Tupaはもともとカレッジ時代からQBとPunterを兼務していたようだ。1987シーズンにはPunterとしてAll-Americanにも選ばれるほどパント能力は高かったようだが、ドラフトではQBとして3巡でCardinalsに指名されている。そしてCardinalsにいた4年間、彼がパントを蹴った回数はたった6回しかなく、それも本職のPunterが(おそらくは負傷で)出場できなかった試合のみ。あくまで彼の仕事はQBだったと考えるべきだろう。
その彼を再びPunterとして再生させたのはBrownsのHCだったBelichick。Colts経由で1993年にBrownsに入ったTupaは、1994シーズンからBrownsのPunterとなり、そちらの方で活躍するようになった。はっきり言ってQBとしてのTupaは二流以下であり、もしここでQBからPunterに転じていなければ、彼のNFL生活はもっと短く終わっていたであろう。
BelichickがBrownsをクビになってPatriotsのコーチングスタッフに加わると、Tupaは彼を追うようにPatriotsに移籍した。そこで3年の契約が終わると、1999年にTupaは再びBelichickのいるJetsに移る。Korteのツイートで紹介されている動画は、この1999シーズンの開幕戦に焦点を当てたものだ。この試合は私も強く印象に残っている。
前シーズンにJetsをAFC Championshipまで連れて行ったTestaverdeが負傷し、控えQBとして登録されていたTupaが凄く久しぶりにQBとしてフィールドに立った。彼のプレイは動画でも説明されているようになかなか好調で、逃げるPatriotsに追いすがり、ゲームの行方を分からなくした。ところが3番手QBであるMirerに交代したとたん、Jetsのオフェンスは進まなくなり、最終的にPatsが勝利した。
TupaをMirerに交代させたのは分からなくもない。1998シーズンまでのキャリアANY/A+を見るとTupaが83、Mirerは80で正直どっちも酷い成績だが、キャリアでパス試投回数が500回にも届かないTupaよりはまだMirerに任せた方がましという見方は、それほどおかしいとは思わない。それにMirerではなくTupaでプレイを続けていたとして、このシーズンのJetsが勝ち越してプレイオフにたどり着けたかどうかは怪しいだろう。Testaverdeが負傷した時点で、彼らの状況はかなり厳しくなっていたのは間違いない。
それでもあの開幕戦だけに関して言えば、Tupaを使い続けていたらどうなったか分からない、という印象はあった。NHKBSの解説者もそういうことを話していたと記憶している。Tupaはこの試合以降、NFLでは2回しかパスを投げていない。その意味では最後までやらせてみても面白かっただろう。
しかしKorteが注目したのはその部分ではなく、もちろん彼が専門としている補償ドラフト権の部分だ。1999年、TupaがJetsと結んだ契約はPunterとしては最高額の4年6.1ミリオンだったという。おまけに彼はこの年、Punterとして大活躍しオールプロにまで選ばれた。金額と活躍度合いは、そのまま翌年、つまり2000年にPatriotsが受け取る補償ドラフトの順番を大いに引き上げたようだ。
皮肉なことに2000年のドラフトにおいてPatriotsのWar Roomにいたのは、JetsのHCを1日で辞任したBelichickだった。彼の前任者は実に4つの補償ドラフトを残していたそうで、その内の1つがTupaによってもたらされたものだった。Belichickはその補償ピックを使い、「アナーバーでチームメイトだったBrian Grieseのバックアップを務めていた」男を指名した。Tupaと同じファーストネームを持つ人物、つまりTom Bradyである。おしまい。
以上でKorteの話は終わりだが、少し追加しよう。Jetsで3年間Punterを務めたTupaは続いてBuccaneersと契約を結んだ。その年、強力ディフェンスを擁するBucsは順調に勝ち上がり、Super Bowlを制した。これでTupaはオールプロ選出に続き、リングも手に入れたわけだ。続いてRedskinsに入った彼は、IR入りして1年間を棒に振った2005シーズンの終了後、引退を表明した。プロ入りから18年が経過していた。
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