国家崩壊 古代の例

 国家の崩壊と格差の問題についてはこれまでも述べてきたが、今回Cliodynamicsに面白い話が載っていたので紹介しよう。The Neglected Role of Inequality in Explanations of the Collapse of Ancient Statesという論文で、題名の通り古代の国家が崩壊したことと格差との関連性について調べているものだ。
 といっても時代の古いものばかりなのでデータはほとんど揃っていない。この論文でも数値を使って議論している部分はほとんどなく、基本的にはナラティブな記述に終始している。また論文前半はどちらかというと過去の研究史とそれに対する批判が中心で、古代国家を取り上げた事例は一部にとどまっている。だからあまり期待されると困るのだが、それでもここで紹介されている個別事例はそれなりに興味深いものがある。

 まず最初に登場するのはエジプト古王国の話だ(p38-39)。エジプトにはいくつもの王朝が存在したことは知られているが、古王国がどの王朝で終わったかについては議論が色々とあるようだ。一応、この論文では第6王朝のペピ2世の死去をもって古王国が崩壊したとみなしている。
 古王国の格差が大きかったことは彼らが築き上げたピラミッドに代表されるモニュメントが証拠になるという。またこの時代は中央集権が進んだ一方で、地方の行政州ノモスに様々な行政的機能が備わっており、時とともにノモスの権力者たちの力が増していったと指摘されている。中央のエリートと地方エリートによる内紛が増えた結果として治水や灌漑、穀物の貯蔵といった行政の役割がないがしろにされるようになり、それが干ばつという困難に直面したところで危機が発生したという話だ。
 中王国時代の文献であるThe Dialogue of Ipuwer and the Lord of Allには、古王国の崩壊に際して、エリートに対する大衆の攻撃が描かれているそうだ。この文献の内容自体がどこまで信じられるかは議論があるそうで、だからこの文献を論拠に古王国の格差を論じるのは難しい。それでもこの論文は古王国が「深く根付いた構造的、社会的及び政治的リスクファクター」を抱えていたと主張している。
 次がミケーネの「宮廷国家」の話(p39-40)だ。青銅器時代の末期に当たるミケーネ文明は宮廷を中心とした社会を構成していたのだが、その宮廷が破壊された紀元前1200年頃が崩壊の時期にあたる。エジプト古王国とは異なり1つの王国を構成していたわけではないうえに、その政治構造がどうであったかについては色々と議論があるらしいが、彼らの建築物の特徴から格差社会であったことは間違いない、と論文は主張している。
 崩壊要因については色々な説があるらしいが、いずれにせよ社会秩序の崩壊があった可能性はある。ホメロスが描いているのはこの時代の話とされており、そこでは「国家間戦争と王朝間、エリート間の紛争」が主要なテーマとなっているのだが、具体的な考古学的証拠はない。線文字Bには武器に関する記述はあっても戦争の記述はない。つまり、本当に格差が崩壊にかかわっていたのかどうかは具体的には分からないようだ。
 ただ労働者に対して宮廷の課す負担の大きさが農業生産そのものを破壊し、宮廷システム自体と政治的秩序を崩壊させたという説は存在するそうだ。おそらくエリートによる過剰な資源の収奪が起き、それが「金の卵を産むガチョウの殺害」につながり、崩壊をもたらしたのだろうと論文はまとめている。
 3つ目の事例は西ローマ帝国だ(p41-43)。ここでは行政・政治の失敗による経済財政の悪化が軍事費の欠乏と軍事力低下につながり、それが蛮族の侵入を招いて領土の削減をもたらし、税源が縮小した結果としてまた軍事費が下がるというフィードバックが働いたことを論文は指摘している。そして格差の拡大によって困窮した大衆の中には蛮族に味方したりBacaudaeという反乱に参加するものも多かったそうだ。
 もちろん西ローマの崩壊の背景にもエリート間の紛争が存在していた。以前にも紹介したガリア帝国の話や、ディオクレティアヌスのテトラルキアなど、エリート間の対立を反映した史実に欠けることはない。特にエリート間の紛争が激しかった西ローマでは最後の皇帝が476年に退位した。
 最後の事例が古典期マヤ文明(p43-44)。こちらもミケーネ文明同様に中央政府に統一されたことのない社会で、その都市の数はピーク時で800前後に達していた。そしてこちらもまた宮殿や家屋、贅沢な芸術品などから格差社会であったことが想定されている文明だ。そしてエジプト古王国のように、この時代のことについて後の時代に書かれたBooks of Chilam Balamの中にも、そうした格差や大衆の不満が描写されているという。
 マヤの政治体制は水の供給管理を権力の源泉としていたようで、ここがうまく回らなくなると社会体制が不安定化していったようだ。内部争いもエリート間抗争も珍しくなかった。それに加えて干ばつのような天候要因も唱えられているが、マヤ文明が一斉に崩壊したわけではなく、場所によって崩壊時期が違っていたため、そうした要因は限定的だったのではないかと論文筆者はみている。もっと社会的な要因、つまり格差こそが大きな原因だったというわけだ。

