」と言えるだろう。データは2000年まで遡ったものが存在しているのだが、超富裕層の持つ金融資産は最も低かった2003年当時の3.60%から増えているのに対し、マス層(資産3000万円未満)の金融資産比率は49.1%から低下している。全体の金融資産の割り振りは貧乏人から金持ちへシフトしたことになるわけだ(厳密にはシンプソンのパラドックスを考える必要があると思うが、ここでは話を単純にしている)。
 ただし、同じ期間で金融資産の比率が低下しているのは実はマス層しかいない。資産1億円以上の富裕層は11.83%から13.97%へ、5000万円以上の準富裕層は15.14%から16.05%へ、そして資産3000万円以上のアッパーマス層ですら20.34%から20.79%と僅かながら上向いている。世帯数で常に8割前後を占めているマス層の比率が低下しているのだから格差が拡大しているのは間違いないが、21世紀に入って利益を得ている層が意外に幅広いことは否定できない。
 それにマス層は金融資産全体に占める比率こそ低下しているものの、金融資産の絶対額は2000年当時の503兆円から2017年には673兆円と34%も資産が増えている。もちろんその間に世帯数も増えているのだが、こちらの増加割合はたったの11.8%。単純に1世帯当たりの金融資産を計算するなら、マス層の金融資産は2000年の1338万円から1601万円へと膨らんでいる。これは全ての層に当てはまる事実で、アッパーマス層は3495万円から4443万円に、準富裕層は6484万円から7666万円に、富裕層は1億6645万円から1億8174万円に、そして超富裕層は6億5152万円から10億円に伸びている。
 マス層以外のより富裕な層はいずれも世帯全体に占める比率がアップしており、そして各層の金融資産も増えている、ということは日本は引き続き金融資産という意味では幅広い世帯において豊かさを増していると言えるわけだ。格差は広がっているが、全体の底上げも続いているというこの状況が、例えば選挙における保守的な投票行動に表れているのかもしれない。少なくともTurchinの政治ストレス指数のうち潜在大衆動員力(MMP)はまだ高まっていない状態のように見える。
 それでも時系列でみれば、どんな局面にどんな不穏要因が生まれてくるかを探るヒントにはなりそうなのが面白い。例えば2000年以降でマス層の金融資産比率が最も低下したのは2007年、つまりリーマンショックの時だ。またこのタイミングはマス層の1世帯当たり金融資産額が1193万円と最も低くなった時期にもあたる。MMPが上昇するには絶好のタイミングに見えるところだが、一方でマス層の比率そのものはピークよりも低く、それだけ政治ストレスに与える影響が限定的となる可能性がある。
 逆に潜在エリート動員力(EMP)に与える影響はどうか。富裕層以上をエリート&エリートワナビーを含む層だと考えた場合、その世帯比率は2003年の1.61%から2007年には1.82%まで上昇し、エリート過剰生産の傾向が生じていたようにも見える。しかしこちらに注目するならもっと問題なのはリーマン前より後。2015年のこの数値は2.30%に、2017年は2.36%に上昇しており、日本の資産分布がかなり頭でっかちになっている様子が分かる。もちろん高齢化の影響も考える必要はあるが、こうした数字がEMPの上昇を示している可能性は考慮しておくべきだろう。
 景気の谷間を過ぎるたびに上位層の資産が増えていく傾向が見られるのも面白い。超富裕層の1世帯当たり金融資産は2000年から2007年にかけて上昇した。リーマンショック後の2009年と2011年には世帯数は大きく減少したものの、1世帯当たりの資産はそこまでは低下することなく、2013年には世帯数がまだ戻っていないのに金融資産はリーマン前のピークを超えている。不景気によってエリートのふるい落としが行われ、それを生き延びたエリートがさらに資産を増やすことが分かる。
 Turchinの言うようにエリート過剰生産が危機をもたらすのだとしたら、確かにリーマンショックのような不景気の引き金には注意しなければならないだろう。それはエリートのふるい落としが始まる号砲であり、エリート間競争が激化する合図だ。おまけに不景気は大衆の困窮化にも直結する。政治ストレス指数が上昇しやすい局面なのは間違いない。

