子育てコストの理論

 こんな記事"https://wired.jp/2018/12/16/professor-galor-unified-growth-theory/"があった。いかにもWIREDらしくスノッブでうんざりさせられるデザイン&書き方なのだが、特にグラフとか数式は読者を馬鹿にしているようにしか見えない。この手のものに求められるのは見やすさと正確さだろうに、意味不明な落書きを織り交ぜて可読性を下げまくっている。「どうせお前ら数式とかグラフなんて読まないんだろ」と言いたいのだろうか。
 取り上げられているOded Galorの言い分はそれほど筋悪のものでもなさそうに見える。くそ生真面目な経済学に関する議論だし、だから本来ならストレートに読ませるようにすればいいだけ。なのに素っ頓狂な作り方をしているせいで、WIRED編集部による間違った「おしゃれ感」のいたたまれなさが浮き彫りになるコンテンツと化してしまっている。
 デザインに比べれば文章はまだマシだが、残念ながら「信者による教祖の紹介」的な書き方になってしまっているため、読んでいて眉に唾をつけたくなる。この手の「エヴァンジェリストによるジョブス礼賛記」みたいな文章は一時期ネットにあふれまくっていたが、いつまでもそんなものが格好いい文章だと思っていると、いずれどこかでしっぺ返しを喰らうのではなかろうか。余計なお世話だけど。
 Galorの議論については彼のインタビュー"https://www.researchgate.net/publication/4799001"から要点を抜き出したこちらのblog"http://kame3jai.blog.fc2.com/blog-entry-24.html"の方が簡潔にまとまっている。余計な賛美が入っていない分だけ読みやすいと言っていいだろう。人口増加が技術進歩を促し、それが人口よりも1人当たりGDPの成長につながり、技術進歩の加速が人的資本への需要を高め、それが子供に対する教育費の増加を通じて人口転換が起きるという理屈は、個人的にはそれほどおかしなものとは思わない。
 人口のサイズがアイデアに対する供給と需要を増やすというのは、人口が多いほど「試行錯誤」を行う主体の数が増えるという意味だろう。そのようにして技術が進歩していけば、その進歩に対応できる人材の必要性が増し生産過程における人的資本への需要が高まる。そうなるとこんどは子供にどう投資するかという両親の行動が変わってくる。量より質を求めるようになるのだ。出生率が下がる一方で人々の教育水準は高まり、それがさらに技術進歩を促す。同時に経済成長のパイを人口ではなく1人当たりGDPで分け合うようにもなる(Galorインタビュー、p125)。
 Galorはこの議論によって、ほとんど経済成長のなかった「マルサス期」と、産業革命後の大きな成長がなし遂げられた時期とをまとめて説明できるのだと主張しているそうだ。だから彼はこれを「統一成長理論」と呼んでいるそうで、確かにかつての農業社会と現在の産業社会とをつなぐことはできそうに見える。何より足元の先進国で起きている高学歴化("https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56769981.html"の追記など)について、子育て費用の大幅な増加について、スマートに説明できるあたりは魅力的だ。
 一方で、農業社会より前の歴史についてはこの理論でどこまで説明できるのか分からない。狩猟採集社会から農業社会への飛躍は産業革命に匹敵するくらいの出来事だと思うのだが、その際にどのような成長メカニズムが働き、その後でどうして再び長い停滞期が訪れるようになったのか、Galorの意見を聞いてみたい。また将来についても同様で、人口が頭打ちになることで技術革新が止まるのかどうか、止まった場合にその後の経済成長はどうなるのかに興味がある。

 一方、WIREDの記事の後半に紹介されている「国による経済状況の違いの説明」は、あまり筋がいいように思えない。まず重要なのはGalorらが指摘している遺伝子の多様性なるものが、どのようなデータに基づいているかだ。彼らの論文"http://piketty.pse.ens.fr/files/AshrafGalor2013AER.pdf"(なぜかPikettyのサイトに採録されている)を見ると、元ネタはHuman Genome Diversity Cell Line Panel"https://www.researchgate.net/publication/11411766"に由来しているそうだ。
