オブラ・ディン号 ネタバレ感想

 推理ゲームが好きなので、テレビでやっている「逆転裁判」を楽しく見ているところだが、今回は別のゲームの話。インディーズゲーム「オブラ・ディン号の帰還」"https://obradinn.com/"をプレイした。以下、基本的にネタバレで行くので未プレイの人はUターンしていただきたい。なにしろ推理ゲームなのでネタバレを読んでしまったらプレイはできないと思った方が安全なので、ご注意を。

 あちこちで「極端に難易度の高い推理ゲーム」"http://news.denfaminicogamer.jp/gamenewsplus/181115d"と言われているが、それはやり方による。全てきちんと推理して解くつもりならとても難しいのは確かだが、一方で推理ゲームによくある「間違えたらバッドエンド直行」というルートは実はほとんどない。つまり総当たりに近い方法で解くことも可能なのである。
 確かに「回答の正否を3人ごとにチェックする」というシステムのために、総当たりする場合もかなり手間がかかるのは間違いない。でも2人分を推理で回答しておき、残る1人について総当たり的にやってみるという方法であればそれほど面倒ではないし、2人分や3人分をまとめて総当たりすることだってできなくはない。というか真っ当に推理するよりはおそらく短時間で解ける。
 60人の登場人物といっても彼らはのっぺらぼうの存在ではなく、それぞれが属性を持っている。属性ごとに絞り込めば人数はぐっと少なくなり、その少ない母数の中で総当たりや消去法ができる。例えば登場人物の中に女性はごく少数しかいないし、特殊な出身地の人物は1人しかいないというケースもある。彼らの服装や作中での行動なども属性を特定するヒントになる。そのうえで総当たりをすれば、実はそれほど難易度は高くない。
 総当たりではなく、推理のみで答えにたどり着くこともできる。ファンが作成しているwiki"http://obradinn.wikia.com"や、ネット上にあるリプレイ動画を見れば、ものすごく手間はかかりそうだが、論理的に考えて60人分の答えを導き出すのも不可能でないことが分かる。加えて日本人には難しいが、言葉の訛りやこの時代の英国商船に関する知識を利用して特定することも可能らしい。
 名前を当てるのに比べ、死因を特定するのはゲームのシステム的にそれほど難しくはない。それでも1bitの粗い画像のために、本当にこの死因でいいのかと悩むときはある。実際には複数の解釈が可能な場面ではどちらの死因を選んでも正解になるケースがあるので、心配しすぎない方がいいだろう。解く際にコツになるのは、手間を惜しまず1人ずつ丁寧にヒントを探すことだと思う。

 で、これからが本題。このゲームは全ての答えを出してエンディングにたどり着いてもなお多くの謎が残っている。だからゲームを解いた後にその問題について考察することが可能なのだ。保元の乱について保元物語を排除したうえで何があったかを推測したらどうなるかを考えてみた"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56784318.html"私としては、これはおいしいボーナスステージである。その1つとして、オブラ・ディン号の航海期間に関する疑惑を取り上げよう。
 ゲームによれば東インドに向けて出帆したオブラ・ディン号は1803年に行方不明となり、1807年にファルマス港に戻って来たことになっている。実際の手記に記された航路を見ると喜望峰よりはるか手前、アフリカ大陸北西沖のあたりで既にトラブルに巻き込まれていたことが分かるのだが、ヨーロッパからさして離れていない場所で消息を絶ったにしては戻ってくるまでに時間がかかりすぎではないか。
 こちら"https://voxeu.org/article/speed-under-sail-during-early-industrial-revolution"によれば18世紀から19世紀にかけては英国の帆船が次第にスピードアップしていた時代だそうで、夏の北大西洋の一般的天候条件下においては1800年頃でも5ノットから6ノット(時速9~11キロ、1日だと220~270キロ)の速度は出せたそうだ。風に恵まれればカナリア諸島の先まで2週間前後でたどり着いてしまう計算となる。
 実際、こちら"https://en.wikipedia.org/wiki/Category:Ships_of_the_British_East_India_Company"に載っている英東インド会社の各艦船の航海実績を見る限り、4年もの時間を要するような航海だとは思えない。例えばオブラ・ディン号が遭難したのと同じ1803年にインドに向けて出港したヨーロッパ号"https://en.wikipedia.org/wiki/Europe_(1803_EIC_ship)"は5月6日に英国を出発し、4ヶ月弱後の8月29日にはマドラスに到着している。レディ・カッスルレー号"https://en.wikipedia.org/wiki/Lady_Castlereagh_(1803_EIC_ship)"は4月6日出港でインド到着が9月14日と半年後だ。
 オブラ・ディン号が地球の裏側まで行き、そこから戻って来たのだとすれば4年という期間にも少しは説得力が出てくるだろうが、アフリカ北西沖でトラブルに巻き込まれ、それから「取引」によって英国へ戻って来たのだとすれば、いくら何でも時間がかかりすぎ。1年ですら遅すぎで、数ヶ月後には無人の船が戻ってこなければむしろ変だと言える。
 そう考えると脱出した4人の行動も謎。彼らはなぜオブラ・ディン号から逃げ出した後にモロッコにとどまり、英国に帰ろうとしなかったのだろうか。モロッコならヨーロッパはすぐ近くだ。確かにナポレオン戦争中で欧州大陸を経由して帰るのは難しかっただろうが、海上では英国が圧倒的優位にあったことを考えるなら、英国まで戻るのが難しかったとは思えない。
 彼らの中には英国に帰りたくない人もいた可能性はある。だが4人が揃いも揃って帰国を嫌がる確率は低いだろう。むしろ彼らは何らかの理由で帰りづらくなっていた、帰るに帰れなくなっていたと考える方がもっともらしい。オブラ・ディン号の帰還に4年も要したことと、4人がモロッコにとどまらざるを得なかった理由。この2つをまとめて説明できる何かがあれば、それが答えになるとは考えられないだろうか。

