ホラント戦役本

 Geert Van UythovenのThe Secret Expedition"https://www.helion.co.uk/the-secret-expedition-the-anglo-russian-invasion-of-holland-1799.html"読了。以前も記した"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56914289.html"ように、1799年のオランダ戦役についてオランダ側の視点を中心に述べたものだ。ページ数が多く、採録された地図や図版、データも充実したなかなかいい本であったが、装丁が立派すぎて重いのが問題。やはり基本的にはマニア向けの書物と考えておくべきだろう。
 戦役の経緯については、特にオランダ関連が極めて詳細に紹介されている。例えばオラニエ派によるオランダ東部での騒擾について、英国人のPhilip Ballが書いたA Waste of Blood and Treasure"https://www.amazon.co.jp/dp/1473885183"は1ページ弱で簡単にしか触れていないのに対し、この本では1章丸ごとをこの動きの紹介に充てている。
 Ballの本に出てくるのは、アルンヘム方面に向けたオラニエ派の動きが途中で妨害されたという話だけなのだが、Van Uythovenはその話にとどまらず各地で起きたオラニエ派や彼らを支援する住民たちの動きを一つ一つ細かく記している。ただしその大半は戦闘にすら至るものではなく、Ballの本で省略されているのも分からなくはない。
 実際、オラニエ派はオランダ東部でかなり腰の引けた「介入」しかしていなかったようだ。戦役開始前に彼らはオランダ東部に近いドイツの町リンゲンに集結し、英軍の上陸成功を聞いたところでそこから現在のオーバーアイセルやヘルダーラントに向けて活動を始めた。とはいえこの活動はせいぜい数十人で街中に現れ、武器を取って戦えと演説をするくらいのものだったようだ。
 しかも彼らは日中にそうやって市民たちを煽りながら、日没になるとさっさと国境外へ逃げ出していたという。バタヴィア共和国側から夜間に襲われるのを恐れていたのかもしれず、実際にさして多くない彼らの数を見ると国民衛兵にでも攻撃されればひとたまりもなかったと思われるが、それにしても腰の引けっぷりが目立つのは確かだ。結局、彼らの活動はまとまった反乱や蜂起を引き起こすには至らず、オランダ東部は少数の兵力で治安を維持することができ、ホラント州での戦役にはほぼ影響を及ぼさなかった。
 オランダ国内では豊かなホラント地方には割と愛国者(つまり共和主義者)が多く、オラニエ派の主な支持層は下級貴族や農民たちであり、地域でいえば貧しい東部だったという。なんとなくバラモン左翼が大衆にそっぽを向かれている現状を思い起こさなくもないのだが"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56829290.html"、オラニエ派が頼りにしていた東部ですら自発的な蜂起が起きなかったことを踏まえるなら、そもそもオラニエ派に対する支持といってもそれほど積極的なものでなかった可能性はある。
 ただ、軍事的にはほとんど無意味であったとしても、この介入は後に政治的に一定の影響を及ぼすことになった。特に大きな問題となったのがヨハンナと呼ばれる女性の処刑問題"https://nds-nl.wikipedia.org/wiki/Johanna_van_Dorth_tot_Holthuysen"である。
 彼女はもともとオラニエ派であり、この介入騒ぎの際に扇動していたオラニエ派の連中を支持し共和派を非難する態度を見せたそうだ。といってもそれ以上に具体的な騒ぎや犯罪を起こしたとまでは言い切れず、少なくともバタヴィア共和国にとって脅威になるような存在ではなかった。にもかかわらず、彼女は軍法会議で死刑が宣告され、実際に処刑されたという。
 問題は彼女がオランダの歴史上、唯一の「軍法会議で処刑された女性」になったこと。以後、オランダではオラニエ派が愛国者批判のためにこの事例を取り上げ、それに愛国者が反論するという形で議論が沸騰したという。オランダ以外では知る人も限られるような逸話だが、政治問題というのは得てしてそういうところで火の手が上がるものであることを示す一例なんだろう。

