狩猟採集社会のように構成メンバーが互いの顔を全部把握しているような社会においては、フリーライダーはすぐに発見され罰せられる。だが社会が大きくなり匿名性が高まると、そうした顔見知りを前提とした4枚カードのような方法でフリーライドを防ぐことは困難だ。そこで代わりの役目を果たすのが大きな神々。彼らは「知り合いの目」の代わりとして人々を見張り、人々に道徳的なふるまいを強いる。大きな神々こそが匿名性の高い巨大な社会からフリーライダーを排除するシステムになっているわけだ。
要約紹介ページを見ても「見張られている人は善人である」「地獄は天国を上回る」「神を信じる人を信じる」など、神が知り合いの代わりとなってフリーライダーを罰する機能を果たしていることを示す原則が示されている。かくして大きな神のいる集団は内部で緊密な協力関係を構築し、外部との競争で優位に立つ。そして最終的に地球上に存在する大きな社会は軒並み「大きな神々」を崇拝する社会ばかりになる、そのような進化のメカニズムが働くという理屈のようだ。
そこで登場してきたのが、Peter TurchinもかかわっているSeshat"
http://seshatdatabank.info/"だ。彼らが築き上げたデータバンクには社会の複雑性に関するデータだけでなく、宗教や儀式といったものに関する定量的なデータも多く含まれている。それを使えば、人々にモラルの高い行動を強いる神々の存在と、巨大な社会の成立との間に存在する時系列的な関係が分かる、というわけだ。そしてその結果が、このほどNatureに掲載された"
https://rdcu.be/brZ1Q"。
結論はBig God Theoryを否定するものだった。歴史上の様々な時代や地域において、複雑な社会の方が道徳を強いる神々よりも先行して登場したという。それどころか「大きな神々」は、人口で約100万人に達するほどの大きな社会が出来上がった直後に生まれるケースが大半だったという。因果関係でいうのなら、複雑な社会こそが大きな神々を作り出したということになる。
もっと重要なのは次のグラフだ。こちらは複数の社会において、道徳を強いる神の登場前後に社会の複雑さがどのように変化したかが示されている。見ればはっきりと分かる通り、社会の複雑さが一気に増したのは、道徳を強いる神が登場した後ではなく前だ。つまり神々の存在が大きく複雑な社会を生み出す前提条件になったのではなく、むしろ大きく複雑な社会の誕生こそが神々を作り出す原動力になったと考えられるのだ。
むしろSeshatのデータを使って見えてきたのは、社会の複雑さが増す前に多くの社会で宗教的な儀式の導入が行われていた点だろう。これが何を意味するかについて、論文では「社会の複雑さが最初に増加する点については、誰を崇拝するかではなく、どのように崇拝するかこそが究極的により重要」だと記している。神が誰であり、その教えがどんなものであるかよりも、神を崇める儀式において何を行うかの方が実は重要なわけだ。
興味深いのが大学時代に一緒に過ごしたアカペラグループとの友情についての言及だ。儀式や踊り、あるいは軍による歩調を合わせた行進など、大勢と一緒に体を動かすことが人間関係の緊密化に役立つことを、どうやらこの研究者は自身の体験から理解しているらしい。彼は日本の伝統的な音楽について学ぶために訪日し、陸前高田市の盆について研究をしていたそうだ。東日本大震災で大きな被害を受けたこの地が復興へ向かう過程で、儀式や音楽が果たした役割をリアルタイムで見てきたのだろう。
そうした経歴を持つ人物がSeshatの今回の調査に関与したわけで、社会が複雑化する過程で儀式が果たした役割の重要性を窺わせる結果が出たことは、おそらく我が意を得たりといったところだろう。本人自身も「協力を容易にするうえで音楽と踊りが果たした役割に関する持論」を持っているそうで、今回の研究結果はその持論にとってもプラスになるかもしれない。
もう一つ、教義ではなく形式が重要なのだとしたら、現在世界中で進んでいる無神論の増加傾向が長い目で見て「協力の破壊」につながるとは限らない、と主張することもできそうに思う。神が不在でも共有できる儀式的な体験があればいいのなら、それこそこの筆者が書いているように「芸術教育とコミュニティーの祭」に投資することで、世界がよりよくなる可能性だってある。
つまり今こそ火の民の大いなるマツリ、「ヤマタイカ」の復活が望まれているのであり(文章はここで途切れている)
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