製鉄

 以下は本当にメモ代わり。
 鉄の歴史についてwikipediaなどを和訳したページ"http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/section4I/kuiper_section4I.htm"。これを読むと中国では紀元前5世紀までに鋳鉄の農具が広範囲に使用されており、つまり相当古くから高炉が存在したことがわかる。一方欧州では中世になってようやく高炉が生まれた(それ以前はより原始的なbloomeryだった)という。
 欧州で最も古い高炉はスウェーデンのラップヒッタンにあるもので、そのプラント活動していた時期は1150~1350年まで。この技術についてモンゴルを通じて中国から伝来したという説もあるそうだが。本当に12世紀から高炉が存在したのであればモンゴルの影響と考えるには時期が早すぎる(モンゴルが南ロシアに現れる100年ほど前)。8~9世紀にドイツで発展した大型のstuckofenから発展してきたものという説もあるという。
 いずれにせよ重要なのは火器が伝来する前に既に高炉があったという事実だ。こちら"https://books.google.co.jp/books?id=1QwyAQAAQBAJ"にはラップヒッタンの遺跡から1~2センチの銑鉄の塊が発見されたとあり(p189)、欧州でも鋳鉄製の火器を製造する能力は当初から存在したと考えられる。
 考えてみればそもそも鋳鉄製の「弾丸」は火器が伝来した直後からその存在に言及されていたし、鋳鉄製の火器も実験的なものであれば15世紀には登場していた"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56392108.html"。鋳鉄製大砲の登場が16世紀の英国だといわれていたのは、あくまで大量生産とか本格的な量産といった条件を満たしたのがその時期だったと考えるべきだろう。
 こちら"https://the-orb.arlima.net/encyclop/culture/scitech/iron_steel.html"には、欧州人が13世紀には鋳鉄を製造できるようになったにもかかわらず、鉄鋳造品の本格生産を始めなかったことが「謎」だと書かれている。それこそ鋳鉄製の砲丸の登場によって、初めて鉄鋳造品というものに対する需要が生まれたそうだ。確かにこれは謎だ。
 欧州とは逆に鋳鉄にこだわった中国の場合は「日本など周辺国が鍛鉄製品製造を担った」ことによる分業の結果ではないかとの指摘がある。こちら"http://arai-hist.jp/magazine/baundary/b22.pdf"によると圧倒的な鉄生産量を誇る中国では「宋代・明代ともに、東南アジア諸国から鍛造鉄器を輸入し、その代わりに鋳造鉄器を輸出」していたそうだ。でも欧州の場合、近くに巨大な鋳鉄国家が存在していたわけでもない。
 おそらく既存の鍛鉄製品市場を一掃するだけの価格面や品質面における魅力が、欧州の鋳造鉄器には存在しなかったと考えるべきだろう。市場がなかったために技術もあまり広まらず、大量生産によるコストダウン効果も得られなかった。ようやく火器が登場した後に鉄製の弾丸という新たな市場が誕生し、それをテコにようやく鋳鉄技術が広まったという流れではなかろうか。
 欧州で当初は鍛鉄のパーツを組み合わせた火器が生まれたのも、硬いがもろい鋳鉄の問題点が妨げになったというよりは、鋳鉄技術の「裾野の狭さ」が原因だと考えた方がいいのだろう。青銅より安い鉄で火器を作りたいのだが、鍛鉄を扱える技術者しかいない状況では鍛鉄を使うしかない。逆に中国のように鋳鉄技術が存在するところでは、最初の鉄製大砲(洪武大砲)は当然のように鋳鉄製となっている。
 面白いのはこの歴史的な経緯という制約条件が、特にハンドゴンの分野においては欧州の有利に働いた点だ。中国では火銃を高価な青銅で作るか、中国語wikipedia"https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9C%BC%E9%93%B3"が正しいなら鉄(おそらく鋳鉄)で作っていたことになる。コスト面や頑丈さといった部分で欧州の方が有利だった可能性があるのではなかろうか。