 問題はこの研究が2002年に発表されたものであること。何しろゲノム研究の世界は日進月歩なので、Galorらがデータを使うときにどれだけアップデートされたものを利用したかは大きな問題となる。彼は割と単純にアフリカからの距離との比較で多様性が小さくなっていると指摘しているのだが、こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56753115.html"でも紹介したように現在のゲノム研究では「アフリカを出た人類が順番に今いるところに定住していった」というような単純なモデルは成立しないことが分かっている。
 大半の地域において暮らしているヒトが交雑を繰り返した結果の存在なのだとしたら、Galorらの言うような「ゲノム多様性」が本当に存在すると安易に断言することはできなくなる。Galorを批判した科学者たちが指摘"https://www.scientificamerican.com/article/claim-links-economic-success-genetic-diversity-draws-criticism/"しているように、説得力のある議論をしたければ論文として発表する段階において遺伝学者を入れておくべきだっただろう。
 もう一つ、これまた容易に指摘できる話だが「相関と因果は違う」という問題が残る。実際にはジャレド・ダイアモンドの言うように「大陸の形状」こそが大きな要因なのだが、たまたま文明の発展に適していたユーラシアに中程度の遺伝子多様性を持つヒトが集まっていたために相関が生まれた、という可能性は常に存在するし、それを否定しようとするのは難しい。
 遺伝子多様性と1人当たり所得の相関を調べる際に現在の国境を使ったことについても、個人的には疑問を覚える。もちろんデータを取るうえではそれが手っ取り早いのは確かなんだが、数万年に及ぶ歴史を持つ遺伝子について調べる際に、この100年の間にも変化のあった国境をデータの区切りとして利用するのは適切なのだろうか。むしろ以前紹介した"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56739617.html"ように「過去の奴隷貿易が現在の経済に影響している」説の方が、原因となった時期が近いだけにより説得力を感じる。
 遺伝子がヒトの行動に影響を及ぼすのは間違いないし、それが格差をもたらす要因の1つになっている可能性も十分にあると思う。だからGalorらの議論を間違いだと決めつけるつもりはない。もしかしたら本当に遺伝子の多様性が技術革新や経済成長に何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。でもそう主張したいのなら、遺伝子の専門家に突っ込まれないだけのしっかりとした研究をするべきだし、さらに言えば遺伝子の多様性が経済成長につながる経路をより実証的に調べるべきだと思う。つまり技術革新と遺伝子との関係をもっときちんと立証する必要がある。
 個々の人間を見ればアイデアマンがいる一方で新しいことに消極的な人間もいる。だから具体的に誰がイノベーションにつながるアイデアをもたらすかは遺伝子と相関するのは間違いないだろう。だがアイデアと経済成長は直結しているわけではない。アイデアがあってもそれが必要とされない時代であればそのアイデアは広まらない。たとえ必要とされていてもコストが高ければやはり使われない。大砲が広まったのが中国ではなくヨーロッパだったのは、それが必要とされたかどうかの違いだ"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55818825.html"。
 イノベーションは人間による創意工夫であると同時に「必要は発明の母」という面もある。問題はどちらが大きな影響を及ぼすかだが、個人的には一般的傾向として前者より後者の方がインパクトは大きいように思う。本当に少数の人間にしか思いつけないような天才的発明というものは、ヒトの歴史においてはごく一部だろう。大多数は思いつくことより、それを受け入れる土壌があるかどうかの方が重要だったのではなかろうか。
 あるいは、例えば組織運営のノウハウといった「いついかなる時でも役に立つアイデア」が世の中にはあり、それは遺伝子多様性によって生み出されたのかもしれない。問題はそれが経済成長につながるようなイノベーションたり得るのかどうかだが、正直そこまで判断するのは私には無理だ。遺伝子多様性と経済成長との関係については、現時点では判断保留とするしかない。
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