 そして実際、そういう答えは出せなくはない。オブラ・ディン号は実は浦島太郎になっていた、という説だ。彼らがあのトラブルに巻き込まれている間に外界では時間が経過し、彼らの体感では数週間から数ヶ月しか経過していないのに外では4年の月日が過ぎ去っていた。船の帰還が4年後になったのはそれが理由だし、脱出した4人がモロッコに到着したのも既に長い時間が経由した後だったのである。おそらく彼らは既に死んだと思われていただろうし、英国に帰りたくとも自分の身分を証明できなかったのではなかろうか。
 そして彼らは外界に戻って来たところで、玉手箱を開けた浦島太郎のように急激に時間の経過を経験したと考えられる。エバンズ医師が死んだのも、脱出した4人のうちで一番年上だったと思われる彼が一気に老けて体力の低下に見舞われたためだと考えれば辻褄が合う。オブラ・ディン号の船上に残された死体が全て白骨化していたのも、まさに玉手箱効果である。
 では誰がそのような効果をもたらしたのか。浦島太郎を時間の異なる世界に閉じ込めたのは乙姫様だ。だとすればオブラ・ディン号を竜宮城に取り込んだのは、彼らが捕らえた人魚のような怪物だと考えることができる。あの人魚を船内に入れたことで、オブラ・ディン号の時間の流れがおかしくなってしまった。彼らは通常の時間の流れから取り残され、さらにはタイやヒラメの舞い踊りならぬカニやタコの襲来を受け、竜宮城時間をずっと過ごすことになった。
 人魚を解放した後も、その人魚に英国まで船を戻すよう条件を出していたため、人魚はオブラ・ディン号の近くにとどまっていたのだろう。だから船の時間は引き続き外界とかけ離れたまま流れていた。最後の死者である船長も、まさか故郷で数年もの時間が経過していたとは思っていなかったに違いない。船がファルマス港に到着し、貝殻を光らせた人魚が船から離れたところで、急激に時間が戻り、オブラ・ディン号の船上に残された死体はあっという間に白骨化した。それが真相ではないかと思う。
 実際、保険調査員が調べている間、死体の周辺にはハエらしきものが舞っている。ずっと昔に白骨化していたのならハエがたかっているのは妙な話だが、直前まで死んだばかりの人がそこにいたのであれば、いまだにハエが飛び交っていても謎ではない。オブラ・ディン号の乗員たちは、実は揃ってリップ・ヴァン・ウィンクルになってしまっていたのである。
 ……というのが1つの解釈。だが他の解釈もできるかもしれない。彼らを時間の狭間に巻き込んだのは人魚たちではなく、あの謎の懐中時計「メメント・モーテム」であり、それを持ち込んだのは冒頭の事故で死んだ身元不明の密航者であったという解釈である。この説についても色々と考察し辻褄を合わせることはできそうだ。という具合にエンディングの後も遊ぶことができるいいゲーム、それが「オブラ・ディン号の帰還」である。
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