 実は以上の各事例のうち古王国を除く3例はScheidelのThe Great Levelerの中で紹介されているものと同じだ。いずれも格差を縮める「4人の騎手」の1つである国家崩壊の事例として掲載されており、おまけに内容はこの論文よりはるかに詳細である。西ローマの事例に至っては複数のグラフも載っており、より具体的なデータに基づく議論がなされている。もしScheidelの本を買っているのなら、そちらを読んだ方が詳細は分かる。
 Scheidelの議論の中心は暴力がいかに格差を縮小するかであり、国家崩壊とされるこれらの事例において暴力が間違いなく使われていたことを主張し、その後で埋葬形式などにおける格差が縮小した事実を指摘することに力点が置かれている。一方、こちらの論文は崩壊の原因に格差があるという主張が中心。そのためには崩壊前の格差の存在と、それが崩壊に影響を及ぼした論拠を示す必要がある。おそらくScheidelよりもハードルの高い作業だが、そのために具体的にやっているのはほとんどが他の論文の引用のみであるため、うまく立証できているかと言われると判断に困る。
 古王国やマヤ文明では後の時代にまとめられた文献から格差の存在と大衆の不満とを示しているが、こうした文献は本当に同時代の世情を紹介したものであるか分からないという問題がある。最もデータがそろっている西ローマの場合は、大衆が農民反乱や蛮族に合流したという記録が紹介されているのだが、こうした主張についてもやはり異論はある。
 古い時代についてはそうした文献記録より考古学記録の方が当てになりそうだが、そこからは格差の存在は推定できても、それが社会にどんな影響をもたらしたかまで証明するのは難しい。国家崩壊の前後で格差にどのような変化が生じたかについては、例えば発掘によって判明した家の面積の格差から想像することは可能だろう。だが格差の存在が大衆の困窮化、エリートの過剰生産、国家財政の悪化を通じてクライシスをもたらすという永年サイクル説通りのことが本当に起きていたかどうかについて確実な証拠を示すのは、古代については難しそうに見える。
 もう一つ、これはScheidelの本を読んでも分からないことなのだが、ミケーネ文明やマヤ文明のように多くの政治体が存在する社会において、どのようなメカニズムで格差が広がったのかが分からない。エジプト古王国や西ローマ帝国のように大きな国家に統一されていれば、その中で格差が広がるのは理解できる。外部に敵がいない状態であれば内部での競争こそが優先され、結果として勝者が総取りする世の中になるのは「よくある話」だろう。
 だがミケーネやマヤでは多数の政治体が互いに争いあってもおかしくない状況にあった。そしてそうした状況下では、古典期ギリシャや戦国時代の中国がそうであったように、政治体内での格差はあまり広がることなく、政治体同士の争いのために構成員が一致団結するような社会になる可能性もあったはずだ。グループ間の闘争がグループ内のアサビーヤを育み、そこから比較的平等な社会が生まれるという歴史がミケーネやマヤで生まれなかったのはなぜか。
 おそらくミケーネやマヤは、古典期ギリシャや戦国時代中国とはどこか異なる環境に置かれていたのだろう。その違いが前者においては政治体内のエリートと大衆の格差拡大を、後者においては格差縮小をもたらしたと思われる。そしてその違いは、きっと大衆を人材として登用する需要の差につながるものだったのではなかろうか。例えば兵士などで大衆を大量に必要とした社会は格差が広がりにくく、逆にエリートの戦士が主役だった社会は広がりやすかった。そんな傾向があったのではなかろうか。
 いずれにせよ古代の格差や国家崩壊について調べるのは、データが限られるためにどうしても限界がある。この論文の取り組みは面白いが、これを読んで分かることよりも分からないことの方が多いのは否定できない。
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