 リーマンショックがそれほど日本の世帯金融資産に影響を及ぼさなかったのは、この期間中に日本の金融資産そのものが急増していることが要因だろう。全世帯を合わせた日本全体の金融資産は2000年の1041兆円から2017年の1539兆円と、ほぼ1.5倍にまで膨らんでいる。この多額の資産増があったからこそ、リーマンで悪化しかけた各世帯の金融資産がその後盛り返し、今のような豊かな状態にたどり着くことができたのだろう。
 それにしてもこの500兆円もの資産はどこからやって来たのだろうか。1つ考えられるのが「海外から来た」説だ。財務省が公表している「国際収支の推移」に掲載されている国際収支総括表を見ると、2000年に14兆円だった経常収支の黒字がリーマン直前の2007年には25兆円弱まで膨らんでいる。ただしその後、貿易収支の悪化があって一度は経常黒字が急速に縮小。2015年以降に盛り返したが2017年時点では23兆円弱とピークには届いていない。
 また累計で見ても、2000年から2017年までの総額は270兆円弱にすぎず、世帯の金融資産が増えた分をこの数字で全部説明することはできない。それに金融資産を増やしているのは家計だけでなく企業部門もしかり。となるともう一つの分かりやすい説明、つまり政府部門の負債増が世帯の資産増をもたらしていると考えることができる。
 いわゆる「国の借金」は2000年当時は500兆円台だった。この数字は2017年末には1085兆円に達し、つまりこの期間に500兆円ほど増えていることが分かる。世帯の資産増は、政府の負債増とほぼ対の関係にあるわけだ。逆に言うなら、政府は21世紀に入ってから家計に資産を移転することを主な政策にしてきたと見ることもできる。かつて批判されていたバラマキといえば建設業などが対象だったが、21世紀のバラマキは家計トータルを対象にしている、ように見える。
 バラマキはそれが継続できるのなら問題はそれほど大きくない。家計に手渡す資産をどこからか政府が調達できる限り、むしろ全世帯が幸せになれるいい政策かもしれない。問題はこうした仕組みがどれだけサステイナブル、つまり持続可能なものであるかどうか。世の中には政府の借金はいくら増えても問題ないという主張もあるようだが、これは経済学でも主流とは言い難い理論だ
 Turchinの社会ストレス指数の3つ目の要因が国家財政難(SFD)であることも、そうしたシステムの持続可能性に問題があることを示している。政府から家計への資産移転の額が、例えば経常収支の黒字額と釣り合っているのなら、要は海外で稼いだ分を家計に回しているのだと説明もできるし、持続可能性への不安も減るだろう。だがそうでない場合、いつまでも政府によるファイナンスが続くと信用できるかどうかは怪しくなる。Turchinの理論によれば国家財政は「炭鉱のカナリア」なのだ。
 日本政府は国民の不安を抑える手段として家計への資産移転を行い、それによって超富裕層や富裕層だけでなくマス層に至るまで恩恵を施してきた。だが、特にリーマン後の恩恵付与ペースは、おそらく速すぎる。次にシステムの持続可能性への不信(つまり政府不信)が募るようなトラブル(主に景気の悪化)が起きた時に、果たしてどこまで対処できるのだろうか。
 さらなるファイナンスを計って家計の不満を抑えるのが手段の一つだ。問題は現時点ですらファイナンスのペースが速すぎるのに、それをさらに加速することが可能かどうか。もしそうしたファイナンスが難しい場合、一部の世帯(主に富裕層)のみをファイナンスして残りを見捨てる可能性もある。Turchinの想定する政治ストレス指数の上昇はそうした状況下では不可避だろう。そうではなく新たな成長の源を見つけ出し、政府ではなくGDPの成長によって家計をファイナンスするという方法もある。1990年代以降、平均1%の成長しか達成できていない国で、そんなことが可能かどうかは不明だが。
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