ワーテルローへの道 20

 承前。同日遅く、おそらく午後9時頃にかけ、ファン=マーランの2つめの報告を含めたツィーテンからの連絡がナミュールに届いた。クラウゼヴィッツはさらなる命令を発し、まずクライストに対してアルロンへ行軍することと、到着予定日を連絡することを要請。またルクセンブルクの守備隊強化も命じた。ティールマン軍団に対しては14時間以内にシネーに集まるよう指示を出している。
 ビューローも同様に必要ならアニュへ移動するよう命じられた。ユーリヒの指揮官であるボイエン少佐にはルクセンブルクへいくつかの大隊を派出することが、ヴェーゼルの指揮官パーバント中佐には大隊をユーリヒとルクセンブルクへ送り出すことが指示された。さらにこの日、グロルマンからプロイセン王に対し、シュヴァルツェンベルクの侵攻計画が連絡された。
 プロイセン司令部におけるオランダ王の代表であったファン=パニュイが同日に書いた手紙でも、フランス第4軍団の動きや国境の村々が兵で埋まっていることを伝えたうえで、「明日には軍に来ると言われているボナパルトが最初に攻撃すると広く信じられている」(p19)と記されている。
 午後11時頃、司令部に5~6人のフランス逃亡兵が連れてこられた。彼らの情報を聞いたブリュッヒャーとグナイゼナウはさらなる命令を出した。第2軍団にはマジーとオノの間に集結するよう命令。また11時半に出されたティールマンへの命令では、敵が攻撃を意図しているため我々も集結する必要があるとして、命令を受け取り次第ナミュールのムーズ左岸に兵を集めるよう指示している。哨戒部隊は第2軍団の哨戒線と連絡を取り、また病人はリエージュへ向かわせることも求めている(p20)。
 ビューローに対する夜12時の命令では、15日にアニュに集結すること、フランス軍が攻撃に出る可能性が高まっていること、病人は後方のアーヘンに送ること、リエージュの司令官にリエージュの病院をできるだけ空けるように指示すること、そしてナミュールとアニュとの間の連絡を密にする対応を取ることなどを指示している(p20)。
 一方、連絡将校としてプロイセン軍司令部にいたハーディングは、14日午後10時にウェリントン宛の報告書を記している。まずツィーテンから報告されたフランス軍の動き(8日分の食糧と秣の件など)を伝えたうえで、フランス軍の野営の火がどこに見えたかについて述べ、昨晩以降ナポレオンの到着や親衛隊の動きについて新しい情報がないことにも言及。グナイゼナウ将軍が第4軍団の到着について他の情報源から確認したことにも触れ、さらにクライストの軍団がアルロンに向かっていること、第3軍団と第4軍団の集結に関する命令も述べている。最後に「ここで広まっているらしき見解によれば、ブオナパルテは攻勢作戦を始める意図を持っている」(p19)という言葉で報告を締めくくっている。

 6月15日

 ハーディングが14日午後10時に書いた報告はおそらく15日の朝のうちにウェリントンのところに届いた。だがウェリントンがそれを受けて何か具体的な対応を取った様子はない。彼は同日午後1時、クリントン将軍に対して師団の番号変更に関する手紙を書いている。何人かの将官が「古い番号の方が望ましい」と考えていたためのようで、ウェリントンは例えばピクトン師団の番号を第5から第3、つまり古い半島戦争時代の番号に差し替えることを検討していた(p14)。
 de Witは、ハーディングの報告は攻撃目標になっているのがプロイセン軍であるらしい印象を受けるものだが、実際のグナイゼナウの対応はモブージュにいるフランス軍の攻撃に対処したものであり、そのターゲットは必ずしもプロイセン軍だけとは限らなかったと指摘している。またプロイセン軍が警戒態勢に入ったことはウェリントンやミュフリンクに何らかの印象を残したと思われるが、一方で英連合軍第1軍団はおよそ1週間前から警戒態勢を敷いており、その意味では目新しいものではなかったとも書いている(p22)。
 少なくともミュフリンクは「昨日攻撃されなかったことから、敵は我々を騙してその移動を隠そうとしている」(p22)のだと想定。この言葉は14日にウェリントンがヴィンセントに向けて告げた「全ては敵が何をするかにかかっており、彼らが主導権を取るのも不可能ではない」という言葉とも関連している、というのがde Witの考えだ。
 ミュフリンクは少なくとも15日の時点で、ナポレオンは一旦退いたうえで侵攻してくる連合軍への対応を考えるものと想定していた。これはおそらくハーディングの報告を知ったうえでの判断であり、ハーディングが知らせてきたフランス軍の動きは、国内へのさらなる退却を隠すための陽動だと考えていたのではないかとde Witは解釈している。
 ただしミュフリンクはナポレオンがベルギーで攻撃してくる可能性を完全に否定していたわけではないようで、15日に彼がグナイゼナウに伝えた文章の中には、ウェリントン軍の配置に関する説明が書かれている(p22-23)。第1、第2軍団はすぐ接近できるよう配置され、ブリュッセルにいる予備軍団はどの方角にも移動できる。敵が海とスヘルデ河間を攻めてくればスヘルデを越えて攻撃に出るし、ムーズ右岸に来るのなら、ムーズを超えて進むかあるいは敵の背後に回り込む、というのがミュフリンクの説明だ。
 基本的にここでの説明は4月末の秘密覚書と大きく変わるものではない。違いは英連合軍に予備軍団が追加されていること、そしてムーズ右岸にナポレオンが攻めてきた時にプロイセン軍と英連合軍の果たす役割が書かれていることだ。
 実際にフランス軍の攻撃を受けたツィーテンは、15日午前8時15分にブリュッヒャーに宛てた報告の中で「私はウェリントン公にこのことを知らせ、彼が行うつもりであると昨日フォン=ミュフリンク将軍から受け取った連絡にあったように、今こそ兵をニヴェルに集めてほしいと要請した」(p23)と書いている。つまり14日(もしくはその少し前かもしれないが)にミュフリンクはツィーテンに対し、いざという時は英連合軍をニヴェルに集めることをウェリントンが約束したと伝えていたのである。
 de Witの推測に従うなら、おそらくは12日か13日にまずツィーテンがミュフリンクに対して現下の情報を伝えた。ミュフリンクはこの報告を分析し、ウェリントンと相談のうえ、もしナポレオンが全力でブリュッヒャーを攻撃するのなら、ウェリントンの戦力をニヴェルに集めるつもりであるとツィーテンに返答した。英軍は攻撃を受けたプロイセン軍を見捨てるつもりなどなかった、とde Witは言いたいのだろう。