 またBallの本と比べてVan Uythovenが妙に細かく記しているのが、英海軍による活動だ。Ballがオランダ艦隊降伏以降の海軍行動について1章にまとめてざっくり紹介するにとどめているのに対し、Van Uythovenは章ごとに同時期の英海軍の活動を一つ一つ事細かに述べている。その多くはNaval Chronicle"https://books.google.co.jp/books?id=d3JWAAAAYAAJ"などからの引用なのだが、ここまで詳しく書く必要があるのかと思うくらい詳しい。
 実際そこでは艦船とも呼べないような小さなボートによる活動まで載っており、しかもそれぞれについて概要を説明した後で史料からの引用を長々と掲載するという体裁を取っている。オランダ艦隊の降伏後、戦場は主にゾイデル海に移るのだが、喫水の浅い船でないと活動できないこの内海での海軍行動はどうしても地味なものにならざるを得ない。
 逆に言えばトラファルガーなどの派手な場面くらいしかこの時代の海戦について知らない人間にとっては、面白い情報の宝庫と言える。例えば英海軍の戦列艦はそれ自体がゾイデル海深くに入り込むことができないため、搭載ボートを派出して他の小型艦と連携して活動させていたことが分かる。また英海軍がそうした小型艦からしばしば上陸してオランダ側を陸上から攻撃していたことも判明する。最も目立つのはゾイデル海の東海岸にあるレンマーという漁村を英海軍が攻撃し、一時占拠していた事例か。ホラント州以外にも連合軍の戦火は及んでいたわけだ。
 また思った以上に多いのが、海戦ではなく悪天候による遭難事故だ。特に連合軍がフランス=バタヴィア軍と休戦を結んで英国に戻ることが決まった後に起きた事故は悲劇である。500人以上が乗り込んだ艦船が暴風に巻き込まれ、最終的には座礁し25人ほどしか助からなかったという事例で、せっかく戦争を生き延びたにもかかわらず最後は命を失うという結果に見舞われている。
 さらに興味深いのは、ロシア海軍が1795年時点で既に対仏戦争に協力していたという事実だろう。同年からロシア艦隊は英海軍によるバタヴィアの各港湾封鎖に手を貸しており、第二次対仏大同盟の際にも1798年は早々に艦隊を北海に派遣している。具体的なフランス側との交戦はなかったものの、彼らの協力は英海軍が他地域に展開する余裕を与えたはずであり、その意味ではロシアは一般に思われているより早い時期から対仏戦争を行っていたと解釈することもできる。

 最後に触れておきたいのが、連合軍がオランダから撤収する際に締結した休戦条約について。Ballが英国側からの視点でこの条約を「休戦というよりは降伏」「不快な条件」と書いているのに対し、Van Uythovenはオランダ側の視点から「フランス=バタヴィア兵にとって恥」と批判している。つまりお互いにこの休戦に不満があるというわけだ。
 英国側の不満は8000人の捕虜を一方的に返還すること、及びデン=ヘルダーの要塞を元の状態に戻すことが条件になっている点にあるという。一方、オランダ側はオラニエ派の旗を掲げて英軍に降った艦船を取り戻せなかったこと、さらにはこの戦争中にオランダが失った海外植民地の話が全く条件に上ってこなかったことにあるという。
 相互に自分たちの言い分だけを強く主張しているあたり、やはり今もなおナショナリズムの影響は強いと考えておくべきなのだろう。200年以上も昔の戦争であっても自国贔屓の視点が著者たちの目を曇らせているようにしか見えない。特にVan Uythovenはブリュヌが賄賂をもらっていた可能性に言及し(可能性がなかったとは言わない"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/41262548.html"が)、彼が自分の利益のために過大な譲歩をしたかのように主張している。
 一方でBallの言い分にも贔屓の引き倒しに見える部分がある。ヨーク公が交渉に際し必要なら堤防を破壊するとのブラフをかましたという説について、Ballは「そのようなことをするつもりも、そういう脅しを口にすることすらなかった」と主張している。だがVan Uythovenによれば、交渉前に英軍はヴィーリンガーヴァールト干拓地の堤防を実際に一部破壊し、修復しようとした住民を妨害していたという地元の記録が残っているそうだ。最終的に英軍はこの修復を承諾したものの、Ballの主張とは辻褄の合わないことをしていた可能性がある。
 ナポレオン戦争やフランス革命戦争の記録については、20世紀の戦争よりも客観的に書かれた本に巡り合える可能性が高い。時間が経過し多くの人の頭が冷えていることが理由だろうが、そんなジャンルでも最近の本にナショナリズムの影が見られるところは気になる。もしかしたら足元で起きているグローバリズムからネイティヴィズムへの移行がこんなところにも影響を及ぼしているのかもしれない。
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