 もっと基本的な話。そもそも鋳鉄というか銑鉄とは炭素を4~5%含んだ鉄。鉄は炭素の濃度によって融点が変わり、その数字が4~5%の時に最も低い温度で溶融する"http://donwagner.dk/cice/cice.html"。どうやら液体には炭素が溶け込みやすいという性質があるそうで、鉄も高温になって液体になるとどうしてもこのくらいの炭素濃度になってしまうそうだ。
 炭素の割合が2%以上になると硬いが脆い鋳鉄となり「叩くと割れる」"http://www.nssmc.com/company/nssmc/science/pdf/V11.pdf"ようになる。液体なので鋳型に流し込んで鋳造鉄器をつくるのには向いているが、叩いて加工する鍛造品には向かない。鋳鉄製の大砲にも同じ「硬いが脆い」性質があり、暴発のリスクを避けるためには重くしなければならなかったのは以前にも述べた"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56007975.html"通り。
 一方、bloomeryで製造された錬鉄は液体化しない状態で還元しているため炭素がほとんど溶け込まず、炭素の比率も0.08%以下と極めて低い"https://en.wikipedia.org/wiki/Wrought_iron"。このため鋳鉄とは逆に「柔らかく粘りのある」鉄になった。鍛鉄製の銃がより安全性が高かったのはこの性質によるものだろうし、パーツを組み合わせるという弱点に目を瞑るなら大砲においても使える性質だったのではなかろうか。
 実際に最も使い勝手がいいのは炭素濃度で両者の中間にある鋼。かつて欧州では低炭素の錬鉄に炭素を加えることで、逆に中国では高炭素の鋳鉄から炭素を抜くことで鋼づくりに取り組んできたのだが、産業革命後は後者の方法での大量生産技術が確立している(ただしその技術を生み出したのは西洋人)。産業革命以前の鋼は少量しか生産できなかったようで、そうした困難があったからこそ青銅製の大砲が長期にわたって生き延びたのだろう。

 あとは歴史的な生産能力の推移について。こちら"http://arai-hist.jp/magazine/baundary/b2.pdf"には様々な国・地域の時代別の金属生産量推計が掲載されている(p39)。注目すべきはやはり中国で、11世紀の北宋の時代に既に1人あたり400グラムの鉄、100グラムの銅を生産している。欧州がこの水準に達したのは鉄では1600年頃、銅は1500年頃であり、日本だと鉄をこれだけ生産できるようになったのは江戸時代末期の1850年頃だ。
 中国では明代になると生産量の絶対値はさらに増加。その後は鉄の生産が自由化された結果、1870年頃には山西省だけで16万トンの鉄を製造していたという。大躍進政策の際に裏庭製鉄所が乱立したという話はよく知られているが、それができたのもある意味こうした歴史があったればこそかもしれない。
 しかし中国が世界で先行していた時代は17世紀には終わりを告げた、というのがこの文献の主張。1人当たりの鉄生産量を見ると北宋後の中国が緩やかな伸びにとどまっていたのに対し、17世紀以降の欧州ではたった130年のうちに100倍にも生産量が増えた(p43)という。興味深いことにこの時期は産業革命より前の時期であり、大分岐より前に鉄の生産能力という点では既に欧州が中国を追い抜いていたことを意味する。
 もう一つ、銅の生産量についての文献"http://arai-hist.jp/magazine/baundary/b3.pdf"もある。これまた古代においては中国が突出しており、しかし江戸時代にはむしろ日本が世界最大になっていたことなどが指摘されている。こちらにとって関心のある火器が使われた時代、つまり中国の場合は明代以降の生産動向については残念ながら載っていないのだが、鉄を上回るほどの隆盛を誇ったかどうかは怪しい。
 中国の場合、洪武大砲を除くと鉄を材料とした火砲はほとんど西洋との接触後に生まれている("https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/15435/049000020005.pdf" p48-49)。つまり大半においてコストの高い青銅を材料にしている。銅の生産量が鉄に比べても高水準だったから、という理由は考えにくい。上にも書いた通り、鉄の分野でも中国は高水準の生産能力を持っていたはずなのだ。ではなぜ明政府はもっと鉄製の火砲をつくろうとしなかったのだろうか。
 そもそも火器の需要自体が低かったから、と考えるしかないだろう。永楽帝より後の時代になると明の火砲の出土数は急減する。戦争そのものが減り、武器の生産水準が急低下した。軍事費の絶対値がそれだけ下がったわけで、青銅を鉄に変えてコストを下げる必要性があまり感じられなかったのだと思われる。
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