 15日早朝、ウェリントンはオラニエ公から送られたフランスの新聞を通じ、ナポレオンが11日夜に北部国境へ向かったことを知らされた。またオラニエ公はボワ=ブルドンで行った偵察について「すべてが静かで何の変化も起きていなかった」(p9)と報告している。
 ミュフリンクが「敵は我々を騙して移動を隠そうとしている」との判断を述べたグナイゼナウへの手紙には、他にもナポレオンのパリ出発の報、ヴァンデの反乱に関する情報などが含まれており、またナポレオンがサント=ムヌーに移動してそこから連合軍のいずれかの部隊に向かおうとしているのではないかという推測が書かれている。さらに英連合軍の基本的な防衛方針もここで述べられている(p9-10)。
 また別のグナイゼナウへの手紙ではフランス侵攻が言及されている。そこではロシアのトール将軍がロシア皇帝の手紙とともに到着したことが紹介され、皇帝が支援を提案したのに対しウェリントンが否定的な態度を示したことが書かれている。ミュフリンクは他にフォン=シャルンホルスト大尉の仕事について触れた手紙も出しており、ウェリントンが彼を英国の大佐にする案を提示したのに対し、ミュフリンクは彼がプロイセンの軍服で戦争に参加することが必要だと述べた話が載っている(p10)。さらにミュフリンクは、銃やロケットの補給とその支払いに関するウェリントンとのやり取りについてもグナイゼナウに報告している(p10-11)。
 同日朝にはオランダのファン=レーデがウェリントンを訪れ、後にその内容について報告書を記している。フランス軍の集結と、モンスに対する攻撃の可能性を記したうえで、だがブリュッセルでは特に軍が出発する様子もなく、ボナパルトが本格的な攻撃計画を持っているとは思っていないようだと述べている。そしてウェリントンが「我々が攻撃されるとは思っていない。我々は強すぎる」(p11-12)と語っていたことを紹介し、事態がよりはっきりするまで彼は現状にとどまり、フランス軍の動き全体を待つつもりであると書いている。
 同じくブリュッセルに送り込まれていたオランダ王国のファン=デア=カペレンもウェリントンに会っている。ウェリントンは彼に対し、「ブオナパルテが攻撃してくることを期待しているが、充分に強すぎるためそうなるとは信じていない」(p12)と話している。さらに現在の配置であれば、5~6時間のうちに彼が必要とされている場所に行くことができるとも述べている。
 ロシア皇帝の特使であるトール将軍がブリュッセルに到着したのは14日夜だ。彼は6月10日にロシア皇帝が書いた手紙を持ってきた。皇帝はウェリントンの隣で戦ってその信頼に値することを示したいと記し、ハイデルベルクで行われた会議で決まったことも伝えてきた(p12)。ロシア軍はフランス侵攻に際して彼らを支援する役目を担おうとしていた。
 ウェリントンは非常に長く丁寧な返答を記した(p12-14)。ただし結論は単純で、「我々はなすべき全てのことをなすうえで充分な手段を持っていると考えます」というのがそのオチだ。要するにロシア軍の支援がなくても問題ないということを伝えるために、非常に細かい話を長々と書いている。

 以下次回。

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