The Grand Old...

 1799年のホラント戦役において連合軍の指揮を執っていたヨーク公フレデリックについて高い評価をしている人はあまり多くない。そもそも失敗した戦役であり、しかも彼にとっては1793~94年のネーデルラント戦役に続く敗戦である。A Waste of Blood and Treasure"https://www.amazon.com/dp/1473885183"には、ヨーク公が司令官に任命された時点で既に「多くのものがその任命を批判していた」(p77)とまで書かれている。ただこの遠征が英露連合軍による戦いであることを踏まえるなら、両軍に命令できる立場には王族を充てるしかなかった面もある。
 加えてこの戦役が失敗し、撤退を強いられた結果、ヨーク公に対する批判がさらに高まったという指摘が時折見られる。一例がこちら"https://reki.hatenablog.com/entry/190219-_Incompetence-Millitary-Leaders"。ホラント遠征の失敗を受け「あまりの情けない敗北ぶりに国民はあきれ返り、フレデリックを小馬鹿にする童謡まで作られ」たというのがその指摘だ。その童謡とは有名なThe Grand Old Duke of York"https://www.youtube.com/watch?v=ktkM2GtaSMk"である。
 こうした指摘は別にこのサイトだけのものではない。例えばこちらの本"https://books.google.co.jp/books?id=MM5CDwAAQBAJ"には1799年の無駄に終わった戦役の後に「フレデリックは、おそらく不当に、The Grand Old Duke of Yorkの童謡において嘲笑われた」とある。こちら"https://books.google.co.jp/books?id=RCcLAQAAMAAJ"ではこの戦役で彼が無駄に兵を進めたり戻したりしたために嘲笑を買ったと書かれている(p159)。
 ただしこれが通説かというとそうでもない。童謡に歌われたヨーク公の行動は1799年のホラント遠征ではなく、1794年にネーデルラントで行われたトゥールコアンの戦い"https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Tourcoing"を取り上げたものだという説"http://www.unofficialroyalty.com/prince-frederick-duke-of-york/"もあるからだ。彼が指揮を執った戦役がこの歌を生み出す要因になったという点では共通しているが、ではどの戦役かというと実ははっきりしたことは分からない。
 そもそも、この童謡がヨーク公の無能ぶりを嘲ったものだという主張には、具体的な論拠を示したものがない点が問題になる。確かに童謡の存在はよく知られているし、その中身もヨーク公を小ばかにしたものと解釈できる。だからと言って本当にこの童謡がヨーク公を対象にして作られたものであるとは限らない。そう思ったのか、ある人物が実際にこの問題を調べ、その結果とヨーク公の伝記を本にまとめた。Derek WinterbottomのThe Grand Old Duke of York"https://www.pen-and-sword.co.uk/The-Grand-Old-Duke-of-York-Hardback/p/12003"だ。

 この本の結論ははっきりしている。童謡はヨーク公の軍事的失敗を嘲ったものではない。それを裏付ける証拠はなく、むしろそれを否定するような証拠が見つかる。Winterbottomの調査結果を信じるなら、ヨーク公の無能を証明する論拠として童謡を持ち出すのは大間違い、ということになる。
 なぜか。彼はまずこの童謡の歴史を紹介する。実はこの童謡、フレデリックが生まれるより100年以上前から存在していた。ただし当時は歌詞が違っていたらしい。まず1620年に書かれた手紙の中に、アンリ4世による兵の動員に合わせてThe King of France with forty thousand menという歌が歌われるようになったという指摘がある(p165)。次に1630年の手稿に以下の文言が現れる。

The King of France and four thousand men
They drew their swords and put them up again.

 さらに"https://books.google.co.jp/books?id=uCRMAAAAcAAJ"によると、1642年に出版されたOld Tarlton's Songという書物に以下の歌詞が載っているという。

The King of France, with forty thousand men,
Went up a hill, and so came downe agen.

