メアリー・ローズ 上

 欧州に伝わった火器の発展が一段落したのは15世紀後半だった。その時期には大砲においても銃においても、後に19世紀の前半まで見られるいくつもの特徴が出そろっており、以後の進化速度は次第に逓減している。製造コスト削減もこの時期に最も進展しており、その後は削減ペースが落ちている
 16世紀以降は火器そのものの基本的コンセプトには大きな変更は生じることなく、むしろ大量生産や運用面での効率化に矛先が向けられるようになった。最も分かりやすいのは16世紀から本格化した大砲の規格化、標準化の動きだ。Archaeologia Aelianaに掲載されたEarly Ordnance in Europeには1547年時点で大砲が重量300ポンドのロビネットから6000ポンドのキャノンに至る9種類の規格にまとめられていたと記されている(p53)。
 その後、大砲の種類はさらに削減されていき、より運用の効率性が追求されるようになったのはこれまでも述べた通りだ。そうした変化は初期火器の発展に比べればゆっくりと、しかし確実に進んでいった。逆に言えば16世紀以降も古いものはすぐには消えず、しばらくは新しいものと一緒に並んで使用されていたというわけだ。
 その状況を分かりやすく示しているのがメアリー・ローズだ。16世紀前半のチューダー朝時代に使用されていた英国軍の帆船であるこの船は、1545年に英海軍と仏海軍が争ったソレントの海戦で沈没した。それから300年近くが経過した19世紀前半、この船の大砲が海底から見つかり話題になった。20世紀後半には船そのもののサルベージも行われた。
 引き上げられた船体をはじめ様々な物品ははポーツマスのメアリー・ローズ・ミュージアムに展示されている。運営に当たっているのはメアリー・ローズ・トラスト公式サイトはこちら。なかなか派手なサイトなので見て回るだけでもかなり面白い。

 このメアリー・ローズに搭載されていた大砲は、上記に述べた古いものと新しいものの移行をよく示している。同艦は1512年に完成し、1536年に改修されて大型化しているが、どのような武器が搭載されていたかについては1514年、1541年、1546年のそれぞれの時期に記録が残されているようだ(The Warship Mary Rose, p46)。最後の年はメアリー・ローズが沈んだ後の記録であり、どこまで正確なのかは分からないところがある。
 まず興味深いのは1514年時点の大砲の名称が、1541年以降のものとかなりずれていること。Tudor Warship Mary Roseでは、1523年に英国で大砲名称の標準化が始まったことを踏まえ、1514年時点で呼ばれていたいくつかの名称がその後で廃止されたのではないかと想像している(p33)。
 具体的に見ると1514年時点で搭載されていたのは青銅製の大砲(おそらく前装砲)は13門、鉄製の大砲(多くは後装式か)は65門だ。前者の中で最も数が多いのはGreat Curtowsと名付けられたもので、数は5門。これは後にCannonの名で呼ばれるようになった大型の大砲を示しているのではないかと思われる。他にはMurdererが2門、Falconが2門、Falconetが3門あるほか、Chamber-less brass gunなるものも1門ある。前装式の青銅砲に取り外し可能な薬室があるとも思えないのだが、どんな大砲なのかは不明だ。
 鉄製のものとしては困ったことに青銅製と同じ名称のMurdererが2門と1門、Great Murdererが1門ある。このあたり、標準化が進んでいない時代ならではの名称の混乱を示しているのかもしれない。Cast pieceなるものも2門あり、鍛鉄性ではなく鋳鉄製の大砲も存在していた可能性が窺える。他にはDemi-Slingが2門、Stone gunが26門(おそらく小型の大砲だろう)、Top gunが3門、そしてSerpentineが28門ある。最後のものについてはブルゴーニュ公家の火器に関する記録にも名前が出てきており、おそらく15世紀から使われていた兵器だと思われる。
 1541年以降になると、上記で紹介した大砲の名称はほぼ全て姿を消す。かろうじて残るのが青銅製ではFalcon、鉄製ではDemi-Slingだけで、確かにこの間に大砲の名づけに関する大幅なルール変更があったと考えたくなるほどの変化だ。大砲の数は1541年時点で青銅製が15門、鉄製が81門に増え、1546年にはそれぞれ15門、76門となる。ただし一部の大砲については引き上げた数が1546年の数字よりも多くなっており、その意味でやはり1546年の数字は当てにならない可能性がある。

 ただ古いデータでも新しいデータでも共通しているのは、当時の艦船に青銅製と鉄製の大砲の両方が搭載されていたことだ。単に両方があっただけでなく、数はむしろ鉄製の方が多い。15世紀後半に青銅製大砲が広まったという話はしたが、14世紀から存在した鍛鉄を組み合わせて作る大砲が16世紀になっても数多く残っていたことが分かる。新型の青銅製大砲を積み込みながら、一方で古い武器を利用して数をそろえる。まさに移行期ならではの現象だ。
 青銅製の大砲は前装式、鍛鉄製の大砲は後装式であるため、使い方は異なる。そのあたりはこちらのページの最後に動画が載っているので、それを参照してもらうといいだろう。どうやらメアリー・ローズでは青銅製の大砲は4輪の砲車に、鉄製のものは2輪の砲車に乗せて運用していたようだ。他にも小型の火器としてハンドガンとHailshotが存在したと書かれているが、このあたりについては後に説明したい。
 多種類の兵器が同時並行で使われていたために、必要な弾丸も多岐にわたった。メアリー・ローズが運んでいた弾丸を見ると、まず鋳鉄製の砲丸としてCannon用が50発、Demi-cannon用が60発、Culverin用が140発、Saker用が80発、Falcon用が60発、Sling用が40発、Demi-Sling用も40発、Quarter Sling用が50発あった。それ以外に石及び鉛製の弾丸としてPort piece用が200発、Fowler用が170発、Top piece用が20発、Base用の鉛玉が400発、ハンドガン用が1000発に達したという(The Warship Mary Rose, p57)。あと火薬についてもコーニング火薬以外にサーペンタイン火薬も積み込まれていた。
 火器関連で他に参考になるのが公式サイトのThe Artefactsのコーナーだ。武器以外にも面白いものがたくさん載っているのでぜひ見てもらいたいのだが、火器関連では例えばタッチホールに突き刺して砲腔内に入れた火薬入りの袋に穴を開けるPriming wireや、火縄を挟んで点火に使うLinstock、発射直前に最終成型できるよう大雑把に球の形を整えている石弾など、あるいは花崗岩製の石弾や、大砲の絵が描かれた入れ物など、興味深いものがいくつもある。
 青銅製の大砲の実物は、例えばこちらで見られるCannon royalなどがそうだ。この大砲は19世紀に引き上げられたもので、おそらく1515年にカレーで鋳造されたものらしい。同じページには鉄製大砲の一種であるSlingやBaseの写真も掲載されている。後者の写真は見れば分かるが実にフランキ砲と似ている。この手の後装式対人兵器が16世紀には珍しくなかったことが分かる。
 こちらには調査の際に2トンある青銅製大砲の近くで発見された6体の白骨についての説明が載っている(The master gunner)。うち5体は激しい肉体労働に従事していた様子が残っており、砲手たちではなかったかと思われている。残る小柄な1体はいわゆるpowder monkeyだった可能性があるそうだ。
 そこに載っている大砲に描かれているレリーフはチューダー朝のバラの紋章だ。ランカスターの赤バラととヨークの白バラを組み合わせたものであり、メアリー・ローズの時代がばら戦争直後であることが分かる。

 長くなったので以下次回。
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