逃げ場なし

 ナポレオン漫画最新号。掲載順位が少し前に行ったようで、何よりだ。とりあえず今回思ったのは(1)ジョゼフィーヌは時が経つにつれて若返っている(2)私に関西人の血は流れていない筈なのだが、「壊すなっ」「すみませげっ」というベタベタのどつき漫才は何故か笑えた(3)今回のキモはやはり最後のアオリ「男度胸の一本橋!!」に尽きる。まるで演歌だ――といったあたりか。

 史実との比較。ラ=アルプの死後に、居合わせたベルティエが指揮を執ったのは事実のようだ。彼はラ=アルプの死を聞いて増援と伴に駆けつけ、事態の把握に努めたという。イタリア遠征時のベルティエは、この時以外にもロディやリヴォリなど、結構最前線で駆けずり回っている印象が強い。さすがはアメリカ独立戦争以来の実戦経験者である。サマになっていたかどうかは知らないが。
 ナポレオンの指揮のやり方がちらりと出てきたのも面白い。ただ、地図に刺された無数の針の意味を把握していたのはベルティエよりむしろバクレ=ダルブ"http://fr.wikipedia.org/wiki/Louis_Albert_Guislain_Bacler_d'Albe"の方だろう。蛇足だが、クールゴーが書いたセント=ヘレナでのナポレオンの口述筆記を読むと、話があちこちに飛んで筋を追うのさえ難しい。あれをまともな命令文に仕立て上げることが出来たベルティエは、やはり一種の天才なのだろう。
 ロディの城壁はやたらと高く描かれている。ただ、Martin Boycott-Brownによると、実際にはロディの城壁は酷く破損していたうえ、高さもたった10フィート(約3メートル)しかなかったとか("The Road to Rivoli" p311)。著者はこれまでこちら"http://www.napoleon-series.org/military/c_virtual.html"の写真などを参考にしながら景色を描いてきたと思われるが、ロディはどうやら旧市街が拡張する過程で城壁が姿を消してしまった模様。参考になる絵がなかったのかもしれない。
 跳ね橋に馬乗りになって橋を降ろす男の話は、手元にないので確認はできないがおそらくヴィゴ=ルシヨンの回想録に出てきた。Boycott-Brownは第32半旅団(ヴィゴ=ルシヨンの所属部隊)のシュルピス、カブロル、ガルティエ、ブラシュヌ、レオン=オーヌの5人が城壁を乗り越えて門を開けるのに成功したと言及しているが、誰が跳ね橋に馬乗りになったかは不明。ちなみにレオン=オーヌはボナパルトから「イタリア方面軍で最も勇敢な擲弾兵」と誉められたそうだ。
 木製の橋については兵士たちが幅10メートル、長さ200メートルと言及している。Boycott-Brownによれば幅20-25フィート(6-7.6メートル)、長さ200ヤード(183メートル)。漫画では正面に大砲が5、6門となっているが、Ramsay Weston Phippsによれば直接橋上を撃てるよう配置されたものが6門、さらに十字砲火を浴びせられるように両側面にも3門ずつを備えていたという("The Armies of the First French Republic, Volume IV" p35)。
 で、今回最大の疑問はラス前のページに書かれた「1796年4月10日ロディ」という台詞だ。ロディの戦いは5月10日のはずなんだけど。

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