承前。Peter TurchinのWar and Peace and War"
https://www.amazon.co.jp/dp/0452288193"に関する感想だ。前回はいろいろ批判点を述べたが、それ以外については面白いところが多かった本であることに間違いはない。何よりこの本の特徴であるナラティブな歴史叙述の中には、今まで知らなかったところも多く、とても興味深く読めた。
例えば冒頭に登場する「ストロガノフの年代記」。16世紀末期のロシアで記された同時代の記録だが、そこにはモスクワ大公国とシビル汗国との争いが記されている。日本でいえば安土桃山の時代だが、その時点でロシア側がアルケブスと軽砲で武装していたのに対し、遊牧民側はいまだに「槍と鋭い矢」で戦っていたようで、この部分だけ見るとKenneth ChaseのFirearmsが唱えた「初期の火器は乾燥地帯では使いづらかった」"
https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54340971.html"説にも一定の説得力があるように思える。
モスクワ大公国の定住民と草原の遊牧民との対立はメタエトニー辺境の典型例だが、もう1つの典型例としてTurchinは北米の事例を挙げる。実際、初期の北米植民地では欧州からの移住者とインディアンの間でかなり壮絶な殺し合いが行われていたそうで、最近の研究によると268年に及ぶ紛争期間中に白人によるインディアンへの、インディアンによる白人への、そしてインディアン同士の残虐行為は、記録されただけで実に1万6000件に及ぶという。こうした対立が現在の米国のアサビーヤを支えている、というのがTurchinの主張だ。
続いて、ローマの次に帝国を築いたフランク王国の遺骸からその次の帝国がどう生まれたかの話が出てくる。個人的にここは少し説明が苦しいなと感じたところで、イベリアにおけるカスティリア帝国、北東辺境のブランデンブルク、南東辺境のオーストリアあたりは確かにメタエトニー辺境から生まれたと言って問題ないが、フランス王国がやはり辺境から生まれたという理屈はどうなんだろうか。
フランスの中核となったイル=ド=フランスという「俺たち」にとって、まずノルマン人(ノルマンディー)、次にケルト人のブルターニュ、それからアンジュー帝国が「やつら」になったという理屈は、いささか苦しいように思う。彼らは基本的にキリスト教徒ばかりであり、民族的に違いはあるとしても辺境を形成するほど長期にわたって強力な敵であったわけではない。3つ並べることで期間が長くなったと説明しようとしているのかもしれないが、いささか恣意的な印象は免れない。
百年戦争の初期、このシャルルを悪人王の一党が襲撃して殺害した。それに対してジャンは後にカルロスらを不意打ちし、共犯者たちを殺してカルロス自身を幽閉した。ここから激化したフランスの内戦はイングランドを利し、それがフランスを追い詰めていった。こうしたエリートたちの対立の背景には永年サイクルによる人口動態が影響していた、というのがTurchinの理論だ。
彼はそこで話を終えず、さらに次の父―息子サイクルの説明にも入る。確かにジャンの息子の時代になるとフランスの内戦は収まり、イングランドは逆に追い詰められる。だが孫のシャルル6世の頃には再びエリートの内部対立が激化(オルレアン公の暗殺やブルゴーニュ公ジャンの暗殺など)、またもイングランド相手に追い詰められる。ようやくひ孫のシャルル7世の時代になって永年サイクルの崩壊フェイズが終了する格好だ。
そこまで詳しく紹介したうえでTurchinはサイクルの背景にある「マタイの原則」、つまり格差の拡大にも言及する。ここまでは永年サイクルのメカニズムに関する説明だが、帝国の衰退について述べる最後の章でTurchinは再びアサビーヤの話に戻り、崩壊フェイズを繰り返すたびにアサビーヤが衰え、最後は帝国の再興ができなくなるという話を紹介している。
最後にTurchinが述べているのはCliodynamics、つまり一連の理論を合わせた歴史理論の説明だ。このあたりからナラティブな歴史より理論に関する話が増える。まずトルストイが「戦争と平和」で唱えた歴史を英雄的個人の行動として捉えるのではなく、大勢の人間の行動を組み合わせたものとして把握すべきだという考えを紹介し、自分たちの議論が一種の「歴史理論」であると述べている。
次の章はまたアサビーヤの話で、Patnumのソーシャルキャピタル論を説明原理にしている。そして最後の章では、農業社会でなくなった現代においてもこの歴史理論が通じるかどうかについていろいろと話をしている。ただこの章が面白いのは、あくまで2006年時点の「現代」から想定できる部分について言及しているだけであること。12年後の現在からみると、たった12年で世の中はここまで変わってしまったのかと感慨にふけってしまうほど様相が大きく違っている。
典型例がブロゴスフィアという言葉。当時はおそらく最先端の流行語だったのだろうが、今ではほぼ死語と化している。またかつてblogがマスメディアによる報道の間違いを指摘した事例を紹介しているのだが、SNSがフェイクニュースの発生拡散装置となっている現状から考えるともはや遠い昔の童話のようだ。別にそんなつもりはなかったんだろうが、今読むと「昔はよかった」という年寄りの繰り言のように見えてしまうのが面白い。
また携帯電話を通じた「賢い群衆」の登場が予想されるというもの言いも、これまた今ではレトロフューチャー感満載の話だ。確かに携帯電話というよりはSNSがアラブの春をもたらし、いくつかの政権はひっくり返った。だがそれがバラ色の未来をもたらしたと思っている人は今やほとんどいないだろう。エジプトではアラブの春の後にクーデターが起き、結局その政権こそが定着している。シリアはむしろ酷い内戦に陥り、大勢の死者と難民を生み出し、挙句に欧州の政情不安定までもたらした。ポピュリストの跳梁跋扈が言われる今、「賢い群衆」などと言われても苦笑いしか浮かばない。
コメント
No title
…まだしも最終的にアルビジョワ十字軍を招いたラングドックや、公国と呼ばれた頃のブルゴーニュの方がふさわしいような気がしますね(苦笑)。
2019/01/05 URL 編集
No title
彼の最近の本では永年サイクルについてはよく言及していますが、メタエトニー論についてはあまり見かけた記憶がないので、もしかしたら本人的にも「黒歴史」に近いのかもしれません。
2019/01/05 URL 編集