 現在よく見かけるGrand Old Duke of Yorkの歌詞は以下の通りだ。

Oh, The grand old Duke of York,
He had ten thousand men;
He marched them up to the top of the hill,
And he marched them down again.

 見ての通り、最初にこの歌が記録に出てくる17世紀の時点では、これがフランス王のことを歌ったものであったことが分かる。それはフレデリックの生きていた時代を過ぎ、彼の死後になっても変わらなかったようだ。彼が死んだ15年後の1842年に出版された本"https://books.google.co.jp/books?id=DdNTAAAAcAAJ"のp12には以下の歌詞が掲載されている。

The king of France went up the hill,
 With twenty thousand men;
The King of France came down the hill,
 And ne'er went up again.

 この歌詞に関する脚注(p163)には、この歌がJack and Jillという曲のパロディーではないかと記されているが、出てくる文言はあくまでKing of Franceであって、Duke of Yorkの文字はどこにもない。
 ではいつから「フランス王」が「ヨーク公」に変わったのか。Winterbottomは1892年に出版された本"https://books.google.co.jp/books?id=61sOAAAAYAAJ"が嚆矢だとしている。確かに同書のp99にはKing of FranceとDuke of Yorkを並べた歌詞が紹介されており、「ウォリックシャーで子供たちがそう歌っている」ことが記録されている。フレデリックの死後、実に65年が経過した段階での話だ。
 Winterbottomはトゥールコアンの戦いやホラント遠征時のベルヘンの戦いなど、童謡のもとになったのではないかと言われる戦いについて調べ、トゥールコアンの時はヨーク公はむしろ「損害を出さなかったその機動を連合国から祝福され」(p166)、ベルヘンでは「どんな種類の丘についても」(p167)言及がないと指摘。敗北直後どころか彼が死んだあともしばらくフランス王のことを歌っていたこの童謡が、ヨーク公を嘲るために作られた可能性はかなり低いとみている。
 むしろWinterbottomが主張しているのは、この歌がヴィクトリア朝時代に広まっていった理由として、実は女王の叔父の功績をたたえるためだったとの説だ。ヨーク公はフランス軍の上陸に備えて海沿いの丘に兵舎を設置しており、時にそこを訪れて1万人の兵を閲兵していたことがあった(p168)。彼のそうした取り組みが最終的に英国に勝利をもたらした面があり、いわばそれを称賛する意味からこの歌が広く歌われるようになったのではないか、との考えである。
 彼はヨーク公を褒める歌が貶す歌に変わったのは第一次大戦がきっかけではないかと見ている。時代の変化にともない歌の意味が違う観点で世の中に受け入れられていくという点で、以前こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55756665.html"で紹介した「最高の反戦歌」と同じように、この歌も途中で意味の変化が起きた可能性があるわけだ。
 何よりGrand Old Duke of Yorkが童謡として、別に歴史に詳しいわけでもない人々に歌われてきたことを無視してはなるまい。童謡のような大衆文化に具体的な史実の論拠を求めるのは、間違った方角に双眼鏡を向けて鳥を探すようなものだ。彼らがKing of FranceをDuke of Yorkに変えて歌ったのは、Winterbottomが指摘するように、単にDuke of MarlboroughやDuke of Wellingtonに変えるよりもゴロがよかったからだろう(p169)。ヨーク公フレデリック自身の行動や評価とは関係ないところで生じた変化だと考える方が辻褄が合う。
 問題は、この程度のことは英語wikipedia"https://en.wikipedia.org/wiki/The_Grand_Old_Duke_of_York"を読むだけで把握できるという事実だ。最初の方で紹介したサイトは「世界史専門ブログ」を名乗っているが、それならせめてwikpediaくらい調べてもよかったのではなかろうか。そうすればオランダ語ではオラニエ公マウリッツが同じ童謡で歌われていることもわかっただろうし、そしてマウリッツを「無能」呼ばわりすることはさすがに避けただろう。
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